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第15話

居間の襖を乱暴に開け、間髪入れず報告する。 「理一が消えました」 正一が腰を浮かす。 「どーゆーこっちゃ」 「あっちの部屋に黒い蝶が湧いて、何十枚も襖が現れたんです。したら向こうの座敷に葵ちゃんが倒れとって、アイツが助けに行ったんです。止めるのも聞かず」 「葵が!?」 雅が口を覆い絶句、正一が真顔で寄ってくる。茶倉は早口で続ける。 「北の和室わかります?鏡台と文机と化粧箪笥がおいてある部屋……畳の下に黒蝶の札が貼ってあったのご存知ですか」 「いいえ、初耳です」 「小山内さんが頼んだんやないんですね」 「身に覚えがありません。頼んだ、ということは以前も障りがあって拝み屋さんを呼んだんでしょうか?先代からは聞いてませんが」 「アレは同業が使てはる札ですね。たぶん蓋しとったんとちゃいますか」 「蓋?」 「押さえて言うた方がわかりやすいかな、立て付けの悪い襖を塞いどったんです」 正一が一歩踏み出す。 「アンタどえらい霊能者なんやろ、札の用途一目でわかへんのか」 「わかりません」 「んなあっさりと」 「俺も万能やないんです。あそこは跡取り筆頭にくせもん揃いで符に色んなもん混ぜるんがタチ悪い。敵は言わずもがな、同業者かて魔除けか呪符か見分け付かん細工を凝るんや」 御厨家は陰陽師の流れを汲む一族で、符作りに秀でた才能を発揮し、それぞれ用途によって使い分けている。 彼等が用いる符は五百以上存在し、門外の術師が種別を見極めるのは至難の業だ。 正一が渋々納得する。 「電気屋にしか回路や配線の仕組みわからんのと同じ理屈か」 「もっとはよ解けたらよかったんですが」 「うちのご先祖様が御厨さんて方にお願いして、その押さえのお札をいただいたんでしょうか」 「日記に書いてはるかも。見せてもらえますか」 「それなら蔵です、両親祖父母の物は全部移しましたんで」 「調べます」 「おいこら待たんかい」 話を打ち切り土間へ行く茶倉を、正一と雅が泡を食って追いかける。 「葵が蒸発したって本当ですか?」 「ええ」 「大変、通報しなきゃ!」 「かえってややこしゅうなるだけです」 「で、でもだけど危ない目にあってたら」 「家ん中で消えたとあれば真っ先に疑われるのは同居の家族です」 「雅さんはワシと一緒におったで」 「せやから面倒な事になるいうたんです、常識で考えればわかるでしょ、警察が超常現象信じるわけないて。神隠しは家の外で起きるもの、うちん中で消えたりしません。ありのまま話したかてよくて取り調べ、最悪キチガイ扱いで病院送り。どっちみち世間の白い目はまぬがれん、旧家の奥方には痛手やろ、ぐずぐずしとったら着付け教室の生徒さんもおらんなるで」 次第に苛立ち、メッキが剥がれた関西弁で捲し立てる。 「じゃあ黙っとけっていうんですか、もし葵の身に何かあったら……やっぱり捜索お願いしましょ」 「わからん人やな」 「だってそんな、私が疑われるなんて馬鹿げてます!動機は?」 「保険金かな」 「ッ!」 雅が下唇を噛む。 茶倉が靴を履きながらどうでもよさげに聞く。 「なんぼかけとるん。ご立派な友禅と同じ額?俺たち招いたんはアリバイ作りの一環で」 脳天に拳骨が落ちた。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!?」 「頭を冷やせ」 正一が怖い顔で仁王立ちし、茶倉は頭を抱え悶絶する。こぶができたかもしれない。 「理一と葵ちゃんが消えたのはわかった。