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2話 早朝のパリ

 早朝4時15分。  日が昇り始めたばかりで、西の方にはまだ月が見えている、朝ぼらけのパリの街。  ミレニアムコンラッドホテル1813号室で、矢柄樹は、シャワーを浴びる。  樹の朝は、日本にいる時もパリにいる時もかわらず早い。  長時間フライトによる時差ぼけの影響を最小限に抑えるために、決まって現地時間の4時に起きるのは出張の多い樹の拘りだ。  熱いシャワーを頭から被ると、その187cmある体躯はすこしづつ目を覚ます。  茹るような暑さだな。  頭の中で、こんな日に身に纏うべき香水に想いを馳せる。  国に寄らず、また男女問わず、夏場の香水を苦手とする人は少なくない。  だがその精悍で、すこし日に焼けて筋肉質な体躯に似つかわしくなく、どこか、柔さや脆さを心に秘める樹には、外界と、己の生身とを分つ鎧とするため、常に香水を見に纏う。  ウッド調で香りの飛びやすいオードトワレを、腕の高い位置に4プッシュ。講演会の聴講者にはフェミニストも多いと聞くから、ユニセックスな香り。柔和な研究員を演じる方が無難だろう。さしずめ、DIPTYQUEのヴェチヴェリオあたりが良いかもしれない。  今日纏う香水を決めると、すぐさまこの後のスケジュールに思いを馳せる。  今朝は7時に、ホテルのラウンジで軽く同僚たちと打ち合わせる。  それから9時半に始まる、講演会の会場に車で向かい、邦題で「脱炭素社会実現に向けたsocial 5.0」と題した講演会に午前の部で40分登壇する。   小休止を挟み、13時からは講演会事務局とランチミーティングを行い、午後の部にも再び40分登壇する。  珍しく、夕方以降の予定はない。  何をしようか。  樹は口に出してつぶやく。  講演会場は、目抜通りにある。  老舗ブランドの旗艦店、オーダーメイドテイラー、そして、行きつけのパフューマリー。  いずれも悪くはない。 悪くはないが、特段、心惹かれるわけでもない。  講演会の後、どこかのテラスカフェで一杯やりながら考えるか。  樹は熱のこもるシャワールームを後にする。

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