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三十六 いつも通りのはずなのに。
「何食べます? 俺はペスカトーレも良いと思うんですけど、こっちの生うにとホタテのガーリック味も良いと思うんですよね」
「あー、めっちゃ美味しそう。俺、メチャクチャ、ニンニクの気分になっちゃった」
「じゃあ、一つはこれ頼んでシェアします?」
「うん。あ、これも気になるな」
「どれどれ?」
メニューを眺めながら、相槌を打つ。俺と風馬は食の好みが似ているから、こういう時は良いと思う。
結局、気になったパスタ二品とサラダ、アンティパストとビールを注文して、二人でシェアしながら食べることにした。
「乾杯」
そう言って軽くグラスを傾け、ビールを啜る。ルビーのような赤い色をした、綺麗なクラフトビールだ。
(店もしゃれてるけど、ビールまでしゃれてる)
今日の店は風馬のチョイスだが、雰囲気といい料理の内容といい、デートという言葉がぴったりな感じがした。店内は女性客が多くて、男性は女性連ればかりだ。隠れ家のような雰囲気の店内は、少し薄暗くて雰囲気が良い。
「こんな店あったんだ」
「先輩と来たくて」
「っ」
素直に気持ちを表現され、気恥ずかしくなる。ごまかす様にビールを啜って、インテリアに目を向けた。うん。実にオシャレな椅子だ。すごくオシャレで、うん。オシャレだし。
そんな様子を風馬が、愛おしそうに眺めているのが解る。今までの、『後輩』の顔じゃない。愛情のこもった――欲を、孕んだ瞳だ。
(ヤバイ、緊張してきた……)
ドキドキして、ついビールを飲んでしまう。顔が熱い。心臓がドキドキしてる。手汗が酷いし、くらくらする。
「先輩、大丈夫?」
「っ、だっ……」
大丈夫。そう言いかけながら、風馬を見る。心配そうにのぞき込む瞳が、近い。ふわり、甘いネクタリンの香りが鼻孔を擽る。
「ダメかも……」
「えっ」
「い、いやいや、大丈夫。ただの不整脈だからっ!」
「一太先輩」
風馬が手をぎゅっと握る。
「っ」
「無理しないで」
そんなことされたら、余計に心臓がおかしくなるんだが。あと手汗ヤバいから握らないで。
なんとか風馬の手を引きはがし、深呼吸をする。ダメだ。一回リセットしよう。いつもと一緒。ただの食事。こんなの今までだってやって来ただろ。
「ちょ、ちょっと、トイレ行ってくる」
「あ、はい。一人で大丈夫です?」
「一人にして……」
色々爆発してしまいそうだ。風馬を一人席に置いて、急いでその場を離れてトイレに駆け込む。鏡を見て、自分の顔色にびっくりした。
「うわっ。すごい、ゆでだこみたいじゃん……」
恥ずかし過ぎる。意識しすぎだろ。
(こんな顔で、戻れない……っ)
両手で顔を覆うが、赤い顔は隠れなかった。何だよ。飯食うだけじゃん。いつもと同じなのに。
意識しすぎだ。
「……顔、洗おう」
◆ ◆ ◆
席に戻る途中、風馬の様子に目をやる。隣のテーブルに座っていた女性が、何故か話しかけていた。風馬が困ったように笑って、手で拒絶の意を示す。
「――」
あれは。
(――ナンパ、か)
状況を理解して、胸にモヤモヤしたものがこみ上げる。あの席に、俺が居たことなど、解っているはず。俺が居るのに。
「風馬」
ああ。不機嫌が声に乗ってしまった。女性の視線を感じたけれど、俺は気にしていないふりをして席に着く。風馬がホッとした顔をした。
「前菜来ましたよ」
「おーっ」
さりげなく椅子をずらして、彼女たちの視線から風馬を遮る。
(くそ……)
背中に、視線を感じる。ひそひそと喋る声が、全部風馬を値踏みする声に聞こえた。
俺が女の子だったら、彼氏ではなく彼女だったなら、こんな風な視線は向けられなかったかも知れない。俺が恋人には見えないから。俺なんか、『あり得ない』から。
(くそ)
何故だか悔しくて。悔しくて、堪らなかった。
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