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第2話

 おそるおそる目線を上げて振り向けば、欲望に染まった六つの目! 「噂に違わず、お美しや。いやはや、噂以上にお美しゅうございますのぅ」 「なんと目映い白肌ぞ、なんと艶めいた黒髪ぞ!」 「小兎のような眼差しに、椿の花弁のような唇じゃ」  我慢ならぬ……と三人が唾液を啜り、距離を詰めながら声を揃える。 「今宵、枕を交わそうぞ!」  無理──────っ!  おぞましさのあまり、輝夜は絶叫した。普段は生えない兎耳がピョコッと飛びだし、慌てて烏帽子の中に両耳を詰めこむ。そして輝夜は養母を庇ったまま、首を横に振って精一杯の拒絶を示した。 「まだ愛を育んでもおりませぬのに、ま、まま、枕など交わせませぬっ!」  表面張力でこらえていた涙が左右に散る。「おおっ!」と男たちが手を伸ばし、その涙を掌に受ける。 「真珠のように美しい涙でございますなぁ」  情けなく顔を弛め、麻呂が掌で涙を転がす。 「毎夜、泣かせてみたいものだ」  ほくそ笑みながら、吾が涙の匂いを嗅ぐ。 「涙がこれほど美味ならば、あちらの雫は極上の美酒じゃな」  掌の涙をベロリと舐め、酔わせてみよ……と下卑た笑いで、予がにじり寄る。 「ううう……っ」  おぞましさも限界だが、気絶するわけにはいかない。自分には大切な使命がある。 「いまは苦手でも共に暮らせば、好意や情が育つやもしれぬ」 「軽はずみなことを仰いますなっ」  狩衣の袖の下に滑りこんできた宇佐吟が、輝夜の指貫を両手でつかみ、早口で窘める。 「好意どころか、ますます嫌いになったら目も当てられませんぞ!」 「でも……ほれ、麻呂は雅で、穏やかであるし……」 「あれは、ひ弱と申しまする!」 「吾は、生気に満ち溢れておるし……」 「あれは欲張りというのです!」 「予は……予は……っ」 「あれは紛うことなき変態にございまするっ!」  断言されて、ますます背中に虫唾が走る。 「かくなる上は目を閉じて、指を差して、決めてしまおう」  運を天に任せかけたとき、「輝夜!」と養父が叫んだ。  輝夜を背に庇い、「心を偽ってはならぬ」と冷静に諭す。今日までずっと本物の父として慕ってきた養父の深い声に、輝夜の目からパタパタと涙が零れる。 「偽ってなど……おりませぬ」  強がりは、見抜かれていた。笑みを浮かべて首を横に振っているのが、その証拠だ。 「育てといえど、私はお前の父だ。親の目は欺けぬ。だから、輝夜……」  振り向いた養父が静かに言った。「自分のために生きなさい」──と。 「そうですよ、輝夜。自分のために生きたとき、初めて運は拓かれるのです」 「自分のために生きたとき……?」  養父母の愛情に心打たれたか、宇佐吟も切々と訴えてくる。 「輝夜どのが求める愛は、相思相愛でございましょう。興味本位と混同してはなりませぬ。無駄に急いて見誤りますな。我らの望みは、輝夜どのの幸せでござりまするっ」  袖にされたと思ったか、求婚者たちの態度が急変、恫喝に転じる。 「ええい、おとなしく聞いておれば! 屋敷に牡鹿の群れを放ってもよいのじゃな?」 「吾は界隈の山賊に命じ、屋敷を破壊させようぞ!」 「まどろっこしい! 予が火の矢を放ち、家ごと丸焼きにしてくれるわっ!」  なんと酷いことを……と輝夜は震え、膨大な悲しみに襲われた。  そもそも自分が稀少価値だから求められるのだ。珍しいから奪いあいになるのだ。優越感と所有欲を満たすための道具としか見られない我が身が、不憫でならない。  だが、こうも思う。悪いのは稚球人ではなく月族ではないのかと。子種を求めて稚球を訪れておきながら、そこに住む者に文句をつけるのは、考えてみれば図々しい。  だから……そもそも稚球へ来たことが、間違いだったのだ。  ついに答えに行き当たり、悲しみで目の前が真っ暗になる。だが、どうせ奪いあいになるのであれば、稚球も月も同じこと。 「だったら────月へ帰りたい!」  十歳で稚球へ送られる前、月から眺める稚球は青く、夢と希望に満ちていた。性欲が旺盛で雑草並みの繁殖力を持つ稚球人と愛しあえば、きっと次々に子が産まれる。その子らを月へ還元すれば、月族の未来は安泰だという長老の説に、輝夜は賛同したのだった。  生まれたときから輝夜の護衛を務めてくれる宇佐吟も、稚球へ同行してくれる。だからなんの不安もなかった。運命の相手と巡り会える将来に期待しかなかった。  いまとなっては月の輝きが愛おしい。蓬を摘み、兎組の皆と餅を搗き、団子をこしらえて食べた時間が懐かしい。親はなくとも、思い出は随所に残っている。  輝夜ははらはらと涙した。そして心を強く持ち、顔を上げて言い放った。 「子を成したい殿方は、ここにはおりませぬ!」 「なんじゃと?」 「いま、なんと申した?」 「もう一度言うてみよ!」 「何度でも申し上げます。私はあなた方のうち、誰のもとへも嫁ぎませぬっ!」  よくぞ申した! と、讃えてくれたのは養父母だ。 「其方の美貌は、稚球人を鬼に変える。鬼に食われる輝夜など、見とうない」 「そうですよ、輝夜。私たちを案じることなく、故郷へ帰りなさい」  今日までよく耐えましたねと慰められ、視界が涙で大きく揺れた。よき殿方と巡り会えますようにと、いつも応援してくれた養父母のためにも潔く月へ帰り、一から仕切り直すのだ。そしていつか養父母に、おかげさまで幸せになれましたと……報告したい。 「帰るぞ、宇佐吟」 「待っておりました、輝夜どの!」  なんだと? と、麻呂と吾と予は怒髪天だ。「なんのための接見じゃ!」と、今度は輝夜につかみかかる。 「輝夜どのに触れるな! この無礼者!」  畳を蹴った宇佐吟が、きえーっと奇声を発して宙返りした。いつも斜めがけしている神楽笛の紐を解いて手にし、くるくると回転させる。麻呂と吾と予が呆気に取られているすきに、輝夜は狩衣の裾を捲りあげ、脱兎のごとく庭へ飛び降りた。 「お父様、お母様、お達者で!」 「さらばだ、輝夜!」 「本物の愛をつかむのですよ!」 「はい、必ずや!」  宇佐吟が神楽笛を振り回し、武闘派の予と互角に戦っている。養父は吾の腕に噛みついた。養母も座布団を振りあげ、麻呂の頭を何度も叩く。飛ぶならいまだ、急がねば!  輝夜は月光の降り注ぐ庭を全力で駆けた。池を越え、垣根に飛び移り、煌々と輝く月に向かって両手を差し伸べた。 「月族の使者よ! ただちに迎えにまいられよ!」  予の顔面を蹴った宇佐吟が、反動を利用して高く飛ぶ。空中で何度も回転しながら神楽笛を横に構え、「ぴゅるり~っ」と吹いた。  刹那、黄金色だった満月が、真っ白に光った。  直後、稚球に追突するかのような勢いで、ぐんぐん迫ってくる。稚球ごと光に呑みこまれそうだ。 「あ……っ」

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