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エピローグ

 籍を入れることについて一切考えていないというのは本当のことだった。  子供という枷があったって、離婚するときは離婚する。ただの紙切れ一枚にちっとも魅力を感じたことがなかった。  それよりも、DomとSubという関係性の方がよっぽど効力がある。  明生くんにとってはDomとのプレイは不可欠で、ラッキーなことに、明生くんは俺と弟以外のDomは受け入れられないようだった。  それをいいことにどこへも行けないように退路を塞ぎ、同棲という形で囲い込むことに成功した。明生くんが拒めないことをいいことに身体の関係に持ち込んだ。明生くんは思いのほか従順に受け入れてくれて、それ以上望むものはないと思っていた。 「結婚しよ、しょうちゃん」  安いラブホの一室で、寝起きで、裸で、二日酔いの明生くんにプロポーズされた時には本当にびっくりした。ただ俺に流されてくれているだけだと思っていた明生くんが、まさか結婚を持ちかけてくれるとは思ってもいなかった。  普段面倒臭がりの明生くんはやると決めたら行動が早く、その日のうちに市役所に婚姻届を取りに行き、週末には証人欄を埋めて、翌週には市役所に提出した。  実感が湧かないまま互いの結婚指輪を買いに行き、リングゲージで左手薬指のサイズを確認しているとき、妙にソワソワした気持ちになった。 「菓子折は用意したけど、服は何着て行ったらいいんだろう」  明生くんの髪にドライヤーを当てながら言う。目の前に明生くんはいるが、答えは期待できないので実質でかい独り言だ。  揃いで受注したプラチナの指輪がようやく届き、ひとつは俺の左手薬指、もうひとつはチェーンに通されて明生くんの首にぶら下がっている。もちろんサイズは合わせてあるので指にぴったり嵌まるのだが、首から下げさせるのが俺の拘りだった。  DomからSubにカラーを送る習慣がある。カラーというのは人間用の首輪のことで、俺がお前の支配者だ、というメッセージが込められている。  明生くんが首輪にいい思い出がないのを知っていたので、これまでカラーを送ることはしなかった。形に拘るつもりはないのだが、知らない女に先を越されたことがずっと憎らしかった。ようやく上書きしてやることができたわけだが、俺の醜い嫉妬心を永遠に気付かないでほしい。  月に1度くらいの頻度で、明生くんは昼食に呼ばれて実家に帰る。DomとSubが同じ屋根の下でふたりで暮らしているのだから、Subの子を持つ親としては定期的に監視しないと不安なのだろう。子もいないDomだが、毎日のようにSubの虐待や自殺のニュースを見て親の気持ちはわかるので、積極的に送り出すようにしている。  明日、その昼食に一緒に来て欲しいと明生くんから誘われた。  まだ引っ越す前の小学生の頃はよく出入りしていたし、高校以降明生くんと再開してからも何度かご両親と顔を合わせる機会があった。しかし、昔とは立場が違う。しかも、ご挨拶を待たず先に入籍してしまっているので、非常に気まずい。  いつも通りでいいでしょ、と予想通りの回答をした明生くんの髪が乾いたので、顔面にパックを貼り付け、ついでに自分の顔にもパックをして無駄なあがきを試みた。  12時にお呼ばれしているので、時間に合わせて家を出た。服は清潔感を重視してジャケットを羽織った。左手にはしっかり指輪を嵌めて、手土産の菓子折もちゃんと車に積んだ。  道路はいつも通り空いていて時間に余裕を持って到着できそうだ。あと少しで着くというところで、明生くんがぽつりと言った。 「俺、結婚したこと親に言ってないんだよね」 「はぁ!?」  危うく信号を無視するところだった。急ブレーキをかけ、明生くんに非難の目を向ける。冬也には言ってあるんだけど、と明生くんがもごもご言う。  家族と疎遠の俺でさえ、その日のうちに連絡を入れていたというのに。  信号が青になったので慎重に車を発進させた。まだ動悸が治まらない。  ご両親に入籍を強要したと思われたらどうしよう。その時は明生くんに弁明してもらうとして、同性婚をよく思われなかったら? 認めてもらえなかったら?   そもそも、なぜ手順を踏まなかったのだろう。メール1本で済む俺とは違って、明生くんは家族に大事にされていることを知っていたのに。  明生くんが正気に戻る前に、行けるところまで行ってしまおうと、暴走に乗っかってしまったことを今更後悔している。  車を運転する短い距離は生きた心地がせず、目的地に着いて車を降りるとき、ようやく腹を決めた。  ただいまーと声を張る明生くんの後に続いて、お邪魔します、と声を掛けてから敷居を跨ぐ。声を聞きつけた明生くんのお母さんがリビングから顔を出し、玄関先で挨拶をした。  やや緊張した面持ちで持参した手土産を渡すと、大人になったねと子供扱いされて出鼻をくじかれた。