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受難は続く

 今日だけでもいいから仲良くね、とエリオットに忠告された。ガキかよ、いやガキだよな、とゴードンは相変わらずにべもない。モーは出掛ける直前、さも慮っているような顔で、交代しようかと提案する。勿論断った。 「彼ら、僕を何だと思ってるんでしょうね」  自嘲気味に口元を歪めれば、後部座席のハリーはこちらを見もせず、肩を竦めた。スピーチ用のカード原稿は3日前に渡している。何ならもう、丸暗記するほど目を通しているだろうに。 「そりゃ心配もするさ。君はこの街の世代間断絶の象徴になりかねないんだから」  草の根とはよく言ったもので、運動家は星の数。1つの組織にご退場願えば、新しい誰かがやってくる。  両親が線路沿いの低所得住宅者を訪ねて回っていた事は知っていた。確かに高速鉄道の騒音振動は近辺住民にとって、健康を増進するとは口が裂けても言えないだろう。だからと言って。 「平日に結構ピケ張ってたぜ。小規模過ぎて殆ど目立たなかったがな」  しれっと返すゴードンも憎たらしければ、息子に何も言わない両親も両親だ。この数ヶ月だけでも3、4度は実家へ帰っていたのに、匂わせもしなかった。それが開通式の当日にこんなこと。抗議運動の申請書が回ってきた時は目の前が真っ暗になるかと思った。騙し討ちも同然ではないか。息子を失脚させたいのだろうか。こんなのコンプレックスの克服云々なんて言っているより先に、パラノイアへも陥ろうと言うものだ。  ぎりぎりまで、同伴者を誰にするか議論は重ねられていた。正確には、ヴェラスコを降ろすか降ろさないかと言う2択の命題。結局、下手に隠すより堂々としていた方が良いだろうと言うハリーの鶴の一声で、晴れ舞台へ出席する権利を逃さずに済んだ。 「あなたに礼を述べるべきでしょうか」 「いや。寧ろ君の家庭を巻き込んで、申し訳なかったと思ってるよ」  殊更落ち着き払った口調で言ってのけるハリーに、感謝の気持ちを持つのは難しい。 「防音壁の施工は、急ピッチで進めさせたところで、早くて一年後だな。それまでは」 「大丈夫、彼らは戦い方を心得てます。今日のは念押しと、勝利宣言ですよ。今回も市民は勝ったんです」 「何だか専制君主にでもなった気分だ」  カーステレオから聞こえてくるサム・スミスの新曲は、既に迫り来る喧騒とブラスバンドの演奏、そしてシュプレヒコールに汚されている。駅へと続く18番通りは2車線道路で、普段ならばもう少し空いているのだろう── いや、今後はこの状態がデフォルトになる。新たな交通機関を立ち上げたら、それを利用する為に別の移動手段が混雑する矛盾。喜んでいるのはラッシュ時の便を増やすように要請された交通局のバス部門のみだ──信号で引っかかった隙に、ヴェラスコはラジオの音量を上げた。 「アニマル・シェルターへの寄付は続けてるし、屋台のサスティナブルなケータリング容器使用に関する法案も通したんだけどな」 「彼らは教えてくれるんですよ。自分達が今差し迫って困っていることは何か。僕達が気付かない事を」 「それはご両親の受け売りか」 「かも知れませんが、全面的に賛成します。理解するよう、努力しないと」  ぐるりと回って振り出しへ。車は駅舎をのろのろ周回する。今日だけ特別に、来賓用として規制が掛けられている地下駐車場へ滑り込む。少しの間黙り込んでいたハリーは、カードへ目を落としたまま、ぽつりと呟く事で、また全てを棚上げするつもりらしかった。 「もしも僕が、表彰式の時にフィル・アプトンに殴り掛かったら、舞台から引き摺り下ろしてでも止めてくれ」  そうではないでしょう。言いたい事、もっと別にあるでしょう。訴えることは、他ならぬ自分自身が言葉を飲み込んでいる有様なのだ。とても許されない。エンジンを止めるや否や、警備を統括するドルレアック市警察警視総監へ迎えられ、ハリーはにこやかに「やあポーリー」なんて手を振る。 「抗議運動の声が大きいな」 「ここは連中を集めている真下ですからな。会場へ入れば殆ど聞こえませんよ」  警視総監は駅の中を通る経路を使って、広場へと案内してくれる。連中の、恐らくは先頭に立つ両親と顔を合わせずに済むのは幸いだった。本当に幸いだとヴェラスコは思った。  