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第3話

3.答え 千早はその日を境に、本当にぱったりと俺の前に姿を見せなくなった。 あんなこと言ったって、そのうちすぐ押しかけてくるだろうと思っていたのに、LIMOも来ないし、教室にもやって来ない。隣の家なのだから顔を合わせてもいいのに、俺の外出するタイミングを見ているのか家の外でばったり出くわしもしないし、さりげなく千早の教室を通りかかってみてもなぜかいつも席にいない。 会おうと思えばいつだって千早の母親に取り次いでもらえば家に上げてもらえる。しかし、千早は「考えろ、選べ」と言った。答えが出ていないのに会いに行く訳にもいかないのだろう。 千早め。だいたい今、俺は大切な時期なんだぞ。一応受験生なんだけど。来週は期末試験だし、模試にも行かなきゃいけないし、推薦を狙ってはいるけど夏期講習にも行かなきゃいけない。真剣に幼馴染の男との恋愛に頭を悩ませてる場合じゃないんだけど。 「あーあ、も〜〜」 昼休みに弁当を食ったあと、何かと考えては思わず呻いてしまい、頭を机の上で抱えると、ちょんちょん、と肩をつつかれた。 「倖田くん、倖田くん」 「あ?なんだよ?」 思わずキッとそちらを見遣ると、 「なによ〜?怖い顔して。何、悩みごとでもあんの?ずっと眉間に皺寄ってんよ、最近」 と本田がムッとした声で言う。 「高3のこの時期、悩みごとのないヤツなんているか?」 「いるんじゃない?大学も決まりそうだし、わたしはあんまり悩んでないけど。あ、成瀬くんのこと以外は」 「…本田、まだ千早のこと諦めてなかったのかよ?」 「諦めるわけないじゃーん、あんなかっこいい子。彼女ができない限りはね」 「…諦めた方がいいんじゃない?」 「なんでよっ」 「だって…」俺は言った。だってさ。あいつ、俺のこと、好きなんだもん。たぶん、ずっと、この先も。「…無駄だから」 「ムダ?!ひどーい!!」 ムクれる本田を無視して俺は机に突っ伏した。ほんと、どうしろっていうんだよ。 なおも隣で文句を言う本田がうるさいので、静かな図書室にでも行くかと廊下に出た。 すると、前からもう懐かしいと感じる人が歩いて来た。ユリだ。 ユリは違う方向を見ていたが、前を向くと少し先にいる俺に気付いて、視線を合わせて来た。そして、ちょっとだけ微笑んだ。 ああ、いい子だな、やっぱり。と思う。俺も少し微笑んですれ違った。 ユリの顔を見ても、何故かもう胸は疼かなかった。去年は可愛いな、触りたいな、とずっと思っていたはずなのに。今だって可愛いとは思うのに、もう全然関係ない人みたいに存在は遠くなってしまった。 図書室に行く前に千早の教室を通りかかったが、やはり姿はなかった。一体いつもどこにいるんだろう。 扉を開けると、図書室は当然のことながらシンとしていた。自習室で一応勉強でもすっか、とそちらへ歩き出そうとすると、ハッと気付いて足を止めた。 千早がいた。こんなところにいるなんて珍しい。 千早はらしくなく真面目な表情でなにか分厚い本を読んでいた。目を細めると、どうも、昆虫か何かの図鑑を見ているようだ。 なんだよ勉強してるのかと思えば、と、俺は可笑しくなり、思わず「ぷ」と吹き出しそうになって口元を押さえた。そういえば、子供の頃も千早は虫が好きで、よく二人でセミなんかを採りにいっては籠にいっぱい集めて持って帰って母親たちに嫌がられたっけ。 しかし、今話しかけるわけにも行かず、俺はくるりと踵を返してまた外に出た。はー、とため息が漏れる。千早のやつ、俺を避けるために図書室に通っていたのだろうか。 さっき見た千早の真剣な横顔が頭にチラついた。単に昆虫図鑑を見ていたわけではないのかもしれない。何か考え込んでいるように見えた。 あのとき。ユリが家に来る日の前に、初めて千早が俺に触れてきたとき、あの日も、あいつはあんな思い詰めたような表情をしていた。 俺をギラギラした目で見つめて熱い手で触ってくる千早の顔は初めて見るものだった。目が据わっていて怖いような、でも俺のことを真剣に欲しているような、熱が籠ったその瞳に感電したようになって動けなくなってしまったのだ。 気持ちよくなって、でもなんだか千早の熱に浮かされたような顔を見ていると切なくなって胸がギュッと締め付けられるような気がした。 ああ、そうか。俺、あのとき選んだのに。 千早のバカ野郎。 あのとき、俺、選んだよな?お前を。 ユリを帰して、お前んちに行ったじゃないか。で、キスしただろ、俺。それが答えじゃん。なんで忘れてんだよ。 今さらユリのところに戻れだって?