小さい頃を知っている息子の同級生は、いつまでも子供に見えるのかも知れない。  明生くんに続いてリビングに入ると、冬也と見知らぬ女の子が餃子の皮に肉種を包んでいた。冬也と同い年くらいの女の子とは明生くんも初対面のようで、お互いにこんにちは、と挨拶をしていた。 「兄ちゃん、前に話した彼女」  冬也の紹介に、例のSubの子? と明生くんが聞き返す。  普通、第2の性は隠したがるものだ。Domもそうだが、Subなら尚更。明生くんがSubじゃなかったらデリカシーに欠ける発言だが、平気で口にできるということは、よほど恵まれた環境で育ってきたことがうかがえる。  上司のDomが部下のSubに何かを勧めたとして、それが強要になる社会だ。不用意な発言でパワハラと騒がれるのは面倒だし、いちいち言葉に気を遣わなければいけないのも気疲れする。できることなら、明生くん意外のSubとは関わり合いになりたくない。  そんなわけで遠巻きに見守るしかできないのだが、明生くんは高校生相手によく馴染んでいた。  4人掛けのテーブル席では足りず、冬也が彼女とソファを使った。おそらく気を遣ってくれたのだろうが、テーブルの真ん中の電気プレートで餃子が焼かれ、大きなテレビには昼のバラエティ番組が映し出されている。うちの親緩いから大丈夫でしょ、と豪語していた明生くんは不自然なくらい口数が少なくなり、お父さんからビールを勧められても断っていた。  この空気の中で、実は僕たち結婚しましたなんて報告できるわけがない。食べ終わった後時間を作ってもらおう。 「あなたたち、何か言うことはないの?」  餃子パーティーが終盤に差し掛かった頃、明生くんのお母さんの一言でこれまで和やかだった空気が一変した。  俺も明生くんも、即座に何を求められているのかわかった。冬也が知っているのだから、両親に伝わっていても何ら不思議ではない。 「しょうちゃんと結婚した」  俺が席を立とうとしたとき、明生くんが堂々と言い放つ。  さっきまで機嫌良く飲んでいた明生くんのお父さんが黙って席を立ち、そういうのは前もって報告してほしかったわ、と明生くんのお母さんが不満を口にした。  この感触はダメだな、と内心落胆した時だ。席を外した明生くんのお父さんが、取っ手の付いた白い箱を持って戻ってきた。  明生くんのお母さんと冬也が示し合わせたように電気プレートを素早く片付け、まだ熱を持っているテーブルの上に置かれた。  箱の中身は、ホールケーキだった。白い生クリームといちごがトッピングされており、真ん中にはチョコプレートが乗っている。あきお・しょうちゃん 結婚おめでとうと書かれていた。  なんだこれ。食い入るように見つめていると、パンパン、と2発破裂音が聞こえた。音のする方を見ると、冬也とその彼女の手にはパーティークラッカーがあった。 「結婚おめでとう。全然驚いてくれないからつまらないね」  冬也が言葉通りつまらなそうな顔で拍手をし、俺と明生くんを除いたみんながつられたようにパラパラと腑抜けた拍手をしてくれた。  隣を見ると明生くんがぽかんとした顔をしており、きっと俺もこんな顔をしているんだろうなと思った。  ハッとして席を立ち、ご両親に頭を下げる。 「ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした。……ありがとうございます」  突然のサプライズに頭が追いつかないが、受け入れてもらえたことだけはわかった。  隣で椅子を引く音がして明生くんが立ち上がり、一緒に頭を下げてくれた。  さっきよりも力強い拍手が聞こえて、明生くんと同時に顔を上げて正面から祝福を浴びた。隣で明生くんが顔を真っ赤にして居心地悪そうにしている。なんだか夢みたいだ。  ケーキは6等分され、チョコプレートはなぜか冬也が持って行った。  テレビには相変わらずバラエティ番組が映し出されており、ケーキとコーヒーがちょっと特別な休日の午後を演出している。  冬也から聞いたときほんとにびっくりしたんだから、と明生くんのお母さんが興奮気味に喋る。ずっと言いたかったが箝口令が敷かれていたようだ。結婚に至る経緯を聞かれたので、明生くんにプロポーズされたと答えた。詳細を聞かれてタジタジになっている明生くんを見てご両親と一緒に笑いながら、家族の一員として受け入れられたのを肌身で感じていた。  明生くんの結婚を本人に代わってご両親に伝えてくれたのと、サプライズを用意してくれたのは間違いなく冬也だ。ケーキを切り分けるときにお礼を言ったら、うん、とだけ返ってきた。ケーキを食べ終えると、彼女を連れてさっさと自室へ引きこもってしまった。  今回だけでなく、ずっと明生くんを支えてきてくれていた。明生くんがSubドロップに陥っていたとき、連絡をくれて本当に助かった。  もちろん、俺のためなんかじゃなくて明生くんのためであることは重々承知している。  