せやかて焦ってもしょうがないわ、こんな時だからこそしゃんとせんと。雅さんに当たるんは論外や」 真っ直ぐ見詰めて諭す正一に、こちらも毒気を孕んだ視線を返す。 「これやから名前に正の字入る奴は好かんねん。正論しか吐かん」 残念ながら滋賀県警に知り合いはいない、従ってコネは使えない。 「連中土足で出入りさせてみい、全部の畳と襖剥がされて俺が見落としとる手がかりも見付からんようになる。門外漢に踏み荒らされたら困んねん」 「茶倉さん」 「からくりがあるはずなんや。理一と葵が消えた奥座敷に繋がる入口が屋敷のどっかに開いとるはず、襖かも知れん畳かも知れん蝶がスーッと消えた欄間かも知れん、どれかわからねんけどはよせな閉じてまうていらん勘が働くねん、見付けられるのは俺しかおらん」 理一がどんな目に遭ってるか、考えただけで堪忍袋の緒が焼き切れそうだ。実の孫がどんな経験をしてきたか知らないから正一は冷静でいられる茶倉は知っているアイツが悪霊や化け物に犯されどんな思いをしてきたか泣いて喘いでよがってそれでも許してもらえずどんなに苦しんだか 「蔵行って、日記見て、蝶々操っとる霊の正体や御厨との繋がりわかれば場所も絞り込める。畳の下は外れ、札は他にも沢山あった。総当たりしてくか?」 「落ち着きなさい。霊視はしたんやな?」 した。 何度も。 「黒いのが邪魔すんねん。ひらひらひらひら、あっちこっち飛び交って」 霊視に臨む都度、至る所から黒い蝶が湧き出て視界を妨げた。こんな事は初めてだ。 かっこ悪くて理一には言い出せなかった。 茶倉の肩を持ち凝視を注いでだ正一が、唐突ににっかり歯を見せる。 「ワシと雅さんが蔵を調べる」 「は?」 空白の表情で固まる茶倉をよそに、雅に目配せを送って草履を履く。 「調べ物は亀の甲より年の功にまかせとき、詳細は追って知らせる。アンタさんには適材適所で常人にできひんことやってもらわな……理一が言うとったで、今度どえらい敵にぶちあたった時は相方一人にええかっこさせん、半分持ってくて。これは思きし自慢やけど、孫は必ず約束を守る男や。契った相手がダチならなおさら反故にせん、ド根性で踏ん張り利かす、他でもないこのワシがそうきたえたんや」 そこで息を継ぎ、袋から抜き取った竹刀を直に担ぐ。 「理一と葵ちゃんはワシらで連れ戻す」 正一はここにいる全員を勘定に入れていた。 茶倉と対照的に。 「理一もむこうで気張っとる、せやさかい葵ちゃんは無事や。茶倉さん、アイツはな、アンタを日水村で守りきれんかったこと恥じてはるばる京都まで道場通いしとったんや。よくまあ飽きもせずせっせと、準決勝行った時かてあんな熱心に稽古せんかったで。なのに蝶々の化けもん如きに負けるかいな、冗談も休み休み言え、烏丸道場師範が免許皆伝した腕前やぞ」 老練な眼差しに不屈の闘志と覇気が漲る。 「一段金に飛車捨てあり、正道が駄目なら搦め手でいけ。ワシと雅さんは生憎霊感のォてアンタがゆー蝶々も見えへんねん、邪魔なら追っ払え、助っ人頼め。イケイケバリバリの霊能者さかい使えるやろ、てれぱしぃとか一反木綿とか禁じ手すれすれの飛び道具」 「一反木綿は妖怪やし」 「式神飛ばせ。知りたいことは本人に聞け」 正一が「行くで雅さん」と促し、足早に遠ざかっていく。 「……かなわんなあ」 稽古は二の次で、祖父が元気か確認するのが目的だと言ってたくせに。 軽率な思い付きじゃなかった。 アイツはずっと前から……日水村から帰ってすぐ、茶倉の半分を引き受ける準備を進めていたのに。 意を決し踵を返す。行き先は先ほどの和室。