できるわけないだろ。勝手なことばかり言いやがって。 学校から帰って部屋に入ると、たった二週間くらい会わない間に千早が残した匂いは薄くなっているような気がした。 しかし、制服から部屋着に着替えてベッドに横たわると、まだどこからか薄っすら香りが漂ってくる。 くんくん、とその出どころを探ると、どうも枕からしてくるように思えた。千早の、髪にいつも付けている整髪料の香りかもしれない。 「千早…」 俺は枕に顔をうずめた。胸の中と腹の底が疼く。 『数兄…』俺を呼ぶ千早の顔と声が蘇る。腰のあたりが熱くなってきて、思わずシーツに陰茎を押し付けた。 「千早ぁ…」 下着に手を入れてそこを触ると、自分で擦り始める。俺ってバッカじゃねーの。男を思い浮かべて勃ってんじゃん。 ダメだ。がば、と俺は起き上がり、ドアを開けて階段を勢いよく駆け降りた。 「なに、数生?!うるさいわよっ?」 母親の声が飛んできたが、無視して靴を履き、玄関を急いで開けた。 1、2、3、4、5歩。たったそれだけで千早の家の門に着く。 千早の部屋の窓の明かりはついていない。留守だろうか、と思いつつもインターフォンを押した。 ピンポン、ピンポン、と鳴らしても出てこない。誰もいないのか?いや、前のときも何度も押したら、あいつ出て来たし。 なおもピンポンピンポン、と繰り返すと、しばらくしてガチャ、と扉が開いた。 「なに…?数兄…?」 千早がぼんやりした顔でそこに立っている。 「なんでお前はっ…。いつもすぐに出ないんだよっ!!」 「…寝てたから」 「寝てんじゃねー!!」 「は?どしたんだよ」 「どうしたもこうしたもあるかっ!!」 俺は門を開けて千早に詰め寄った。どん、と胸を押して玄関に入る。 押された千早は、よろ、と、よろけて上がり框にぺたん、と座りこんだ。 「なんだよ、怖い顔して、数兄」 「なあ、千早。忘れたのか?」 「…何を?」 「俺、あのときもこうやってお前んちに来たよな?」 「あのとき…」 「ユリが家に来た日だよ」 「…ああ、うん」 「あのとき、俺、選んだよな?」 「え?」 「あのとき、俺、お前を選んだ。それが、答えなんだけど」 「…数兄は…俺を、選んだのか?」 「そうだ。ユリはいい子だったのに…。俺、こないだユリに会っても、もう、なんとも思わなかった。その代わり、お前にしばらく会ってなかったら、なんか、こう…」 言うのが躊躇われて一瞬黙る。 「…さみしかった?数兄…?」 「……寂しかった」 「俺に、会いたかった?」 「……うん」 「数兄…」 俺は玄関に鍵を掛けると、座り込んでいる千早に近づき、腰を屈めてそっと身体に腕を回した。 「千早…」 ギュ、と抱きしめると、口元が千早の頭に当たり、柔らかな髪がちくちくと頬を刺す。 「数兄、俺のこと…」 「…好きだ」 ああ、何でだろ。何で、好きになってんだろ。 「ほんとに…?」 「うん…。お前なんて、弟のくせに…」 「数兄のことは、兄ちゃんだけど、本当の兄ちゃんだと思ったことないよ、俺は」 「そうだな。お前も、弟なんかじゃないな」 「うん…」 ギュ、と千早が背中に腕を回してしがみついてくる。発熱したのか、妙に熱くなったその頭をそろりそろりと撫でてやると、肩に顔を押し付けて来た。 「…数兄。俺と、できんの」 「うっ…。それは…おいおい…」 「おいおい、する?」 「うん…」 俺は腕を解くと、千早の顔を両手で挟んだ。目を閉じた千早の唇にそっと唇で触れる。すると、待ちかねたように、千早の舌が獰猛に動いて、俺の唇を割って入ってきた。 「んっ、千早っ、ここ、玄関…!」 「まだ、帰って来ないから…」 そう言うと、くるりと千早は身体を反転させ、俺を玄関先に倒した。 「おい、ダメだって…」 「もう、待てねえ」 「…ちょ、だから、せめて部屋にっ…!」 貪るように舌が動いて口の中を掻き乱され、息継ぎも出来ない。 あれ、なんか失敗したかな?俺。 飢えた動物に喰らいつかれているような激しいキスを浴びて頭の中が真っ白になって、もうどうにでもなれ、と思う気持ちと、いやいや待て待て、最後まではさすがにまだちょっと、という気持ちが葛藤する。 でも最近ずっと千早のことばかり考えていたせいか、触れられるところが次々と火がついたように熱くなってきて、俺の身体もこいつに会えてすっかり喜んでしまっているみたいだ。 分かった、もう降参。好きだよ、千早。 これからはこいつのこと、弟じゃなくて、なんて呼べばいいんだろ? そう思いながら、俺の理性は甘い息苦しさの中に溶けていった。 おわり

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