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見えない鎖がほどけるとき ④
「……やはり動きましたか」
千尋が洗面所にいる間に光也のスマートフォンが鳴っていたらしく、鋭さのある声で話しているのが聞こえた。
本当なら、ダイニングのドアを開けたらすぐにでも光也に飛びつき、気持ちを伝えたかった。だがそうしてはいけない雰囲気を察して、部屋の端のソファで通話が終わるのを待った。
「わかりました。今から戻ります」
通話が終わる。
予感はあったが、千尋のそばに来た光也はため息をつき「すみません。特大エビフライはお預けになりました」と電話で話していたときと同じ、「専務」の口調で言った。
「社でなにかあったんですか?」
「ええ……抜けなく仕事は調整しておいたので、仕事用の電話は置いてきたのですが、私の仕事の管轄で常務が動いたらしくて。成沢さんから連絡がありました」
「常務が?」
「彼とは折り合いが悪いんです……ほんの少しだけね。私が休暇を取っていると知って、動いたんでしょうね」
光也の苦笑で「少し」折り合いが悪いのではないことが、千尋にも予想できた。
常務と専務では専務の方が立場が上だ。異母兄弟じゃなかったとしても、十歳も下の弟に序列を乱されたとあっては、プライドの高い常務の心中は穏やかではなかっただろう。
そのうえ手掛けていたブラジル案件も、目をかけていたコスニの課長 も光也が独断で動かした。
常務は敵意の目をメラメラと燃やし、つけ入る隙を虎視眈々と狙っているに違いなかった。
「すぐに戻りましょう、専務」
千尋はすくっとソファから立ち上がった。
ずっと技術職であった千尋になにができるかはわからない。けれど、光也のためならなんでもできる気がした。
──千尋のためならなんでもしてあげたいんだよ。
光也の言葉が頭にこだまする。
(ああ、同じだ)
千尋も光也を守りたい。強くそう思う。
魔法が解けたあとのシンデレラのように、王子様が巡回して見つけ出してくれるのを待つだけでなく、自分で動いて光也の隣に立っていたい。
(ああ、きっとこれを……)
「好きだ」というのだ。
相手に任せて守られるだけでなく、自分も相手を守りたい……好きだから。
依存との違いがはっきりわかった千尋は胸に強い意志を抱いた。自分が専務を支えるのだと。
「……ええ。サポートをよろしくお願いしますね。藤村秘書」
光也は眩しいものでも見るように目を細め、その後大きく頷くと、車を回しに駐車場に向かった。
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