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6:最初も最後も全部忘れた

◇◆◇ ピピピピ、ピピピ。 「っあ、もう……三十分経ったんだ」 「……」  三十分後、占いは無事幕を閉じた。 「はい、お疲れ様でした。もう手を離して大丈夫ですよ」 「あ、はい。ありがとうございました」  一方からのみ、礼を述べる声が聞こえる。しかし、もちろんもう一方から礼の言葉が述べられる事はない。ジルと呼ばれていた彼は最初の悪態以降、ずっと口をつぐんでいた。そして、その口から時折漏れるのは、疲れたような溜息のみ。  占いが終わった瞬間、指もすぐに離れて行った。 「いいえ、こちらこそ」  今回は二人の相性や結婚については、敢えて占い中は深く触れなかった。なにせ、この二人が求めているのは「自分達の相性」ではない事が、ハッキリと分かったからだ。 「あの、少しいいですか?」 「はい」  早々にブースから立ち去ろうとする二人に、俺は声をかける。そう、これは二人組で占いに来たお客さんに、俺がよく使う手法だ。 「左手の方だけ、この場に残って頂いていいですか?」 「は?」  俺の言葉に、それまで全ての言葉を溜息で流してきたジルが、呆けた声を上げる。同時に、もう片方の声が俺へと尋ねてきた。 「え?あ、あの。ジル……彼だけですか?俺ではなくて?」 「そうです。なので、貴方は先に部屋から出て待っていてください」 「……そういう事もあるんだ」  どうやら、反応から察するに、俺の「この手」は口コミか何かで見た事があったようだ。それならば話が早い。 「そういう事もあるんですよ?さぁ。どうぞ、貴方はお先に外でお待ちください」 「はい。分かりました」 「いや。何だ、これは」  パートナーが、あまりにもアッサリと納得して自分を置いていこうとする姿に、ジルは焦っているようだった。しかし、そんな相手にパートナーの彼は楽しそうに返事をする。 「ジル、ちゃんと手つなぎさんからお話聞いてきてね」 「はぁ?なんだよ、ワケが分からん」 「そういうモノなの!じゃあね、俺は外で待ってるから」 「いや、おい……」  パートナーに置いていかれた彼の戸惑いが、ブース内に色濃く満ちる。  うんうん、気持ちは分かるよ。無理やり占いに連れて来られたと思ったら、こんなワケの分からない目隠しスーツ男と二人きりにされて……いや、言葉にすると普通に怖い。  可哀想に。早く終わらせてあげよう。  俺も早く帰りたいし。 「二人がこれからより良い方向に進む為に、一言だけ……」 「……まったく。とんだ無駄な時間だった」 「へ?」  パートナーが居なくなった途端、彼の纏っていた不満の雰囲気に一気に棘が増した。どうやら相当イラついているらしい。 「なぁ。アンタ、ベータだろ?」 「あ、はい。そうです」  侮蔑を含んだ問いかけに、更に空気がピリつく。 「ベータの分際で偉そうに。何が占いだ。テキトーに本に書いてある、誰にでも当てはまるような事をベラベラ喋ってただけじゃないか」 「……」  さすがアルファだ。完全にバレている。俺のやっている事が、自己啓発本やビジネス書の中身をベラベラ喋っているだけだという事が。  きっと、この人もめちゃくちゃ自己啓発本やビジネス本を読んできたに違いない。 「アンタが今から何を言うかは知らないけどな?ベータなんかに上手く言いくるめられたりしないからな」 「いや、そんな……言いくるめるだなんて」 「時間の無駄だ。ほら、さっさと言え」  吐き捨てるように言ってのける相手に、俺は心底目隠しをしていて良かったと思った。こんなに怒っている相手でも、相手が見えていなければ、あんまり怖くない。  あぁ、良かった。未来も前も見えてなくて。  これを言ったらもう終わりだ。そしたら――。 「別に、今の運命と番わなくても死にませんよ」  帰って一杯だけ酒でも飲んで寝よう。 「……なに?」  その瞬間、相手の声から怒気が消えた。  俺には未来も前も見えない。でも、何故か相手が“望む言葉”だけは、昔からなんとなく分かるのだ。 「そのままの意味です。運命と番わなくても、別に死にはしません」 「いや、そりゃあ……死には、しないだろうけど。それじゃあ、幸せにもなれないだろうが」  そう、怒気の消えた声に微かに縋るような声色が混じる。  やっぱりそうだ。この人も、どういうワケだか「運命の番」と、結ばれたくないらしい。こういうタイプは初めて出会うかもしれない。  「運命の番」と結ばれたく無いなんて、世の中色々な人が居るもんだ。 「俺達ベータには、運命の番は存在しません」 「それは……そうだろ。ベータなんだから」 「でも、幸せにはなれます」 「……それはお前らに、“運命”が無いからだ」 「それは違います。幸福は“運命”だけで決まるワケではないからです」  口にした直後、ふと思った。これは「占い」でも何でもないな、と。  まるで、昨日のプロジェクト会議の一幕のようだ。強いていえば、ディスカッションに近いかもしれない。 「……だとしたら、幸福は何で決まると言うんだ」 「そうですね」  難しい事を聞いてくる。そんな事、俺に分かりっこ無い。 「大丈夫ですよ。今の運命と番わなくても死にはしません。ベータの俺達にも出来るんです。アルファの貴方に、自分自身を幸福に出来ないワケがない。それに」  だからこそ、俺はこう言うしかない。色んな本に書いてあるような、ありきたりな台詞。悲しいかな、ベータの俺にはコレが限界だ。 「自分の意思より強い“運命”なんて、この世界にはありませんから」 「っ!」  その瞬間、相手の方から息を呑む微かな声が漏れ聞こえた。  人間は「最初」と「最後」しかハッキリ記憶できない。もしかすると、これは俺には当てはまらないかもしれない。  ブースから人が居なくなった瞬間、俺はパタりと最後の客の事も忘れた。 「はぁ、今日もお疲れ様でした」  俺は目隠しを取ると、ぼやける視界の中、椅子の上で背伸びをした。  さて、今日も頑張った。 「何のお酒を買おうかな」  すると、その瞬間。  またしてもメガネがズレた。

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