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第6話

「ぎゃあーっ! 栄蔵ぉおーっ!」  故郷の消滅に、輝夜と宇佐吟は悲鳴をあげて泣き崩れた。    感情が乱れすぎて飛びだした兎耳を、せっせと撫でて引っこめる。それを手伝ってくれながら、竹垣が「いいこと」を教えてくれた。 「プラネタリウムの満月は、電源さえ入れれば何度でも観られるから、泣くな」 「何度でも観られるのか? 本当に?」  しゃくりあげて訊くと、大きく頷かれてホッとした。仕組みは不明だが、池を覗けば顔が映る理屈だろうか。……まったく違うかもしれないが。  そうとも知らず号泣してしまい、竹垣には大層な心配をかけてしまった。 「警察は……行っても無駄だな。とりあえず俺の家でいいか」  休憩できると聞いて、張っていた気持ちがゆっくりほぐれる。正直とても疲れた。一刻も早く畳で横になりたい。 「月に帰れるのであれば、どこでも構わぬ」 「帰れるかどうか俺には保証できないけど、一時避難所にしていいよ。明日は金曜だから仕事も休みだし。完全週休二日制で助かった。終日きみたちに時間を割ける」 「完全……しゅうきゅう二日制、とは?」 「一週間のうち二日、仕事を休むこと。西東京プラネタリウムの休館日は毎週月曜日だから、その日は全員が一斉に休む。社員は月曜以外にもう一日、休みを取るべしという規定があるんだ。簡単に言えば、俺の休日は毎週月曜と金曜ってわけ」 「ほぅ……」  いまだ多くが不可解なまま、輝夜と宇佐吟は屋外へ連れだされた。 「今夜は満月だから、いつもより空が明るいな。夏だから、日も長いし」 「……明るすぎて、よくわからぬ」  空はまだ濃紺色には染まっておらず、昼間の青さを残した灰色だ。それでも空に白い月が見えるはずだが、地上の建物の多さや、光や音や匂いに惑わされ、思考も心も掻き乱される。いいとか悪いとかではなく、稚球と地球の大差に、ただ呆然とする。  こっちだよと手招かれ、一歩一歩確かめながら進む足元は、岩板のように固い。履物が薄い襪だけでは、足の裏がたちまち熱くなる。この星の地熱は相当なものだ。  気づいてくれた竹垣が、「履物がなかったか」と言うや否や、輝夜と宇佐吟をひょいと脇に抱え、白くて四角い、座り心地のいい輿の後方に乗せてくれた。  この輿の中も蒸して暑いが、前に座った竹垣がいくつかの操作をすると、なんと冷風が吹いてきた。「貴様、魔物か!」と宇佐吟が神楽笛を剣のように構えるが、竹垣が黒い輪を両手で回すと輿が動き、とたんに足場が不安定になった。危ないから座ってと注意され、わかった、と慌てて正座する。 「それにしてもすごい術じゃ。誰も担いでおらぬのに、勝手に輿が動いておる」 「これは術じゃなくて、車。移動の道具だよ。ガソリンや電気で動くんだ。ガソリンと電気を説明するのはややこしいから、そういうものだと理解してくれ」 「……説明されても、よくわからぬ」  うしろの席から外を見れば、似たような箱状の輿が他にも走っていると気づいた。 「駐車場から出て、いまから車道を走って、街を抜けて、俺のマンションへ行く。ちなみにマンションというのは、家。そしていま俺が握っているのは、ハンドル。これを右や左に回して移動すれば、家に到着だ」 「わかり申した。難しすぎて理解はできぬが、そういうものだと認知しよう」 「ありがとう。話が早くて助かるよ」  ほっとしたように言った竹垣が、はんどるとやらを器用に回し、駐車場をあとにした。  車道には、いろんな車が溢れていた。屋根のない二輪の車、うしろになにか積んでいる車、色や形も多種多様だが、竹垣の車のように全体が白くて、下のほうに小さな黄色の札がついた車が、前と隣を走っている。わりと多い種類なのだろうか。  視界に入るものすべて、稚球や月にはないものばかりだ。不安は増すが、輿の乗り心地はいい。様々な格好をした者たちが両脇の細い道を行き来しているのも楽しい。建物も不思議だ。三角屋根、四角屋根、文字や絵が描かれた板が、あちこちに立っている。  かなり高度な文明と推察する。いまだ半信半疑だったが、もう認めるしかない。自分は本当に別世界に来たのだ。 「この輿は早いのう。中に入っているのは牛ではなく、きっと馬だな」 「馬じゃないけど、まぁいいか」  竹垣が肩を揺らして笑うから、輝夜もつられて口角が上がる。なにを訊いても快く教えてくれるから、質問が止まらない。 「夜空に蛍が飛んでおる」 「飛行機だよ。空を飛ぶ車のようなものかな」 「城があるぞ、竹垣!」 「あれは和食レストラン。食事をする場所だよ」 「ふたつの黄色い山が、月より煌々と輝いておる!」 「ハンバーガーショップの看板だよ。ハンバーガーっていうのは、パンの間に野菜と肉を……、パンっていうのは、小麦を練って焼いたもので……」  説明が難しいなと首を捻った竹垣が、「近いうちに食おう」と返してくれたから、輝夜はその場で飛び跳ねた。車が揺れ、慌てて脚を胡座に組むが、顔の弛みは戻らない。なぜなら輝夜は、食べることが大好きだから。 「あっちは城壁か? 四角くて頑丈そうな壁が、いくつも建っておる」 「あれは住まいだ。マンション、アパート、コーポ、団地。いろいろな言い方がある」 「大きな住まいじゃのう。このあたりの領主の屋敷か?」 「そうじゃなくて、窓ひとつが一世帯……家族とか独身とかの違いはあるけど、あのマンション一棟に、約三十世帯が暮らしている。例えるなら……なんだろうな」  うーん……と首を傾げる竹垣より先に、「わかった!」と輝夜は声を弾ませた。 「長屋じゃ!」  当たりか? と訊くと、竹垣が肩を揺らして笑った。 「確かに長屋だ。以前プラネタリウムで平安京の特番を上映したとき、庶民は長屋で暮らしていたって解説した記憶がある。長屋は江戸時代が発祥だと思っていて……あ、輝夜くんは江戸時代を知らないか」  知らないと決めつけられてしまったが、確かに知らない。 「えどじだいとは何者じゃ? と訊きたいところだが、質問に質問を返していては、最初の質問を忘れてしまう。ところで、最初の質問はなんだった?」  真面目に訊いたら噴きだされた。そこまで大笑いされる理由がよくわからない。  よくわからないが、竹垣に質問するのは楽しい。

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