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第5話

「……似ているようで、ちょっと違うね」  はは、と楽しくなさそうに笑われたうえに、「どこか打った?」と心配された。  いまだに噛みあわない会話を信用すれば、この殿方は、ちきゅう人はちきゅう人でも、輝夜の知っている稚球とは異なる星……地球の人であるらしい。ということは! 「輝夜どの。これは、もしかしたら、もしかしますぞ」  宇佐吟も事態を察したのだろう。輝夜の腕の中でブルッと震え、ちきゅう違いの殿方に聞かれないよう声を落として囁く。 「急いで月に帰りますぞ、輝夜どの」 「ああ。そうしよう。一刻も早く月へ帰ろう」  そう言って空に右手を伸ばし、新たな不思議を発見してギョッと目を剥く。  いま気づいたが、この上空で輝く満月は、まるで絵に描いたように平たい。間違いなく満月だが、なにかがおかしい。それでも輝夜は必死で月に呼びかけた。 「月族の使者よ! もう一度迎えにきてくれ、降りてきてくれ、満月よ!」  待てよ、と殿方が困惑しながら手を伸ばす。ちょっと落ちつけ、と肩に置かれた手を振り払い、「早う来てくれ!」と半泣きで満月に縋った。だが満月は静かに佇むばかり。 「降りてこないよ、映像だから」 「えいぞうとは何者じゃ!」 「この月のこと。映画の映に、銅像の像と書いて、映像」  わかる? と訊かれ、わかる! と返した。栄華の栄に土蔵の蔵。景気のいい名をつけられたものだ。 「満月の栄蔵は、なぜ降りてこぬ! 大勢いた月族の使者は、いずこ? 雅楽隊はどこへ消えた? お父様とお母様まで消えてしまわれた!」 「落ちつかれませ、輝夜どの。わたくしの笛の音であれば、必ず月まで届きまする!」  宇佐吟が脚を踏んばり、神楽笛を横に構え、ぴゅい~っと吹く……が、来ない。再度吹いても、やはり来ない。息を止めて祈るように待てども、来ない。栄蔵が近づいてくる気配もなければ、使者が奏でる雅楽の演奏も聞こえない。 「誰も来ぬではないか、宇佐吟。法螺を吹くでない!」 「法螺ではなく、神楽笛を吹いておりまする!」 「────もしかしてきみたち、地球外生物?」  ふいに質問をねじこまれ、輝夜はギョッと身を強ばらせた。 「だってきみ……生えてるよ、兎の耳が」  指さされ、輝夜はハッとして頭を押さえた。 「しまった、冷静さを欠いてしもうた! 烏帽子も途中で落としてしもうた!」  頭に押しこむようにして耳を引っこめるが、目撃されたあとでは隠す効果も半減だ。  この星以外の生き物なのかと訊かれたようだが、認めた瞬間に捕らえられ、牢屋に放りこまれるだろうか。そんなことになれば、故郷へ戻れなくなってしまう。  宇佐吟と顔を見合わせ、互いに「これ以上、余計なことを申してはならぬ」と暗黙の了解で口を閉ざすが、殿方は柔和な表情で歩みよる。こちらは冷や汗をかいているのに。  動じないところは敬服するが、下心を巧みに隠しているだけかもしれない。いままで輝夜に求婚した者は皆そうだった。優しい文を送り続け、懐かぬとわかれば掌を返し、恨みつらみをしたためてきた。だから警戒を解いてはならない。ならないのだが……。 「プラネタリウムで働いているからってわけじゃなく、俺は地球以外にも生物がいて当然だと思っている。だから、きみたちが月から……地球から見える月とは違うようだけど、別の星からやってきた、もしくは別次元からワープしたと言っても信じるよ」  怖がらせまいとして、穏やかに語りかけてくれる姿勢は好ましい。警戒を解いたわけではないが、対話は必要だ。よって、こちらからも質問を試みる。 「わーぷ……とは?」  おそるおそる訊くと、殿方が上を指して目尻を下げた。ますます好ましい顔になる。 「瞬間移動だよ。一瞬で別の場所に移動すること。……折しも今夜はスーパームーンだ。