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第1話

「麻呂(まろ)は輝夜(かぐや)様に、十頭の牡鹿を捧げましょう」 「牡鹿十頭なぞ片腹痛いわ。吾(あ)は城を建てて進ぜよう」 「城など小さき鳥籠に過ぎぬ! 予(よ)は領地の山を献上じゃ!」  おのれ、なにを申すか! と三人三様で火花を散らす求婚者を前に、さきほどから輝夜は口を噤み、かつてないほど落胆している。 「……麻呂も吾も予も、私は好かぬ」  ようやく零した悲しい本音は、まるで水に墨を一滴垂らしたかのように、胸の奥まで広がってゆく。それは言葉にし難い不安となって、輝夜の顔を曇らせる。 『まだ幼い其方を竹藪で見つけたとき、なんともまあ可愛らしゅうて、腰が抜けるほど驚いたものだ』と育ての父が絶賛すれば、『いまも眩しいほど美しくて、光り輝く玉のようです』と、育ての母も褒めてくれる。そんな輝夜の三国一と称される美貌も、今宵は確実に、くすんでいるに違いない。  月族の輝夜は、二十歳の誕生日には稚球人(ちきゅうじん)のもとへ嫁ぐつもりでいた。だが、いまこの接見の間で対峙している求婚者三名のうち、誰かひとりを選ぶどころか、誰をも愛せる気がしない。  なぜなら輝夜が求めているのは虚栄や物欲ではなく、真心……いわゆる「真実の愛」だからだ。  輝夜の性別は、稚球で言えば男性──殿方に分類されるが、相思相愛の行為によって子を宿す稀少種、月族・殿組派生の末裔だ。逆に言えば、どれだけ睦みあったとしても、愛がなければ子は宿らない。  そこで敢えて言わせてもらうなら、愛のない相手と子作りに励めるか? それこそ無理と申すもの。でも、それでも早く心を決めてしまいたい事情がある。  じつはいま、輝夜の種族は絶滅の危機に瀕している。よって一日も早く愛する人と睦みあい、多くの子を成すようにと月族の長老から命じられ、この稚球へ派遣された。  ここで輝夜が選択を誤れば、一族は途絶えてしまう。……ややこしい説明は、後ほど改めて。いまは正直それどころではない。事態は一刻を争うのだ。  とにかく一族の命運は、輝夜に託されているのだった。  困惑する輝夜をよそに、求婚者たちは互いの胸ぐらを吊りあげたり、烏帽子を奪って畳に叩きつけたり、扇子で相手の顔を突いたりと、呆れるほど幼稚な争いを展開している。稚球の殿方の幼さに、結婚への想いはますます遠のき、冷めてゆく。  だが今夜こそ決断しなくては。なかなか相手を決められずにいる輝夜のために、わざわざ帝が厳選された御三方なのだから。……選考基準がよくわからぬが。 「私は、どうすればよいのじゃ……」  泣きたい思いで吐露すると、輝夜の狩衣の袖の下から、兎の耳がニュッと現れた。二本の耳をピンッと立たせ、心配そうに見あげてくる円らな赤目の持ち主は、白兎。輝夜の護衛・宇佐吟(うさぎん)だ。  年齢でいえば輝夜の倍だが、体の大きさは四分の一。両耳を高く伸ばして後ろ脚で立てば、輝夜の半分を少し超える……というわけで、じつは輝夜は結構小柄だ。ついでに、兎の庇護欲をそそるくらいには童顔だ。 「無理はなりませぬぞ、輝夜どの」 「宇佐吟……」 「二十歳の誕生日までに伴侶を決めねばならぬという法律は、稚球にも月にもございませぬ。輝夜どのがご自身に課せられた目安に過ぎませぬゆえ、お急ぎになりませぬよう」  ありがとう……と、輝夜は宇佐吟に微笑み返した。この可愛らしくも知的な護衛は、いつも輝夜の気持ちを最優先にしてくれる。  輝夜が養父母の養子になれたのも、筍掘りにやってきた養父をみつけた宇佐吟が、跳んで跳ねて歌って踊って、輝夜のいる竹藪へ誘導してくれたからだ。さすがは宇佐吟、人を見る目に長けている。  宇佐吟はいつも袖無しの袢纏を着ているが、どこから見ても普通の白兎だ。