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悪夢の始まり

「ん……んぅ……」  パチパチと焚火の爆ぜる音に混じり、グチュグチュと湿り気のあるものが擦れ合うような音が薄暗闇に響く。いつの間に眠ってしまったのか、アランは重い瞼を擦り、怠さの残る体を起こそうと身を捩った。何やら深い沼地にハマり込んでしまう悪夢を見ていたのだが、覚醒したはずの今も下半身に違和感がある。 「な……ん、なんっ、なんじゃこりゃあ?!」  違和感の正体を探ろうと視線を下げた彼は、森に響き渡りそうなほどの大声を上げた。股間の辺りが、スライムと呼ばれる青く透き通ったゼリー状の魔物にすっぽりと飲み込まれていたのだ。身に着けていた衣服はその部分だけ溶かされてしまったようで、ヌメヌメとした魔物の体が直接肌に触れる感触がある。 「えっ、なんで?! いつの間に……ぃ……?!」  混乱しながらも立てかけてある剣を取ろうとしたアランだが、その体は突如跳ね上がり、その手は虚空を掴んだ。 「クソッ、こいつ……!! 中に、入って……!!」  ずるる、と汚らしい音を立てながら、スライムの体の一部がアランのアナルに入り込む。生温かい粘液を纏う変幻自在の魔物の体は、窄まっていたはずの穴をいとも容易く押し広げてしまった。 「やめっ、マジ、で殺すっ!! や、ああっ……」  アランがもがけばもがくほど、異物感は深いところにまで登り詰めてくる。それと同時に、寝起きのせいか硬く勃ち上がっているペニスがスライムの体に擦れ、生理的な欲望が彼を襲った。 「づあぁっ、やめろ、クソッ、クソッ、このクソが何でオレがぁ!!」  屈辱と恥辱、快感と不快感がその精神と肉体を限界まで追い詰めていく。エメラルドグリーンの瞳には涙が浮かび、引き締まった首筋を嬌声が震わせた。 「あァッ……く、そ、離せ!! や、やめっ……あっ……ぁ、いや、だ……」  やがて彼の声はか細くなっていき、最後まで剣を掴むことのできなかった腕は力なく地面の上に振り下ろされる。魔物の半透明の体の中に白濁の液体が広がり、すぐに吸収される。再び気を失うように眠ってしまった青年の体は、いつまでもピクピク痙攣し続けていた。 ◇◇◇  ここは村はずれの道を北東に進んだところにある小さな森の中。住んでいるのは低級な魔物だけで、比較的危険度の低い場所だった。 「クッソ~~~~!! 腹立つ!! このオレが!! あんな雑魚に!!」  アランは丸太を蹴り飛ばし、手に持った剣で周りの草木をでたらめに切りつけた。爽やかな朝を祝うように囀っていた小鳥たちが、その音に驚きバサバサと一斉に飛び去る。 「チッ!! 何だよ、昨日のあれは!! 夢じゃねぇのかよ?!」  彼は地面に剣を叩きつけると、短いダークブロンドの髪を掻きむしった。昨夜の出来事が夢でないことは、むき出しのままの下半身とベトベトと纏わりついたままの魔物の体液が物語っている。彼を襲った青スライムと呼ばれる魔物は、剣さえ振ることができれば子供でも倒せると言われている最も低級な存在だ。それゆえ、数多の討伐依頼をこなし村では上位の経験値を持つ剣士の彼にとって、あの出来事はプライドを傷つけるのに十分だった。 「マジで殺す……あいつ……ギタギタに切り裂いてやる……」  心の中は殺意に塗れているが、いかんせん急所を晒した半裸のままでは戦うこともできない。アランは木に掛けていたマントを羽織り全身を覆い隠すと、ドスドスと地面を踏み鳴らし村へと歩き始めた。 ◇◇◇ 「おはよう、アラン。討伐帰りか?」 「うぃー……っす。そっす、お疲れさんっす。じゃ、オレ急ぐんで!」  出迎えてくれた門番に引きつった笑顔を向けながら、アランは不自然なステップを踏んで駆け出した。途中の泉で体を洗い流しても魔物の体液は落とし切れず、腹の中には未だに異物感が残っている。  彼の家は村の南側。何としてでも、マントの下の間抜けな姿を人に見られずにそこまで辿り着く必要がある。  村の真ん中にある広場を避け、アランは建物と建物の間の影に身を隠した。息を潜めて通りの様子を伺っていたその時、背後から砂を踏む音が聞こえて慌てて振る。 「……ん、ん~~? アランじゃないか。そんなとこで何やってるんだぁ?」  アランの視線の先には、銀色の長髪を一つにまとめ、ずり落ちそうなほど大きくて厚い眼鏡を掛けた青年が立っていた。アランより幾分か背の高いその男は、黒い瞳で気怠そうに、しかし真っ直ぐ挙動不審の剣士を見つめている。 「なっ……せ、セルゲイ……お前、何でこんな時に……」 「こんな時って? そこはボクの家だからね、いつここにいたっていいだろう。それよりアラン。頼んでおいたアレは手に入れてくれたかい?」 「あっ……!!」  アランは焚火の近くに置き去りにしてしまったポーチのことを思い出して頭を抱えた。昨日、森へ出掛けたのは、幼馴染で科学者であるセルゲイからの依頼で薬草を取るためだったのだ。 「なんだぁ? また忘れてたのか。全く、君に任せるといつもいつも……」 「ち、ちげぇよ!! 取ったよ!! 昨日!!」 「……なら早く渡してくれよ。こっちにも予定ってもんがあってね」 「い、今はないから……その、後で……?!」  突然、セルゲイが足元に屈みこみ、アランは驚きの余り彼の肩を蹴り上げそうになった。 「な、何すんだよ?!」 「ここ、不自然に濡れてるね……それに何か妙な臭いがする。生臭いような……」  アランはマントの端をぎゅっと握り締めて体を隠すと、言い訳を探して口をパクパクと動かした。 「それはっ、そのっ……」 「何だぁ?」 「た、ただ、水浴びしただけで……」 「……ははぁーん。わかったよ、アラン。君、漏らしたんだろう? 昔からよく小便漏らしてたもんなぁ。怖い夢を見たとか言って」 「はぁああ?!」  突拍子もない推測にアランは声を荒らげる。 「そんなわけないだろ?! ふざけんな!!」 「なら本当のことを言いなよ。君が嘘をついていることくらい、ボクにはすぐわかるんだよ。何年の付き合いだと思ってるんだい?」 「ぐっ……」  真実を告げようにも、口を開こそうとすれば羞恥心が邪魔をする。結局、アランは押し黙ったまま俯いてしまった。 「はぁ。ボクもそんなに暇じゃないんだけど。まぁ、いい。ボクの部屋においでよ。この路地は裏口に繋がっているから」 「な、何でお前の部屋にっ……」 「そのまま帰るつもりかい? 村一番の剣士サマが、小便みたいな臭いを撒き散らして。そうしたいなら、お好きにどうぞ」  くるりと踵を返すセルゲイの背中をしばらく睨みつけていたアランだったが、やがて「クソッ」と小さく呟いてその後を追った。

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