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二十九 そんなこと言われても
「先輩、誰と逢ってたの?」
栗原の声に、ザワザワと心臓がざわめいた。俺は反応できずに、黙って栗原を見上げる。
大抵のことに鈍感な方だが、空気は読める方である。
(怒ってる)
ゴクリ、喉を鳴らした。
栗原が怒っている。何かの地雷を踏み抜いたのは明白で、理由は解らないけれど、今すぐスライディング土下座してしまおうかと思う一方で、がっしりと顔を捕まれて動けそうにない。
「先輩、そんなに、匂いが移るほど近づいたの?」
耳許に囁かれ、ぞわ、と背筋が粟立つ。匂い。そう言われて、ドキリとする。視線を泳がせた俺の顎を掴んで、栗原が顔を近づけた。
「く」
「俺より、亜嵐の方が気に入った?」
「は――」
そんなわけあるか。そう言おうとしたのに、栗原の手が俺の口を覆って、喋らせて貰えない。
「……やっぱ、聞きたくない」
「ん、ん!」
モゴモゴと口を動かすが、栗原は聞く気がないようで、一向に離してくれなかった。
(何でそうなるっ!)
人の話を聞こうとしない栗原に、苛立つ。だが、思いの外、栗原は青い顔をしていて、それ以上怒る気にもならなかった。
栗原が落ち着くまで、黙って待つ。
どのくらい時間が経ったのか解らない。栗原がゆっくりと手を離した。
「……栗原」
「俺より、亜嵐が良いらしいです」
「え?」
「友達も彼女も、みんな、亜嵐目的なんです」
「そんなこと――」
言い掛けて、唇を閉ざす。ずっと、そうだったのだろう。あの、キラキラしたエネルギーの塊みたいな亜嵐に、心を奪われてしまった、過去の友人や恋人を想像する。人の心は難しい。酷い奴らだと罵るのは簡単だ。だがどんな時にも誠実で清廉でいられるほど、人間は高潔でもない。
「……今は、そんなことないだろ」
「解ってます。解ってるんです! でも!」
栗原が必死な顔で、俺に呼び掛ける。
「嫌なんです! 鈴木先輩だけは……! 先輩だけは、嫌なんだ!」
「――栗、原」
ドクン、心臓が鳴る。顔が熱い。そんな風に言われて、嬉しくないはずがない。
グイと身体を引き寄せられ、抱き締められる。身体が、熱い。ドキドキと、心臓がうるさい。
「鈴木先輩」
掠れた声で、栗原が囁く。
亜嵐じゃない。お前じゃないと。そう、言ってやりたかったが、胸が詰まって、言えなかった。
ぎゅうと、心臓が鳴る。なんでこんなに、苦しいんだ。もどかしくて、切なくて、叫びたくなるような感情が、呼吸が出来なくなりそうで、怖くて、とても、尊くて。
(溺れてるみたいだ)
栗原の背に、腕を回す。栗原はビクと小さく身体を揺らし、いっそう強く俺を抱き締めた。
「先輩、触らせて……」
何度、そう囁かれたか、すでに解らないけれど。その切実さは、いつもの比ではなかった。
小さく頷いて、栗原の胸に額を擦り付ける。
こんなときは、いつも凄く気恥ずかしい。
「あ……っ」
小さく、息が漏れる。それを返事にするように、栗原は俺の腹をなぞりながら、服に手を滑り込ませる。
ゾク、皮膚が粟立つ。本当はスマートフォンの画面を問い詰めたかったけれど、そんなことを気にしてもいられない。
触れたい。同時に、触れられたいという、未知の感情が、ザワザワと胸にさざめいた。
「栗原……」
はぁ、と息を漏らして、栗原の熱い手のひらの感触を味わう。ゆっくりとファスナーを下ろされ、下半身を剥き出しにされる。
ドクドクと、心臓が脈を打つ。羞恥心と興奮が、胸を占める。
栗原がぐっと俺の胸を押して、ベッドに押し倒した。
「ふぇ」
ほとんど無抵抗にベッドに寝かされ、ビクッと身体が震える。互いに慰めあうようになって、ベッドに横たわったことはなかった。
「く、栗原……?」
普段とは様子の違う後輩に、恐る恐る声をかける。栗原は無言で、膝に引っ掛かっていたズボンを下着ごと取り払い、床に投げてしまった。
「え、ちょっ」
「先輩」
「は、はい?」
ビクビクと、肩が揺れる。栗原の顔は真剣そのもので、ふざけている様子は微塵もなかった。
「鈴木先輩と、繋がりたい」
欲望を露にして、栗原が呟いた。
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