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第1話
新学期が始まって二か月ほど、大学構内の樹木の若葉も成長し、そのつややかな緑を惜しげなく視界に降り注ぐ五月、俺の好きな季節だ。
「月島先生、おはようございます」
「おはよう」
この季節は学生たちも初々しいなと思う。
「挨拶しちゃった」「めっちゃかっこいいね」「ほんと、横顔とか美しいって感じだね」
助教授という肩書を手に入れて5年目。始めは学生達の視線が煩わしく、研究だけに没頭できない日々に苛立ちを覚えることもあったが、最近は気にせず過ごせるようになってきた。
27歳という若さで助教授に抜擢されたことは幸運であった。海外での成果が評価されてのことだろうが、たまたま席が空いたという幸運もあったはずだ。
「あ、月島先生、おはようございます。今日は早いですね」
自身の研究室に出勤すると、まるで初夏の若葉のように輝いた笑顔を向けてくる音橋(おとはし)にため息がでる。
こいつはなぜいつもこんなに早く登校するんだ。
朝っぱらから、エネルギー満タンみたいな笑顔を浴びせられると、なんだかどっと疲れる。
大学院1年、音橋要(おとはしかなめ)。自分のゼミを持つようになって、初めての院生である。男らしい肩、たくましい腕、少し焼けた肌に、色素の薄い茶色い髪。俺とは何もかも違う。両親の愛情たっぷりで育ちました、みたいなこいつの満面の笑みが苦手だ。
「ああ・・・・音橋君は早いね、いつも」
「はい。コーヒー持ってきますね」
しかも、非常に気が利く。教師用の休憩所で無料のコーヒーが飲めることを知ってから、こいつは毎朝俺のためにコーヒーを運んでくる。院生がいない間は、準備や細かい指導を全部やらなければならなかったから、正直、こいつが院にあがってくれたことは、かなり助かってはいる。人づきあいが苦手な俺にとっては、万能な助手かもしれない。
初夏の若葉のようなさわやかな笑顔を二年我慢すればいいだけのことだ。
そう、院を卒業するまでの二年。この時の俺は、そう思っていたんだ。
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「音橋君?・・・・な・・・何してるんだ?」
資料室で過去の論文を立ち見していた。ゼミの後、学生たちが帰宅し、音橋は片づけに追われていると思っていた。ガチャリという鍵の音が少し気になったが、論文に没頭していたので、背後の気配にまったく気づかなかった。
「ずっと、好きでした」
後ろから抱きしめられ、耳元で囁かれる言葉に絶句する。いったい何が起きている?
斜め後ろをちらりと見る。ゼミを行う広い部屋の隣に、自分のデスクがある小さな資料室が併設されている間取りになっているのだが、今はその二つの部屋をつなぐ扉が閉められ、予想していた通り鍵がかけられているのが確認できる。
ここからだと逃げ場がない。どうするべきなのか、頭をフル回転していると、体におかしな感触が降ってきた。
手だ、服の下の肌に触れる大きな手を感じる。
「ちょ・・・ちょっとまった・・・おまえ・・・・どこ触って・・・・」
抵抗しようとしてもびくともしない。なんていう力だ。
「ずっと、我慢してたんです。でも、最近、二人きりになる機会が多くて、この資料室、カギ閉めたら密室になるな、とか考え始めたら・・・・すいません、我慢できなくて」
「あやまるなら、やめろ、いますぐ・・・ちょっ・・・・おい・・・まて・・・待って・・・・うぅ・・・あ・・・やめ・・・・」
「先生、自分で処理してないんですか?こういうことに興味ないんだろうなとは思ってましたけど、少し触っただけで、こんなになってますよ?」
「っん・・・あぁ・・・・やめ・・・・あ・・・んっ・・・・」
「あんまり大きな声だしちゃだめですよ。ゼミ室の方は扉開けっ放しなんで、廊下まで聞こえちゃうかもしれません」
「音橋・・・やめろ・・・手を・・・どけろ」
「そういわれても、体は嫌がってないですよ・・・ほら」
「あぁ・・・あっ・・・・やっ・・・・」
「先生、力抜いてください。入らない」
「バカ、やめろ・・・そんなところに入るわけ・・・」
「あ、少し入りました。もうちょっと、ね」
首筋をペロっとなめられてゾクリとする。意識が首筋に向いた隙を狙って、ぐいっと腰が持ち上げられる
「ひっ・・・っ・・・あぁ・・・やめ・・・やめて・・・・」
「全部入りました。ほら、先生、ここは?気持ちいいい?」
「っ・・・んん・・・・あ・・・・あぁ」
初めての感覚に意識がもうろうとする。息が苦しい、腹が突き上げられる。なんだこれは。
体の中に、男の、あいつの大きな物が入っているというのにひどく体が疼く、痙攣する、まるで気持ちがいいみたいに。
「あぁ!」
乳首を優しく撫でられると、俺は理性の制御を失った。
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体の力が入らず、床に座り込む俺を尻目に、音橋が涼しい顔で散乱した資料を拾い、乱れた室内を整頓していく。
とりあえず、渡されたティッシュで汚れたところを拭き、下着とズボンを引き寄せて急いで履く。
白衣で下半身が隠れているのが不幸中の幸いだ。その間も、頭の中はパニック状態で、何をどう考えればいいのかわからない。
そんな中、視界に通勤バッグが見えた。そうだ、とりあえず、帰ろう。帰って一人になって落ち着こう。全は急げだ。
「あ・・・先生、まってください。あの・・・」
突然動き出した俺に驚いて止めようとしてくる音橋を振り切り、俺は通勤バックを取って、逃げるように外へ出た。
家に着き、崩れるようにソファーに倒れこむ。起こったことを整理しようとすると、途端に大きな手の感触が蘇ってきた。
体中にあいつの手の感触が残っている。耳元で囁かれる愛の言葉、無理やり奪われた唇の感触とそれとは相反する優しい舌の生暖かさ。思い出して、再び反応し始める自分の体に苦笑する。
「生物学的に日ごろから処理することが必要だったんだ。なまけていたせいで、こんな事態に・・・・」
いや、そういう問題なのか?女性からはモテるほうだ。学生時代は、数人の女性と交際したこともある。
ただ、煩わしいことが多く、自分と恋愛の相性は悪いと判断して、ここ数年はそういったこととは無縁だった。
「俺は31だぞ・・・31で初体験・・・・初体験って・・・なんだよ・・・」
これ以上考えても、生産性はないと判断し、酒を飲んで早めに寝た。なかったことにしよう。そう、何事もなかったかのように・・・・
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