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第9話
「最初は指一本分、次は二本分、その次は三本分。今じゃ向こうが見えてお座敷に女の人がいるのがわかる」
「知り合い?」
「全然知らない」
「見た目は」
「ちょっと年上……かな。ハタチはいってないっぽい。襦袢っていうのかな、赤くて薄い着物を羽織ってた。声は低めで掠れてる。ハスキーな感じ」
「蝶に襲われるんか」
「毎回。息できないで苦しくて、もうだめって所で目が覚める」
「他に気になることは」
ジャージのホツレを引っ張り、擦り切れた膝の破れ目をほじくり返す。
「言ってみて」
熱心に後押しする俺とポーカーフェイスの茶倉を濃いクマができた目で見比べ、ポツリと。
「墨の匂いがした」
「習字の?」
「気のせいかもだけど。古い絵とか掛け軸とかいっぱい飾ってあるから、どっかの襖が開いてて、その匂いが漂ってきたのかなあって」
ありそうな話だ。俺もさっき嗅いだ。
「夢は願望やトラウマの表出らしいで。見始めた時期に何があった?」
「……」
「学校行かん理由は」
「言いたくない。関係ない」
「学校嫌いなのに学校指定のジャージ着とるんか」
「動きやすいんだよ、ほっといて」
葵ちゃんが唇を噛んで俯き、かと思えば踵を返して走り去る。追いかけても後の祭り、あっというまに階段を上っちまった。天井から降り注ぐ塵を一瞥、無神経男に苦言を呈す。
「お前さ~、相手は中学生の女の子なんだぜ?もうちょい優しい言い方」
「食いもんで懐柔にかかるよかマシ」
「依頼人の孫で直接の被害者だろ?」
「小便臭い小娘に媚びたかて意味ない、ジャージが部屋着とか色気がカケラもあらへん」
「不登校の理由が夢と関連付いてる確証ねえし」
「関係ないとも言いきれん」
「霊視でちゃちゃっとわかんねーの?修行明けてシン茶倉に生まれ変わったんだろ」
「新茶みたいにゆうな」
茶倉は屋敷のあちこちを行ったり来たり霊視を行い、俺はむちゃむちゃ八ツ橋食いながらそれに付いていき、こないだ盗み聞きした電話の内容を思い返していた。
『お前の背中は爪研ぎにちょうどええ』
『跡残ってんだけど』
『わざとやわざと。思い知ったか』
最後の一個をたいらげ、空っぽになった平箱を挟んで潰す。
「……ごちそうさん」
例のアレがただの友達の会話とは思えず、相棒を寝取られたような悔しさに立ち尽くす。
そうだスマホ見れば。
だめだラインこえてる。
十年来の腐れ縁に隠し事なんて水くせえ、修行中の出来事を余さず知りたいと願うのは行きすぎだろうか?
気がかりは他にもある。
むしろこっちのがでけえ。
風邪で寝込んだ茶倉に襲われた時、今まで味わった事ない強烈な感覚が脊髄を貫いた。
もしあの時、きゅうせん様が俺を喰おうとしてたんなら……。
無意識に数珠を手繰り、平常心を取り戻す。
茶倉といるとオーラが安定する。アイツも多分同じ、体を繋ぐことで力の均衡がとれる。
それは俺たちの先祖が陰と陽に分かれた男女の双子として生を享けたのと無関係じゃねえ、かもしれねえ。
上司の留守中にきゅうせん様を封じるヒントを求めて読んだ東洋思想の本曰く、陰陽は対極の属性を表し、和合して完璧になるそうだ。
この仮説が当たってりゃ、きゅうせん様の移殖は可能なんじゃねえの?
