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第1話
「あの、大丈夫ですか?」
突然かけられた声に、思わずそちらを見上げる。穏やかなのに不思議と通る綺麗な声だ。しゃがみ込んだ体勢から声の主を見上げたが、相手の身長がやたらと高いせいか、疲労で霞んでいる自分の視界のせいか、その顔までは確認できなかった。
「……だいじょうぶ、です」
言い終わるよりも前に、グラリと再び視界が揺らいで俯く。
「おっと、すみません」
そっと背中に添えられた手に、相手が自分に合わせてしゃがんでくれたことを知る。
「無理をさせてしまいましたね……」
別に無理なんてしていない。先程強引に終わらせてきた仕事に比べれば、本当になんてことないのに。それでも労わるように背中を擦られ、知らずに涙が零れてしまった。
「あ……」
そう呟いたのは自分の声だったか、相手の声だったか、それとも重なった二人の声だっただろうか。アスファルトに染みを作った雫を二人で見送った。
「いま、ハンカチ持ってないんだよな……」
彼はポツリと呟くと、自分のカーディガンを伸ばして、その裾で俺の涙を拭う。
「あの、すみません。本当にだいじょうぶです」
「うーん……」
滲む視界の中で、彼がカーディガンの下に白衣のような物を着ていることに気付いた。
「病院の、人……?」
「え? ああ、違います。私、そこの店でマッサージや整体を行っているんですよ」
「マッサージ……」
なるほど。だから白衣なのか。
「そうだ。少しお店で休んでいかれたらどうでしょう」
「いえいえ、そんな。ご迷惑をおかけする訳には……。それに、初めに比べれば大分楽になってきたので……」
「でも……」
彼がチラリと通りの方を気にする様子をみせたので、俺もつられてそちらを見ると、チラチラとこちらの様子を気にする通行人がいたり、待ち合わせらしい二人組の女性が何やらこちらを見ながらヒソヒソと囁き合っている。おそらく、悪く言われている訳ではないのだろう。それでも……。
「あの、やっぱりお言葉に甘えても良いですか?」
「もちろんですよ」
注目され慣れていない俺は、一刻も早くこの状況から逃げ出したくなった。
「立てそうですか? 抱えましょうか?」
「え!? いや、大丈夫です。立てます」
「では、無理せずゆっくり立ち上がりましょう」
「はい」
せーの、という掛け声と共に、細身だと思っていた彼の腕に、思いの外しっかりと支えられて立ち上がる。しかし、くらりと立ち眩みのように視界が揺れた。気付けば彼の腕の中。逞しい胸に額をぶつけていた。ふわりと良い香りがする。
「え?」
「やっぱり抱えた方が良かったかな……。くらくらしますか? 治まったら歩き始めましょうね」
子供をあやすように背中を擦られて混乱する。今の状況にくらくらしてますが……?
「ゆっくり深呼吸しましょう」
「は、はい」
ああ、駄目だ。大きく息を吸い込むと、なんだかめちゃくちゃ良い匂いがするし、息を吐き出していると、自分の息が相手に当たって気持ち悪くないだろうかと気になってしまう。
「耳、まだ赤いですね」
「あッ、や」
スリッと指先でなぞるように撫でられて、彼の白衣を握り込んだ。白衣の胸の部分にクシャッと皺を作ってしまい、慌てて手を放す。
「あ、ちがっ、今のは違くて……」
「すみません、いきなり触ったりして。くすぐったかったですかね」
「はい。……あの、ごめんなさい。俺、昔からくすぐったがりで」
「へぇ……そうなんですね」
気分を害していないだろうかと、頭一個分上にある彼の顔をチラリと窺う。何処か観察するように細められた目は見間違いだったろうか。目が合った瞬間にニコリとした笑顔に表情が変わったようで、確かめることはできない。
「あの、そろそろ歩けそうです」
「よかった。じゃあ、中に入りましょうか」
「はい」
何故だろう……彼と連れ立って店の中に入る時、背後で僅かに黄色い声が上がったような気がした。
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