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1話 最後の夜に
深夜1時。パリの目抜通りを抜けた路地裏にあるArt Bar「PERSPECTIVE」には、樹以外の客は誰もいない。
「Bonvoyage, Monsieru. さよなら。」
チェックを済ませ、店の出口へ向かった樹(いつき)を、絵(かい)は柔和な微笑みで見送る。
さよならだと?
今までに絵はそんなことを言ったことがあっただろうか。
瞬間、樹はくるりと踵を返し、絵の一人佇むバーカウンターに舞い戻る。
「樹さん…、忘れ物?」
クロスでカクテルグラスを磨いていた絵が、心配そうに樹を見つめる。
樹は静かに絵の手からグラスを取り上げると、驚いて開きかけた絵の口元を塞ぐように強引に口付ける。
「どうやら、今夜が最後らしいからな。」
至近距離で薫る、樹の体温に深く深く溶け込んだ心地よいヴェチバーの芳香に、絵は思わず身体を硬くする。
意地の悪い言葉とは裏腹に、樹は甘く、絵の柔らかな唇に歯を立てる。
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