月と地球の最接近によって発生した引力が、なにかの弾みで宇宙空間に影響を及ぼした可能性も、無きしにもあらずだ」  殿方の丁寧な解説に、不安が少々和らいだ。この殿方は両腕と胸筋だけではなく、心も逞しいとお見受けする。 「きみ……輝夜くんの装束は、どこから見ても平安時代だ。鳴くよウグイス平安京の七九四年から、人々反抗の一一八五年までが平安時代だから、過去からタイムスリップしてきたのかと思ったけど……」  言葉を濁した殿方が、ちらりと横目で宇佐吟を見た。 「言葉を操る兎は、歴史上存在しない。過去だけじゃなく、この現代にもね」  そうなのか? と宇佐吟が耳を真横に倒して呆然とし、ああ、と殿方が困惑顔で頷く。 「だからきみたちは平安時代から来たのではなく、この地球の……日本の平安時代とよく似た文化を営む、別の星からワープしてきた。そう考えるのが妥当だ」  殿方が宇佐吟に向かってひとつ頷く。当の宇佐吟は神楽笛を斜めにかけ直し、プイッとそっぽを向いた。どうやら自分を理由に断定されたのが悔しかったらしい。  殿方の仮定に賛同するかどうかは別にして、このよくわからない状況を冷静に分析し、対応してくれる姿勢は好ましい。地球人は、みなこのように友好的な性質を持った生物なのだろうか……と、ようやく開きかけた心より先に、戸が開いた。 「なんだ、まだ作業中か」  押して開く戸から入ってくるなり大声を発したのは、恰幅のいい中年男性だ。殿方と同じ「かばーおーる」とやらの上に、白い上着を羽織っている。胸元には青い文字。  輝夜たち貴族は、御簾越しにもわかるような鮮やかな色を身につけ、個性を競うが、こちらの世界は同じ形や、似たような色合いを身につける慣わしでもあるのだろうか。  だが同じ装束を纏っていても、殿方のほうが上背もあり、何倍も格好がいい。 「あ、館長。お疲れさまです」  殿方が、中年男性を館長と呼んだ。一礼する殿方に対し、向こうは腹を突きだしたままだ。その態度から察するに、位は館長のほうが上らしい。長がつく者はたいていそうだ。 「なにをしている、竹垣(たけがき)。閉館時間はとうに過ぎているぞ」 「すみません。今日の最終上映で映像の乱れがありましたので、念のため、その部分をチェックしていました。とくに問題はみつからず、ひとまず業務終了です」 「だったら早く投映機の電源を落とせ。電気代が勿体ない」  了解、と返答した殿方……竹垣が、館長との会話の最中に輝夜たちを巨大蟻の陰へ押しこむ。館長の視界から消そうとしているようだが、無きものにされる理由がわからない。  輝夜は竹垣の脇をすり抜け、前に飛びだして声を張った。 「館長とやら!」  うわっ! と叫んだのは竹垣だ。なぜ驚くのだろう。失敬な。 「長の職に就く其方であれば、私を月に戻せるか……んぐっ」  大きな手で輝夜の口を封じた竹垣が、さっきまでの柔和な笑みとは異なる引きつり笑いで、適当に誤魔化す。 「すみません、館長。この子は……えー、今日のキッズ団体のメンバーで、俺の従弟で、まだまだ子供で礼儀も知らず……」 「子供とは失敬な。明日で二十歳じゃ」 「えっ、二十歳? うそ! ……っと、あー、明日二十歳で、海外生活が長くて、大河ドラマで日本文化を学んだせいか、着るものも言葉も平安かぶれで……っ」  なにを言っているのかさっぱりだが、館長は理解したようだ。さすがは人の上に立つ長の者。理解力が図抜けている。 「わかったわかった。いいから早く退館しろ。電気代の無駄だ」  そう言い残して開き戸の向こうへ去っていった。戸があるということは、ここは屋内。月が煌々と照っているから、てっきり外だと思っていた。 「えー、じゃあ輝夜くんと宇佐吟さん。電気消すよ」  巨大な蟻のうしろの、腰高な囲いに入った竹垣が、なにやら二、三の操作をした直後、一瞬にして満月が消えた。

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