畳裏の床板に貼られた札をべりと剥がし、縁側から中庭に飛び下りる。 ここにも蝶々が舞っていた。 正一や雅に見えず、茶倉や理一に見える幻の蝶が。 行く手に円舞する蝶の群れが殺気じみた圧に散りゆき、逃げ遅れた数頭が翅の先から燃え、女の声の断末魔が上がる。 炎舞する蝶を突っ切り、茶倉は征く。 「四季おりおりの花ざかり 四季おりおりの花盛り 梢に心をかけまくも かしこき宮の所から しめの内野もほど近く 野花黄鳥春風を領し 花前に蝶舞うふんぷんたる 雪をめぐらす舞の袖 返すがえすもおもしろや」 たおやかに手を波打たす。翳した符が燃えていく。黒蝶の絵姿が火炙りに耐えかね、ゆぅるり羽ばたく。 「|春夏秋花《しゅんかしゅうか》も尽きて 春夏秋花も尽きて 霜をおびたる白菊の 花折りのこす枝をめぐり めぐりめぐるや小車の 法にひかれて仏果に至る」 玲瓏と澄む声で『胡蝶』の詞章を諳んじ、息絶え絶えにもがく蝶を追い出す。 「胡蝶も歌舞の菩薩の舞の 姿を残すや春の夜の あけゆく雲に羽根うちかわし あけゆく雲に羽根うちかわし 霞にまぎれてうせにけり」 宙高く投げ上げた符、そこから抜け出た蝶に向かい、想像上の弓を引く。 茶倉が射た矢には組紐が括られていた。 否。 それは組紐にあらず、一匹のミミズ。 弱々しく震える漆黒の翅にミミズが嚙み付く。哀れな蝶は暴れ狂い、青空の彼方へ逃げていく。 そして消えた。 忽然と。 『うちの式をいじめるな』 茶倉が霊力の切れ端を結んで空に放った蝶は、思惑通りに主人を連れてきた。 生温かく不穏な風が吹き抜け、葉擦れの音が降り注ぐ中、平安時代の貴族を思わせる和装の青年が出現する。 茶倉は涼しげに挨拶した。 「久しぶりやな、倅」 『ご無沙汰だな、孫』 「会わへん間に男前上げたな。眼帯は特注?似合うとるね」 『お前が抉ったんだろ』 「せやったっけ。忘れてもたわ、覚えとる値打ちもないし」 『噂は聞いてる。活躍してるみたいだな』 「おおきに」 『茶倉の家を出たんだって?』 「まあな」 『絶縁したのに姓を名乗り続けるあたり未練たらたらじゃないか』 「そっちはとんと評判聞かんけどひきこもり?俺にやられて精神病んだとか一族の恥として座敷牢放り込まれたとかデマかい、元気な顔見れて安心したで。チベットに修行に出された説もあったっけ、マニ車回しすぎで指紋擦り切れたんちゃうのん気の毒に」 『四十八手の突き回しは歓迎だがな』 「下ネタよせ」 『もっと過激な体位が好きか。揚羽本手?浮橋?卍崩し?』 若き陰陽師がうっそり笑む。 『口閉じて股開け。十五年前の続きがしたくて呼んだんだろ』 「ここで?どうやって?幻やんお前」 『独りでしてもいいんだぞ。好きだろ』 体内にとぐろ巻くどす黒いものが毛穴をこじ開け出てこようとする。 整った瓜実顔ににちゃり下卑た表情を浮かべた陰陽師が、右目を封じた眼帯にキザっぽく指を添える。 『右?左?見てほしい方で言え、末代までの語り草にしてやる』 眼帯には御厨の家紋の蝶が銀糸で縫いこまれていた。中性的な弧を描く柳眉の下、残る左目はすっきり切れ長の一重瞼。 ぬばたまの黒髪をうなじで束ねた風体は、よこしまな本性さえ知らなければ品行方正な貴公子で通じそうだ。 黒い瞳に底知れぬ侮蔑と嫌悪を滲ませ、冷え冷え茶倉を刺し貫く。 「ご期待裏切って悪いけどな、お前を呼んだのは仕事で聞きたいことできたからや。多聞」 『名前で呼ぶな』 稚児の戯で茶倉に片目を奪われた男、|御厨多聞《みくりゃたもん》が言った。

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