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第14話

「戻れ言うたんに……」 出遅れて臍を噛む。 声が聞こえていなかったはずがない。が、間に合わなかった。気付いた時には既に手遅れ、幻の襖は固く閉じ彼岸と此岸に分け隔てられていた。 八ツ当たりの如く現実の襖を開け放てば、庭木にとまった小鳥が囀る、昼下がりの縁側が伸びていた。 完全に自分の落ち度だ。 アイツが空気を読まず持ち出したふざけた話と、思いがけない場所で目にした御厨の家紋に動揺を誘われ、理一が巻き込まれ体質であることをド忘れしていた。 燻る焦燥を吐息に乗せて逃がし、殺風景な部屋を見回す。 陽炎が立っていた。 否、部屋の中に陽炎が生じるはずない。向こうの景色が儚げに揺れているのは空間が歪んでいるから、小山内の屋敷は異次元と繋がってしまっていた。 畳の隅には理一が落とした八ツ橋の空箱が転がっている。それをぐしゃしりと踏み潰し、大股で桟を跨ぐ。 現場に着いて早々、己の判断の甘さを思い知らされた。小山内家に取り憑いた怪異は、茶倉の想像を遥かの凌ぐ厄介なものだった。 まず家中が暗い。 天井の四隅に梁の上に柱の後ろ、そこかしこが不吉な陰翳を帯びて昼なお暗い。 薄暗く湿気っているのが日本家屋の特徴とはいえど、些か行き過ぎている印象を受けたのは事実。 居間に向かい歩く途中、廊下縁の影が蠢いているのを悟り、器用に家に紛れたその正体を見破った。 黒い蝶がいた。 そこらじゅうに。至る所に。 茶倉の到着時点で既に、小山内家は蝶の大群に埋め尽くされていた。 茶倉はその事実を同行者には伏せていた。正一はもちろん、助手の理一にさえ秘密にしていた。 除霊は騙し合いに似ている。こっちが勘付けばむこうも勘付く。良くも悪くも正直者な理一が下手に騒ぎ立てることで、小山内家に憑いた悪霊が警戒し、逃げ隠れするのを疎んじたのだ。 一体どこから湧いてくるのか。 地獄の釜でも開いたのか。 ここに来てからずっと飛び回る蝶が見えていた。ひらひらひらひらと、ひっきりなしに。 理一を恋い慕うように纏わり付き、正一が持った湯呑にとまり、雅が丸めた背を掠め、黒い蝶が飛び交うさまはなかなか壮観だった。 幸いにしてというべきか、鈍感な理一には一羽しか見えてなかったようだ。声も聴いてない。 『口惜しい』 『妬ましい』 『どうして部屋に来てくださらないの、羅紗の帯を新調してくれるって言ったのに』 『約束は反故?』 『私のほうが綺麗なのにどうしてあんな若いだけの小娘に』 『やや子が流れたのは奥方さまが盛った毒のせいよ、お上に掛け合って詮議して頂戴』 『狭くて暗くて息苦しい、外に出たい』 茶倉が霊視した蝶たちはそれぞれ別の女の声で笑いさざめき、嫋嫋と啜り泣いていた。 小山内邸は巨大な虫篭。 哀れな蝶たちは籠に囚われ出ていけない。 それはまだ序の口で、一番ぎょっとしたのは小山内の孫と会った時。 茶倉には葵が見えなかった。 縁側の柱に凭れて座った葵に、頭のてっぺんから爪先まで蝶が群がっていたから。 してみると理一が居間で見失った蝶も、葵のもとに帰っていたらしい。 相棒が近付いた拍子に群れは散り、芋ジャージを着た少女の全身が露わになった。 早く手ェ打たな面倒なことになる。 茶倉は屋敷を行ったり来たり霊視を行い、元凶のしっぽ改め、風切り翅を掴むのに注力した。 理一が馬鹿げた提案をしたのはそんな時だ。 考えうる限り最悪のタイミング。 前々から空気が読めないヤツだと呆れていたが、さっきのアレは極め付けだ。 思えば様子が変だった。修行中の出来事を話せと執拗に催促し、玄の事を根堀り葉掘り詮索してきた。 話せる範囲の事はほぼ話した。 少年時代の玄が蝉に小便ひっかけられたことや箪笥の引き出しにエロ本隠していたこと、はては十五年前の稚児の戯の概要に至るまで、茶倉自身が教えても問題なかろうと判断した、当たり障りない上辺だけを。 茶倉が適当に端折った説明を聞いた理一は、「天下一武闘会みてー!」と少年漫画脳でテンションを上げていた。 それもまだ足りぬと見え、もっともっとと求められるのには辟易したが……。 「アホは俺か。自分までだましてどないすんねん」 白状すれば、やきもち焼かれるのが気持ちよかった。 理一が玄をねたんで探りを入れてくるのが愉快でたまらず、もったいぶって振り回していた。 結果、手痛いしっぺ返しをくらった。 理一はただ単に嫉妬してたわけじゃない、陰陽和合だの移殖だの小難しい事をあれこれ考えていたのだ。 移殖自体は可能だ、恐らく。 熱を出して寝込んだ日、あの時手綱を引くのが今少し遅れていたら、理一の胎を食い破りあいのこが孵っていたはず。 それをさせないために、茶倉ははるばる東北に飛んだのである。 腹の底が疼く。覚醒の兆し。 知らず片腕を胴に回し、沸々と滾る怒りを押さえ込む。 理一がいい奴なのは知っている。 身代わりになりたいと本心から望んでいるのもわかる。 だからこそ許せない。 十の時から数えて十六年、どん底で耐えてきた年月を否定されたようで。 「豆電消して寝れるヤツにはしょせんわからんねん」

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