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第1話 *
雨の日に鳴るチャイムを、心待ちにしている自分がいる。
窓越しの水滴。薄っすらと白く曇ったガラス。そこに映っているのは、いつまでも前に進むことが出来ない情けない自分だ。涙を流す覚悟も、距離を置く覚悟も持たず、ただただ黙って傍にいる。
幼馴染という関係は、俺にとって唯一の縁 であり、また反対に一番の障害でもあったから。
――ピーンポーン
遣らずの雨は何処に降る
初めは、ただ鞄が当たっているだけだと思った。通勤通学ラッシュで満員の揺れる電車の中、それくらいのことはあるだろうと。
男で、しかもとりわけ整った外見でもない自分の身体を、好んで触るような奴なんかが居るわけがないと、そう決めつけて。しかし、そう思ってやり過ごしている間にも、事態は静かに悪化していた。
『なに……? なんでっ……』
ツンツンと尻を突いていた、鞄だと思っていた何かは、スルッと尻の肉付きを確かめる様になぞり、やがて足の隙間に滑り込んだ。鞄にしては柔らかくて、複雑な形をしている。なんて思っていたら、それが右の内腿から股間の下を通って左の内腿へと移動する。ビクリと身体が震えて、邪魔にならないようにと前に抱えていたスクールバッグを強く抱きしめた。
『当たっていたの、鞄じゃなかったんだ……!』
制服のスラックス越しに、下から睾丸を擽るように指先でスリスリと擦られ、そのまま股のスラックスの縫い目を辿るように隙間をなぞって、尻の窄まりの辺りをぐいぐいと押し上げられる。驚きと刺激に漏れそうになる声を必死に押し殺して、抱えた鞄に顔を埋めた。幸いにもドア側にいたので、前の人に顔を見られることもない。
「んぁっ……! ふ、っ、あ……ぅ」
なんだこれ。どうすれば良いんだ。大きい声を出して助けを……いや、でも男が痴漢されているなんて信じて貰えないだろうし、それに何より恥ずかしい。このまま何駅かやり過ごせば良いだけだ。大丈夫、女の子じゃないんだから、そんな取り返しのつかないことにはならないだろう。少しだけ我慢をして、耐えれば良いだけ……。
そう思っている間にも、身体を這う手は動きを止めない。先程の、睾丸を擽ってから股間と尻の間をなぞって、尻穴を押し上げてくる動きを何度も繰り返してくる。
「やっ、あ、……んっ」
だんだんと明確に刺激を拾うようになってしまい、漏れる吐息が声になる。必死に唇を噛みしめると、内股が震えた。電車の揺れも相まって、身体がバランスを崩しそうになったが、なんとか足を踏ん張って耐える。しかし、その際に周りの人の足を踏まないようにしたら、女の子の内股のような変な体勢になってしまい、痴漢の手を太腿にしっかりと挟み込んでしまった。どうやらそれが、痴漢を煽ってしまったらしい。
「……誘ってるの?」
知らない声。思っていたほどおじさんではなさそうだった。おじさんというより、お兄さんに近いのかもしれないが、低く掠れた、ひどく熱っぽい声をしている。
俺は必死に首を横に振る。けれどもそれは伝わらず、身体を弄る手は大胆さを増した。両方の手で尻を大胆に揉みしだき、俺の耳をべろりと舐めてきたのだ。
「ひぁっ」
「耳も感じるんだ」
その息の湿度を感じるほど、直ぐ近くで声がする。唇の動きや振動が分かった。きっと一ミリと離れていない。ごぷぷっと音がして、耳の中に熱い何かが入ってきた。本能的に逃げようと動く顔。しかし、いつの間にか反対側に添えられていた手に止められて、固定され動けない。
「っ……ふ、ぁ、っいや、ぁ……」
水の中で溺れているような音が絶えず聞こえてくる。くすぐったいようで、耳の中にナメクジでも入ってしまったような恐ろしい感覚。溢れた涙で視界が滲み、漏れる声を必死に片手で押さえる。
「っんぁ!?」
「肌着、着てないんだ? 危ないよ……。ほら、見て。このエロい乳首がツンと勃ってるの、周りの人にも見られちゃう」
「ひ、あ、……っあ!」
いつの間に力が緩んでいたのか。抱えていたスクールバッグと身体の間に出来ていた隙間に、節くれだった男の手が入りこみ、ワイシャツ越しに胸の突起が摘まみあげられて、背中がのけ反る。後ろに立っていた男の胸板に背中が当たって、その安定した姿勢にさらに体重を預けてしまった。
「……甘えてるの? かわいいね」
「ちが、……ちがうっ」
「ほら、自分で見てみなよ。もうこんなコリコリになってる」
男に言われるがままに視線を下げると、すっかり腫れあがった乳首がワイシャツを押し上げて僅かな皺と膨らみを作っている。男は更に見せつけるように「ほら、凄いね」と言いながら、ワイシャツの下の方を引っ張って、勃ちあがった乳首を強調させた。
「いや、っあ……」
「あーこれ、思いっきり舐めしゃぶりたい……ねえ、このままホテル行こう? 学校なんてサボっちゃってさ」
そんな言葉と共に再び尻が撫でられた時、運良く降車駅で扉が開いたので、精一杯の力で男を振り切って扉の外へと飛び出した。
「あっ、ちょっと!」
――プシュー
男を乗せた電車が再び発車して、安心した俺はその場にへたり込む。周囲の人たちは上手い事俺を避けて先へと進んでくれた。
足元しか見えないが、おそらく皆一様に迷惑そうな顔をしているのだろう。しかし、そうと分かっていても、まだ立ち上がれそうにない。恐怖に震える身体。
整わない呼吸と涙で滲む視界。そして……興奮を色濃く残した股間と、ワイシャツを持ち上げる勃立した乳首、火照った頬を、見られる訳にはいかないのだ。
「あれ? どうした、涼 」
……どうして、足元だけで分かってしまうのだろう。
「具合悪いんか?」
だって、その靴は二人で買いに行った物だから。お気に入りだからって、彼女がプレゼントした靴よりも、優先して履いてくれている靴だから。
「光冴 ……」
――なんで、こんな時に来ちゃうんだよ、お前は。
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