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 味のしない食事を済ませ、食堂を後にする。 「それにしても、今日はなんだかリシェス君いつもと違う匂いがするね」 「ん、ああ……まあ」 「――僕好きだな、この匂い」  流れでリシェス様の体臭の話になり、あろうことかリシェス様に抱きつこうとする八代杏璃を見た瞬間、全身の血が湧き上がった。 「――アンリ様。リシェス様はこのあと私用がありまして、申し訳ありませんが僕たちはこれで」  居ても立ってもいられなかった。  二人の間に入り、やんわりとアンリをリシェス様から引き離す。 「ええ、そうだったの?」 「ええ、では失礼しますね」 「行きましょう、リシェス様」とそっとリシェス様の肩を触れれば、リシェス様と視線がぶつかった。  どういうつもりだ、と言いたげな眼だ。けれど、今の僕にはそれに対する正解は持ち合わせていない。そしてリシェス様も、心底嫌がっているわけではない。と思いたかった。  アンリの対応は至って普段通りだった。  そもそもアンリの普段というものを僕は知らないという前提ではあるが、「じゃあまたね、リシェス君」と手を振るやつが怒っているようにも気分を害しているようにも見えない。――が、それでもリシェス様に向けられた視線とこちらへと向けるその視線の“差”には嫌なものを覚えた。  じっとりと絡みつくような執念のような、そんな嫌な眼だ。  リシェス様を連れて、ただあの眼から逃げるように進んでいると、辺りから人の気配はなくなっていた。  リシェス様に「ハルベル」と戸惑いがちに名前を呼ばれ、はっとする。リシェス様の手を引いたままになっていたのだ。謝罪をして許してもらえたが、やはりアンリに対する態度のことについてリシェス様に尋ねられることになる。 「自分でも分からないんです」  何を聞かれたところで、僕のアンリに対するこの漠然とした感情について言葉にするのならばこれしかない。  頭の中で『一緒にしてはならない』と声が聞こえるのだ、なんてリシェス様に言うわけにはいかない。それこそ疲労、或いは精神面について余計な心配をされるだろう。  最悪変人扱いされ、ここまで築き上げてきた信頼を損なうことになってしまえばと思うと怖かった。  けれど、嘘ではないのだ。 「こんなことを言ってすみません」 「気にするな。人には合う合わないはあるからな」 「違います、リシェス様」 「何か言ったか?」 「……いえ、なんでもありません」  ――違うんです、リシェス様。  人間的な趣味や相性ではない。それを言うのならば、アンリの性格は受け入れ難いと言われるまでものではない。  心、違う、そのもっと奥にある本能的な部分が拒絶を示すのだ。それをリシェス様に伝えるには、あまりにも抽象的すぎる。  それから、僕はリシェス様を教室へと送り届けた。  結局僕とリシェス様の間には妙な空気だけが残ってる始末だ。  これならば、余計なことを言わなければよかった。リシェス様が形のないものやハッキリとしないものが嫌いということを知っていたのに、何故僕はあんなことを言ってしまったのだろうか。  授業中ずっと、そんな後悔ばかりが頭にあった。  そんな状態でまともに教師の話が頭に入ってくるはずもない。集中力散漫の状態で授業を終えることになる。  校舎内全体に響き渡る鐘を合図に、午前の授業は終わった。リシェス様を迎えに行こうかと教材を片付けていたときだった、教室の外がやけに騒然としていることに気付いた。  うるさいな、と何気なく目を向けたときだった。開いたままの扉の向こうからひょっこりと顔を出す人影が一つ、僕と目が合えば、やつはにっこりと微笑むのだ。  ――八代杏璃がそこにいた。

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