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専務、溺愛ハラスメントはおやめください ⑧

 東京の屋敷に戻り、入浴を済ませたあとは千尋の傷の手当の時間だ。 「首、痛くして、本当にごめんね」  深く刻印が刻まれたうなじにガーゼを貼りながら、光也は心から悔いるように言った。 「謝らないでよ、凄く嬉しいんだから。それにあのときのみっくん、素敵だったよ?」  番になった夜、光也の射精は丸一日続き、千尋は夢と現実(うつつ)の間を数度行き来した。  光也の部屋の天窓はシャッターが閉じていなかったため、日が落ちるまでは光也の姿を目に映すことができた。  千尋にはときどき光也が獰猛なライオンに見え、捕食されている錯覚を起こしていた。  うなじだけでなく、体のあちこちに噛みつかれていたからだ。  千尋の体には、しばらく消えそうにないたくさんの歯型と紅い吸い痕が、そこかしこに刻みつけられている。 「素敵って……千尋にこんな酷いマーキングするなんて二度と嫌だよ。犬歯も削ろうかなと思ってる」 「だから~僕はこういうの大歓迎だってば! 痛ければ痛いほど、傷の治りが悪ければ悪いほど、みっくんから愛されてる! って思えるし」 (だって、傷はみっくんが本能でぶつかってくれた証だから)  千尋はそれが本当に嬉しくてたまらない。全身に愛された痕があるのは自分で見てもとても魅惑的だ。    通っていたマゾヒストクラブに貼ってあった宣伝用ポスターに、今の千尋と同じような痕をつけている男性の画があった。あれをうっとりと見ていた過去を思い出す。 「だーめ。もうしない」 「え~~?」 「そのためには俺も、ラットになる自分をコントロールできるようにならないとね。でも覚悟して。ハンドカフスもなくなったから、代わりに俺のしつこーいくらいの甘さの愛情で縛ってあげる」    光也の目が艶めかしくなり、力を込めた手でぎゅっと手首を握られる。  千尋はきゅん、と胸を弾ませた。 「愛情の、鎖……」 「そう。もう玩具おもちゃの鎖も……千尋の自由を奪う鎖も必要ない。俺達は番になった。決して離れない強固な鎖で繋がっているんだから」 「……うん! そうだね。僕たちは切れない鎖を持っているんだね!」  千尋は笑顔の花を咲かせて光也に抱きついた。光也もすぐに腕を回してくれる。  "自由を奪う鎖"  千尋にはこの言葉の意味がわかる。光也は知ってくれているのだ。祖父の鎖から解き放たれたように見えても、まだどこかで積年した彼の仕打ちが千尋の心に錆を残していることを。   ふとしたときに思い出し、その錆の味を思い出して顔を歪めていることを。  でも、もう大丈夫。新しい鎖を手に入れ、光也の家族の一員として迎えられた千尋には予感がある。  おそらく数年のうちに、抱きしめ合う自分たちの真ん中に新しい命が存在していて、二人の繋がりから産まれたその命に愛情を注ぐとき、虐げることが愛情ではなく、そのままの存在を慈しみ、輝く笑顔を守ることが愛情だと、自信を持って言う自分がいるだろうと。

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