うだうだ悩んで逃げ回んのはがらじゃねえ。ぼちぼちカタを付けなきゃ仕事に差し支える。
半端な気持ちで取り組むのは俺達を見込んで依頼を持ってきた小山内さんや現在進行形で障りを被ってる葵ちゃん、遠路はるばる付き合ってくれた爺ちゃんにも失礼だ。
切り出すなら上手い具合に二人きりの今っきゃねえと勇を鼓し、思いきって呼びかける。
「あのさ茶倉」
「なんや」
小山内邸の北廊下を探索中の茶倉が、振り返りもせず先を促す。
「ずっと考えてたんだけど。熱出したお前とヤッた時、なんかさ、変な感じしたんだ。うぞうぞがいっぱい入ってきて、体中に根ェ張るみてえな……あれがきゅうせん様か?」
「かもな」
廊下の半ばで立ち止まり、背中だけで返事をよこす。
「東北行ったのはきゅうせん様押さえ込む知恵を借りるためか。で、成功した?」
「まあな」
「頑張ったんだな」
茶倉の復活を喜ぶ一方、俺がいなくても大丈夫だった事実を認めたくなく心がざわめく。
「俺もじっとしてらんなくて色々調べたんだ、ネットはもちろん図書館行ったりキャビネットの資料読んだり……日水村の体験思い出せ。きゅうせんさまがおきゅうさまから分かれたもんなら、逆に移殖することもできんじゃねーの?」
昔々、旅の法師がおきゅうさまを裂いた。
力を弱めるのがその目的。
本体は日水村に封じ、片割れを己に宿し、後世の子孫に受け継がせた。
代々祟り神を宿してきた呪われた一族の末裔こそ、ここにいる茶倉練だ。
「アホくさ」
「きっと相性いいはずだ、俺たちのご先祖はういが産んだ双子だぜ」
「意味わかって言うとんのか」
「遠い親戚で他人じゃねえんだ、受肉の条件は揃ってる」
「霊姦体質だけで詰んどんのにこの上厄種抱え込むんか。どんどん人間離れしてくで」
カッとした。
「わからず屋だな、お前が腹に抱え込んでるもん半分よこせって言ってんだよ!」
「ミミズに体ん中かき回されて無理矢理イかされたいんか」
恫喝に怯んだ俺の胸ぐらを掴み、そばの柱に叩き付ける。間近で見た目はぎらぎら光っていた。
「ミミズに耕されて孕んで産める体になりたいんか。死ぬまで苗床になる覚悟があるんか」
「ッ、ぐ」
「何知っとる。何がわかる。お前もケツからミミズひりだしてみろや、それがぴちゃぴちゃはねてるとこ見ろや。小さいのがぎょうさん鈴口ほじくって入ってくるんやで、気ィ触れるわ」
「で、も、耐えたんだろ!」
ガキの頃からずっと。
胸ぐら掴む手首を握り返し、茶倉をまっすぐ睨んで怒鳴る。
「お前が我慢したなら俺だって乗り越える、ミミズだってよく見りゃ可愛いし可愛がるさ、エログロ触手のきゅうせん様なんて怖かねえぞくそったれ、このさきお前に頼りきって守ってもらうくれえなら祟り神でも化けもんでも受け入れてやらあ!」
「死ぬほど苦しいで。心が折れる」
「やってみなきゃわかんねーだろ!」
茶倉の顔に凄まじい葛藤が過ぎる。それで察した。
「できるんだな?」
「……」
「茶倉!」
思い詰めた声色で名前を呼べば、茶倉がのろくさ顔をもたげ、諦念の眼差しを向けてくる。
「植えてくれ」
肩を掴んで迫る。
「お前が歩いた地獄を知りてえ。じゃなきゃ相棒でいられねえ」
きゅうせん様を半分引き受けりゃ茶倉が背負ってるもんが軽くなる。
暴走のリスクが低下し、長生きできるかもしれねえ。
苦渋に歪む顔を俯け、切実な本音を吐き出す。
「……なんも言わず勝手にいなくなるとか、いなくなったお前の隣に知らねえ奴がいるとかやなんだよ。俺のこと大事に思ってくれてるのはわかる、わかるけど……」
発熱したコイツと体を繋げた時、どうするのが正しいか本能で理解した。
「きゅうせん様を半分くれ」
「―んねん」
声が小さすぎ聞きとれない。次の瞬間、破裂するような勢いで笑いだす。
「あーおかし、傑作。俺がしてきたこと全部パアや」
目に涙さえ浮かべて笑い続け、不安定な足取りで進み、おもむろに立ち止まる。
視線の先には一対の襖。
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