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いじめられオメガの秘密 ①

 七月中旬。  梅雨の晴れ間で青空が広がる気持ちのよい日ではあるが、KANOUホールディングス東京本社・コストエンジニアリング部第二課(通称コスニ)では、小さな嵐が巻き起こっていた。  いつもは課長の恫喝に震えているだけの藤村が、小声ではあるが物申しているのだ。 「藤村、お前はコスニのメンバーを疑うつもりか!」 「い、いえ、そんなつもりでは……ですが昨日のご指示でデータを転送した際、ここ三か月はログインしていない私のIDが履歴に残っておりまして、もう一度確認をさせていただけたらと思」 「黙れ! とっくにチームから抜けたオメガ社員のIDなんか、誰が使うんだ!」  ダンッ!   大きな音でデスクを叩きながら課長が立ち上がり、目の前にあったペットボトルの蓋を開いて持ち上げた。 「!」  中身を藤村にかけるつもりだ。  フロアの誰もがそう思い、藤村も覚悟を決めて……というより「憧れのお茶かけシチュエーション、キターー!」と、胸を高鳴らせてそのときを待った。  しかし。  長身で引き締まったフォルムの影が突如現れ、傾きかけたボトルを奪い取ると、中身を一滴もこぼすことなくデスクに置き直した。 「……え……?」  反射的に閉じた瞼を開けば、目の前には上質なスーツとネクタイ。   何が起こったのかとネクタイから目線を上げれば、そこには異国情緒漂う美麗な男が。  照明に反射して輝く髪は、緩い癖のあるヘーゼルブラウンで、くっきりとした二重に縁取られた瞳は琥珀色。鼻も唇も形よく、品よく配置されている。 (この人は……) 「キャー!! 光也様、光也様よ!」 「叶専務!? 新専務がなぜここに!?」  女性社員の田中と鈴木は手を取り合って黄色い声を上げ、男性社員たちは顔を見合わせて確認し合う。  コスニのフロア内は騒然となった。  当の叶光也はかまうことなく、筋張った大きな手で藤村の両腕を掴む。 「大丈夫でしたか!?」 「あ、はい……」  お茶がかからなかったかを問われているなら大丈夫ではあるが、おいしいシチュエーションを奪われてプチショックの藤村は呆然としている。  光也はそんな藤村の顔をじっと見つめた。まるで、眼鏡と前髪で隠した素顔を探るかのように、しばらくの間ずっと。 「あの、専務?」 「千尋……。 藤村、千尋。千尋……君、ですね?」 「え? は、はい。そうですが……」  妙に念入りに名前を確認される。いったいなんだというのだろう。専務はオメガの社員が珍しいとでもいうのか。いや、それよりも専務ともあろう人が、コスニになんの用だろう。  千尋が戸惑いいっぱいに視線を向けていると、光也は満足気にうなずき、整えるように息を漏らしてから、輝かしいばかりの笑みを千尋に向けた。 「藤村千尋君、今日までよく耐えてくれました。君のような優秀な人材を失わずに済んだこと、本当に嬉しく思います。今日から君を専務執務室に配属とし、第一秘書に任命します」 「……はい!?」  千尋の声は、いっそう大きくなったフロアのざわめきにかき消された。  光也は「ちょっと待っていて」と優しく言うと、口をぽかんと開けて直立している課長と向き合った。  先ほどの笑顔とは一転して、冷めた表情になっている。 「茂部(もぶ)課長、あなたのパワーハラスメントを現行確認しました」  一気に室温を下げそうな低く冷たい声に、課長は青ざめ、凍りつく。 「これまでの行為もすべて報告を受けています。あなたをしばらく停職処分とし、追って処遇を決定します」  そんな! と言う課長のやっとの声もまた、社員たちのどよめきにかき消された。  課長はへなへなと床にへたり込み、光也の後ろに控えていた秘書らしきグレーヘアの男に支えられて、コスニから連れ出される。  あっというまだった。  突然の異動を言い渡された二人のうちの一人の千尋はもちろん、男性社員たちは困惑と戸惑いで眉根を寄せて立ちつくす者ばかりだ。  だがそんな中、田中と鈴木の場違いな恍惚の声が聞こえた。 「氷の貴公子のご降臨よ! なんて鮮やか采配なのかしら」 「でも見た? 藤村君に向けられたあの麗しい笑みを!」 「もちろんよ。黄金比と謳われる美しいお顔に間近で見つめられて、助けていただけるなんて……藤村君の四年間の苦労が報われたのね……う、ぐすっ……」  二人の声が恍惚の声から涙声に変わる。  千尋は二人に視線を向けながら、頭の中をはてなマークでいっぱいにした。 (専務が僕を助ける? 僕の苦労? ……なんの話?)  千尋は百七十㎝近い自分より、更に十五㎝は高い長身の光也に視線を戻す。

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