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見えない鎖がほどけるとき ③
ダイニングスペースには、まぶしい光がカーテン越しに注いでいる。
朝食は成沢が冷蔵庫に準備しておいてくれたものらしいが、バターの香りが鼻をくすぐるデニッシュや、カリッとした胡桃がおいしい自然な甘さのロールパンに、レタスとパプリカ、ラディッシュにサーモンが入った目にもおいしいサラダが並べられた。
今日の何もかもが、いつもより生彩に目に映る。
「凄くおいしかった!」
昨夜の食事量が少なかったのもあり、千尋はあっという間にそれらをたいらげた。
満足して腹をさすりながら言うと、唇に瑞々しい黄緑色のシャインマスカットが当てられ「これもおいしいよ」と光也が微笑む。
「んぐ。おいし……!」
マスカットなんて、小さい頃でも食べたことがなかったかも、と感動して千尋が言うと、光也は次々とマスカットを放り込もうとする。
もういいですから! と言っても、光也は「困ったな。さっき、千尋を純粋培養にしたいんじゃないと言ったのに、千尋のためならなんでもしてあげたくなっちゃうね」と、困ったような、でも嬉しそうな顔をして言った。
また、胸がきゅうぅと締まる。
「……ちょっと、洗面所に……」
「ん? うん。あっちだよ」
千尋はのろのろと立ち上がり、光也が指した方向に進んだ。
洗面所に入ってすぐに、尻をつけて床にへたり込む。心臓あたりがとても苦しくて、洗面所のドアにもたれながら胸を押さえた。
深呼吸がしたい。でもできない。鼻と喉がどんどん熱くなり、とうとう涙がひと粒、目尻からこぼれた。
(どうして涙が……)
指先で拭ったが、次々とこぼれてくる。
もう何年も、多分折檻が始まって二年目くらいからは、涙も出なくなっていた。
生理的に滲んだことはあっただろうが、ぽろぽろとこぼれるほどに泣くのは十年以上ぶりかもしれない。
拭う手を濡らす涙は暖かい。止まらない涙を何度も何度も拭うたび、凝り固まってこびりつき、そこにあるのさえわかっていなかった寂しい気持ちや辛い気持ちが涙と一緒に流れていくような、そんな気がした。
鎖のように絡みついていた祖父の顔や言葉に霞 がかかる。
閉じた目に浮かんで来るのは、光也の笑顔ばかり。
「みっくんに会いたい……」
同じ建物の中にいるのにそう思って、思うと気持ちが急いてくる。
千尋は立ち上がって顔を洗うと、洗面所のドアを開けてリビングへ駆け出した。
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