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お仕事開始とあの夜と ①

「今夜はここに泊まってください」と言われてから一週間になる。  千尋は今も叶光也が所有する豪邸にいて、用意された仕事部屋でパソコンのキーを叩いていた。  やっている内容は、KANOUがブラジルに新しく建設するLNGプラントに関わる初期見積もりと、建設中から建設後のランニングコストの草案作成。  秘書に任命されたというのに出社もせず、任された仕事はなぜか以前と同じコストエンジニアリングの仕事だった。  この案件だが、そもそも初期プランニング担当はコスニであり、八人で組まれたチームの中には千尋もいた。といってもこの案件も別の案件も、千尋がほぼ一人で三十%まで仕上げたところで他のアルファ社員が取って代わり、その後はチームから除外され、千尋の業績は記録に残らないのが常だった。  だからこの案件を任されただけでなく、来月発足される他部門の代表で結成されるチームに入り、その後はブラジルでの現地会合にも参加するのだと聞いて、夢を見ているのかと思った。  入社から四年間、ずっと課内から出ず初期プランニングと計算の繰り返しの日々だった。もちろんこの仕事が好きだから常に真摯に取り組んできたし、オメガの自分が大きな仕事の土台に関われるだけで満足だった。  でも気持ちの奥底では、同期や後輩が社外に出て現場の空気に触れ、プロジェクトの大小に関係なくフレッシュな知識を身につけて成長していく姿が、いつもどこかまぶしかった。  今日の予定分の入力が残りわずかになったところで時刻を見る。  十九時三分前。光也が帰宅する時間だ。  作業をいったん終了してエントランスへ向かう。  エントランスホールは千尋が借りているアパートのリビングダイニングより広く、ベージュ系の大理石の床はいつもぴかぴかと光っている。会社のエレベータードアより大きい両開きの重厚なドアは、細いスリットが対照的に入り、外からの光が通る設計だ。  車のライトとおぼしき光が室内を透過した。千尋はエントランスの三和土(たたき)に降りて、へその位置で手を重ねて姿勢を正す。 「お帰りなさいませ、専務」  タイミングぴったり。ドアが開いて光也が入ってくる。最敬礼角度のお辞儀をしてから鞄を受け取るのも、随分と流れよくできるようになった。 「ただいま。千尋。今日も(つま)の出迎えがあって嬉しいよ」  両手が空いた光也は満面の笑みで千尋の腰を抱き寄せ、頬に唇を落とそうとした。 「何度も申しますが、夫ではなく秘書です、専務」  言いながら鞄を胸に抱いてくるりと一回転。光也から距離を取ってかわすのもお手の物になってきた。 「千尋はいつまでも冷たいね。家にずっといて帰りを出迎えてくれるなんて、夫以外の誰がしてくれる?」  口調は不満げだが、光也は終始笑顔だ。  にこにこにこにこ。そんな擬態音が聞こえてきそうだ。  千尋は小さくため息をつき、毎日毎日同じ小芝居を飽きもせずよくやるなと思いながら、光也の後ろに控えている成沢にも頭を下げた。 「ですから、それは専務が私を監禁しているからです。ね、成沢さん」 「うーん、そんなつもりはないんだけどな。成沢さん、どう思います?」  二人に聞かれた成沢は愉快そうにくすくす笑った。 「今日もお二人の息はぴったりですね。ではお答えしますが、現状は監禁ではなく軟禁ですね」  確かに、とうなずく。行動の制限はなく、監視されているわけでもない。唯一言われているのは家の敷地外へ出ないこと。  光也いわく、千尋の発情期が終わるまで、とのことだったのだが────

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