以前アパートを訪ねてきたとき、追い返すようなことをしてしまって申し訳なかったと思う。  お母さんはキッチンで洗い物をしており、お父さんはソファでテレビを見ていた。皿を下げるときに洗い物を変わると申し出たが、断られてしまった。明生くんはふらっと席を外したきり戻って来ず、手持ち無沙汰になってしまった。  さりげなくお父さんの隣に座り、テレビがCMになった瞬間を見計らってずっと気になっていたことを聞いてみた。 「息子さんが俺と結婚したと聞いたとき、どう思いましたか?」  顔は正面を向いたまま、目だけこちらを見た。すぐに視線をテレビに戻して口を開く。 「娘だったら、ぶん殴っていたと思います」  淡々とした話し方に背筋がゾッとした。餃子のときに500mlの缶ビールを2本空けていたが、酔っているようには見えなかった。 「本音を言えばDomとかSubとか関係ないところで、できれば女性と結婚して幸せな家庭を築いてほしかった。だけどあいつはSubで、庄一くんじゃないとダメなんだろう?」  明生くんのご両親はNormalと聞いている。息子がそれぞれDomとSubで、苦労もあったのだろうか。もしかしたら、あらかじめ冬也かお母さんが説得してくれたのかもしれない。 「あいつは呼んでもなかなか帰って来ないし、たまに帰ってきてもすぐに庄一くんのところに帰りたがるし、認めるしかないじゃないか」  洗い物を終えたお母さんが、スリッパの音を立てながら背後に立つ。 「たまに帰ってきたとき、あの子の顔が見違えるようでびっくりした。目の下のくまはなくなってるし、常に疲れてますみたいな、どんよりした空気も背負ってなかったし。それに肌も爪も綺麗になってて」 「何の話してんの?」  明生くんが突然廊下から声を掛けてきた。居心地悪そうな顔をしていたので、おそらく廊下で立ち聞きでもしていたのだろう。 「しょうちゃん、もう帰ろうよ」 「えっ、ちょっと待って」  そう言って、さっさとひとりで玄関の方に行ってしまった。明生くんのご両親は諦め顔で笑っている。  ご両親にとっては複雑かもしれないが、俺にとっては、明生くんの帰る場所はここではなく、俺と生活しているボロアパートなのだということが嬉しかった。  仕方なくソファを立ち、荷物を持って明生くんを追いかける。明生くんは靴を履いて玄関待っていた。  靴を履いていると、明生くんのご両親が玄関まで見送りにきてくれた。今までもこうやって明生くんを見送ってきたのだろうか。 「これからはふたりでいらっしゃい」 「はい。ご馳走様でした」  明生くんの実家を後にして、車に乗りシートベルトを締めエンジンをかける。助手席に座る明生くんはぐったりしていて疲れた顔をしていたが、俺には商談が成立したような高揚感があった。 「お疲れ様。認めてもらえてよかったね」 「うん。一緒に来てくれてありがと」 「それはこっちの台詞。呼んでくれてありがとう」  会話が一段落して、沈黙が生まれる。いままで気にしたことがなかったが、今はどことなくこそばゆい。 「明生くん、そんなにウチが心地良い?」  窓の外を見ていた明生くんが、何を言っているか分からない、といいたげな顔をする。 「お父さんが、たまに帰ってきてもすぐにこっちに帰りたがるって言ってた。確かにいつも夕方頃には帰ってくるもんね」 「あー……1回家を出たら親の目がないことの楽さを知っちゃって、なんとなく窮屈でさ」  わかる、と懐かしい気持ちになりながら相槌を打つ。  家がそんなに大学から離れているわけではないのに、無理を言って一人暮らしを始めた。親が再婚して10年以上経つが、未だに義父が他人でしかなくてお互いに遠慮がある。母親についても、妹が生まれてからは俺の母親ではなくなってしまったような気がしている。それでも最初のうちは年末には顔を出すようにしていたが次第に足が遠のき、今はもう何年も会っていない。 「明生くんって親に対してはツンツンしてるんだね。ちょっと新鮮だった」 「そういうつもりじゃないけど」  明生くんが照れ隠しに意地を張る姿を、可愛いなぁと思う。 「親が再婚してそれからずっと俺の居場所なかったから、家族ってこういうものなんだなって思えた。だから、ありがとう」  明生くん以外に欲しいものなんかなくて、この先ずっと明生くんに見放されるまではふたりで生きていくんだと思っていた。明生くんさえ隣にいてくれれば、それだけで十分だと思っていた。  明生くんが結婚という形で、真心と新しい家族を与えてくれた。 「正月とかまた来たらいいんじゃないの? しょうちゃんが良ければ、だけど」  今日みたいに、お歳暮を持って明生くんの実家に集まるところを想像した。明生くんがもう帰ろうと言い出す姿が同時に浮かんでふっと息が漏れる。 「うーん……考えておくよ」

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