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いじめられオメガの秘密 ③

「あのぅ、まずは下ろしていただけますか?」  いったいこれはどういうことなのか。  専務室に入ってからも腕から下ろしてもらえず、今度は光也の膝抱っこでソファに座っている。 「おや、私はこのままでもいいのですが、心地が悪いですか?」 「そうではなくてですね」  いや、心地はまったくよくない。  どこの会社に部下を抱っこする上司がいるだろう。それも子供かペットでも抱くようにやんわりと包むとは、心地悪いを通り越して気味が悪い。  千尋はマゾヒストなのだ。こんな扱いは寒気がする。 「残念ですね。遠慮しなくてもいいのに」  渋々感満載で下ろされたあとも鳥肌が立っているのを感じて、スーツの上から片腕をさすった。 「重なりますが、私は課長から不当な扱いを受けておりません。田中さんがどうおっしゃったかわかりませんが、私自身がそう感じているのですから、問題はありません。今すぐ課長の処分と、私の異動を取り消していただけませんか?」  ソファに座る光也の横で頭を下げて訴える。が、聞いているのかいないのか、光也は返事もせずに千尋の顔をじっと見つめてくる。 「専務、お聞きになっていますか?」  失礼は承知だ。背をかがめて光也の顔を覗き込み、目の高さを合わせた。 「……藤村君、ちょっと失礼」 「は? ……わっ!」  突然立ち上がった光也に眼鏡を奪われ、前髪をかき上げられる。見下げてくる琥珀色の瞳が長いまつ毛の間から覗いて、星が瞬くようにきらりと光って見えた。 「……やっぱり、間違い……ない!」  宝物でも見つけた子どものように瞳を揺らす。 「あのぅ? 何が間違いないのでしょうか。それより早く手を離してください。あと、眼鏡を……」 「これ、伊達眼鏡ですよね?」 (バレた! どうして?)   焦って眼鏡を取り返そうとするもかわされる。依然として前髪も上げられたままだ。 「私の顔、よく見えていますよね?」 「……や、その、あの……見えています。見えていますが、伊達眼鏡をかけてはいけない社則はないですよね?」  悪いことはしていないはずだが、千尋にとっては知られたくないことだった。  素顔を人に見られたくない。特にアルフアには。  きまり悪くて視線を外すと、光也の手の力がほんの少し緩み、静かなため息が額をかする。 「……眼鏡も髪も、このように美しい顔をなぜ隠すのですか?」  ぞぞぞぞぞ。  背筋に悪寒が走った。美しいなんて言葉、千尋にとっては不快でしかない。 「失礼ですが専務、社員の容姿について触れるのも立派なハラスメントだと思いますが」  首をひねって光也の左手から逃げた。眼鏡は取り返せないが前髪を戻し、再び顔を隠す。 (なにが美しいだ。じぃちゃんが大嫌いだったこんなオメガ顔、僕も大嫌いだ)  ──男なのに白い肌に赤い唇、瞳も濡らして! アルファを誘うような顔をするな!  そう祖父に叱られ、張り手をくらったこともある。 「確かにそうですね。でも……」  光也は千尋の眼鏡を自身のスーツの内ポケットに収めてしまう。 「上司として部下の身だしなみに進言するのはかまわないですね? 君は今日から私の第一秘書なんですから」  背の高い光也に見下ろされる。隙なく整った顔は美しいが、口答えを許さないような重圧感があった。 (うっ! これはこれでおいしいかも。氷の貴公子と呼ばれる専務に「俺の指示に従え」とか言われるのも悪くないのでは?)  異動も、それも第一秘書になることに困惑しかない。それなのに、光也の高級そうなネクタイで手首を縛られて指示される自分が頭に浮かんで、無意識にうなずいてしまった。 (命令してください専務。眼鏡を床に落として、ひざまずいて拾え、とか、這いつくばってその高級そうな革靴を拭けとか!)  だが、期待に満ちた眼差しに反し、春風のような軽やかさで微笑んだ光也は千尋の前髪に指を入れた。  優しく、くすぐるように。  ぞぞぞぞぞ。  またもや悪寒が背中を走る。 「顔を隠していては印象がよくない。秘書のセンスが社のイメージアップにも繋がることはわかりますね? 視力に問題がないなら眼鏡は外しましょう。表情が明るく見えるよう、髪も早急に整えて……そうですね、スーツも身に合った仕立てのよいものを着せたいですね。きっとかわいいですよ?」 「か、かわっ……!?」  本日三回目の、ぞぞぞぞぞ。  専務らしいことを言っていたのに、最後は私情を挟んだように聞こえた。  氷の貴公子たる男が終始顔をほころばせているのも不気味で、瞬く間に鳥肌が復活する。 「というわけで、藤村君。こちらの成沢さんと一緒に身支度から始めましょう。成沢さん、お願いします」 「かしこまりました。さ、藤村さん、こちらへ」  すっかり見落としていたが、光也の後ろにはグレーヘアの男性秘書がずっと控えていた。  秘書はすすっと光也の背中側から現れ、阿吽の呼吸で千尋の肩をかかえると、そのまま「さあ、こちらへ」と繰り返して専務室から社外に出て、運転手付きの車に千尋を押し込んだ。

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