当然、ハリーはかつてのセックス・フレンドを引っぱたく事なく、笑顔で市の鍵を渡して握手しながら写真に収まり(自身もぼやいていたが、真面目腐って摂り仕切られる様子を眺めていると、ギリシャの仮面劇を思わせる難解な儀式に見えてくるから不思議なものだった)ヴェラスコの書いた原稿に愉快なアドリブまで交えて、スピーチを終えた。  壇上に並べられたパイプ椅子に腰掛け、市長が来賓達と共に市立高校のマーチングバンドへ聞き入っている間、ヴェラスコはひたすら人の波を泳ぎ渡っていた。ドルレアックは全く優秀な男だ。市警の中でも特に大柄な警官達を配備し、現物客とデモ隊の間に人の壁を築いている。 「市の発展とハーロウ市長は言うが、彼が置き去りにしていく人間も間違いなく市民の一員だ。防音壁が完成するまで、彼らは強烈な騒音と振動へ、一時間に3度悩まされる。市長は一刻も早く、23日の議決に従う用意を!」  スピーカーで強調される濁声を聞き間違える事などない。制止しようとする警官を押し留め、衆目の前へ現れた姿に、父は一瞬、確かに言葉を詰まらせた。隣にいた母も、困惑に眉を顰める。「ヴェラ……」 「説得しに来たのなら無駄だぞ」 「訴えそのものに異議を唱えるつもりはない。父さん達は間違ってないよ」  拡声器を下ろさせ、ヴェラスコは爪先がぶつかり合いそうな位置まで、父に歩み寄った。昔は法廷で鷹のような鋭さを見せていた眦には深い皺が刻まれ、流れ込む汗が彼の疲弊を強調する。 「今日は、抗議活動じゃない。父さん達に怒りに来たんだ。どうして僕に黙ってたの?」 「あなたが止めようとするからよ、ヴェラ」  懇願と決然を両立させた口調で、母はヴェラスコの腕に触れた。 「あなたのやる事は分かるわ。自分が信じた道を貫き通す。そう育てたのは、私達だもの」 「僕は……僕らはやったよ。救済策が可決された。僕と市長が主導して立案した議題だ。遅かれ早かれ、問題は解決される」 「確かにお前はよくやってるし、ハーロウは善人なのかも知れんが、これまでの市長は皆『遅かれ』の言葉に甘えて、問題を棚上げしてきた」 「父さん、母さん、違うよ。僕は、僕達が正しいことを目指してるって、理解して欲しいんだ。理解さえしてくれていたら、こんな酷い真似……」  必死に訴える事の虚しさを知っているのは、他ならぬヴェラスコ自身だった。何故って、彼らは正しい。心は一つ。方法が違うだけ、なんてその場凌ぎの言い訳はもう通用しない。 「私達はやらなければならないの」 「市長のところへ戻りなさい、お前はお前の道を行くんだ、それでいい。私達はお前が戦い続ける姿を、誇らしく思うよ」  そうじゃない。彼らは何も分かっていない。  手を掴まれて引っ張っていかれる時、どういう訳か両親は振り解く真似をしなかった。驚き過ぎたのかも知れない。或いは信じていたのかも知れない。息子がこんな暴挙に出るなんて、決してあり得ないと。  人の波は割れてはすぐ閉じるが、ハリーはその震源地にいる存在を、決して見失わない。エメラルド色の瞳に射られ、ヴェラスコは頷いた。2人の間に通じ合うものを、こんなにもはっきりと感じ取れたことは、初めてだった。  慌てて手を振る両親を壇上へ向かうよう促せば、すかさず立ち上がったハリーが2人へ手を差し伸べる。肩を抱くようにして招き寄せ、マイクの前まで連れてくると、この街の市長は今日一番晴れやかな笑顔を、観衆へ振り撒いた。 「今日は特別なゲストがお越し下さいました。長年街の福祉に全身全霊を捧げ、今も数々の問題を提起し発信してくださるご夫婦……彼らこそが市民の声のそのものです。どうかシーロとカルラのヴィラロボス夫妻に盛大な拍手を!」  声なき声の代弁者だった2人は、場のノリに飲まれた軽薄で大仰な喝采に包囲され、立ち尽くす。  これでおあいこだ、とは言わない。心は凍りついたようで、硬直は全身に波及する。  氷結するのが一瞬だったように、解凍するのにも然程時間は掛からないだろう。何せ家族だから、大抵の事は許し合える。そうだろう? 父さん、母さん。  ハリーが再び壇上から視線を投げる。よくやった、と言っているのか、悪かったと謝罪しているのか、まるで宝石のように曇りないまなこ。完全に公共向けの顔付きだった。  それでも、理解出来る。群衆の中、ヴェラスコは手がじんじんと痛みを放つほど、一際力強い拍手を市長に送り続けた。

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