ただし言葉を自在に扱えるし、読み書きもできる。優秀で有能な護衛であり、家族も同然の大切な存在だ。宇佐吟は月で暮らしていたころからずっとこうして、輝夜の傍にいてくれる。 「気が進まぬなら、お断りすればよいのです。養父母どのは輝夜どののお気持ちを、必ずやご理解くださいましょう」  もちろん理解してくれるだろう。だが今夜は、もうわがままは赦されない。少なくとも輝夜は、そう思っている。  なぜなら求婚者たちが連日連夜この屋敷へ押しかけては、養父母に無理難題をふっかけるさまを見てきたからだ。「儂であれば輝夜様を孕ませられる」とか、「孕むかどうか、試しに夜伽をさせろ」などと、その傍若無人ぶりは聞くに堪えない。  そんな礼儀知らずの輩に対しても養父母は毅然とした態度を崩さず、「然るべき殿方のもとへ嫁がせます」と、輝夜の楯になり続けてくれた。  だが養父母は、もう七十を超えた。これ以上無理をさせるのは……忍びない。  十歳で稚球に降り立ち、はや十年が経過した。だから、そろそろ恩返しせねば。早く安心させてやらなければ。  だから輝夜は「二十歳の誕生日」という期限を自分に設け、御簾越しにではあるが精力的に嫁ぎ先候補と接見し、ときには歌を詠み交わし、文(ふみ)の交換も続けた。でも……。  その期限を明日に控えたいま、輝夜の心は、いまだ混迷の渦中にある。  輝夜の迷いがわかるのだろう。宇佐吟が後ろ脚で立ちあがり、輝夜の肩にふわふわの両手を添え、こんな言葉を口にした。 「このようなことを申すのは気が引けますが、帝の推薦を受けて参上したと申す真打ち御三方は、資産は潤沢で家柄もご立派でしょうが、著しく品格に欠けておりまする」 「……じつは私も、そう思う」 「それであれば、勇気を持って断りなされ」  ほれ、とばかりに肩を押されて促されるも、養父母の心労を秤にかければ、これ以上、別種族の存続問題に巻きこむのは心苦しい。 「ええい! まだ迷うておるのか!」  突然の恫喝に驚いて、輝夜はヒッと身を竦めた。  三人の求婚者がこちらを睨み、いまにも飛びかからんとするのが御簾越しに見えた。お近づきになられますな! と、養母が御簾を背にし、両腕を広げて輝夜を庇う。 「玉のような美貌というのは嘘なのじゃな?」 「そうだ、そうに違いない。だから一向に顔を見せぬのだ!」 「なんと、我らを謀ったか! ならば予が、この場で成敗してくれるわ!」  偽るわけがないのに。心から愛しあい、尊敬しあい、信頼しあい、多くの子を成し、安心して育める、永遠の伴侶を望んでいるだけなのに。  恐れよりも、悲しみが湧く。  輝夜に求愛する稚球人は、いつもなにかしら怒っている。血の気が多く、威張って短気で、どうしても好感を抱けない。同じ稚球人でも、養父母とは雲泥の差だ。  長考がすぎる自分も悪いという自覚はあるが、だからといって勢いに任せて決めてしまえば、きっと後悔する。なにせ自分だけでなく、一族の命運が懸かっているのだから。 「さぁ!」 「さあさあ!」 「さぁさぁさぁ!」  もう、これ以上引き伸ばすのは……。 「輝夜が怯えております。今日のところはお引き取りくだされ!」 「うるさい! 退け、この老いぼれ!」  ────いま、養父が突き飛ばされた。非難する間もなく御簾に手を伸ばされ、割って入った養母が押しのけられる。弱々しい悲鳴をあげて、養母が畳に蹲る。反射的に輝夜は腰を浮かせた。「顔を出してはなりませぬ!」と養母が止めたときにはもう、御簾を撥ねあげ、養母に覆い被さっていた。 「お怪我はございませぬか、お母様!」 「ああ……輝夜。わたくしは大丈夫ですよ」  養母を起きあがらせようと、背を支えたとき。  狼が兎を見つけた瞬間のような、獰猛な気配に緊張が走った。

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