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【本編その後】仁と翠の悩みごと
長年想いを寄せていた幼なじみの綾人は、かつて俺のことが好きだったらしい。だが綾人の心境に変化があったらしく、残念ながら俺の恋は実ることはなかった。振られた時は落ち込みはしたものの、今は吹っ切れつつある。
翠と綾人が恋人同士になってから、早くもひと月が経とうとしている。だが、そんな俺には未だ疑問に思っていることがあった。
「ねー、綾人くん。仁くんさ、やっぱ俺達にすっごい気を使ってるよね」
席替えで、俺と翠は運良く前後の席になった。今は休み時間で、俺達は他愛もない話をしていた。
翠の言葉にかなり心当たりはあった。仁は俺達が付き合う前はたまにこの教室に遊びに来ていたが、今では隣のクラスの俺達の教室に来ることはないし、昼休みも仁の方からこちらに来ることはないので、俺達の方から仁を誘っている。
……まあ、"俺達"と言うよりかは主にーー
「俺には、お前も仁に気を使ってるように見えるけどな」
俺の机に頬杖を付く翠にちらっと目線を向けると、翠はぎくりと目を開いた。
すると息を深く吐き、頬を掻いた後「やっぱ、分かる?」と、複雑そうに笑った。
仁は休み時間と昼休みもそうだが、家に帰ってからも俺達に遠慮をしている。
週末は友人の家に泊まりに行くだとか、空けている俺の家に一人になりたいからという理由で一人で泊まったりとか、何かと理由を付けては俺と翠を二人きりにする。
そして翠はそんな仁に、「三人でゲームをしよう」「みんなでご飯食べよう」などど、一人にさせまいとなにかと仁を誘っていた。
「·······俺さ、未だに仁くんには申し訳ないと思ってるから。綾人くんのこと」
「こんなことしてもただの自己満ってことは分かってるんだけどね」
困ったように笑っている翠の気持ちは分かるし、仁の気持ちもなんとなくだが分かる。俺達の中で一悶着あったのもそうだが、今まで三人で仲良くやってきたのに、その中の二人が急に付き合ったら当然もう一人は気を使うだろう。
翠と仁はギクシャクしているし、俺が仁に話してみるべきだろうか。
ーーそういえば明日の放課後、翠は委員がある。……翠がいない内に、仁に話をしてみるか。
『話があるから放課後教室に来てもらえないか?翠には内緒で』
昨日の夜中 友人の家にいると、綾からこんなLINEがきた。
以前は三人で登下校を共にしていたが、あいつらが付き合ってからは俺は友人と登下校をすることが多くなった。翠や綾人に誘われたら三人で帰ることもあったが。
話とは、一体なんだろうか。
ーーまあ、丁度いい。
翠がいないなら、俺としても好都合だ。これを機に、俺からも綾人に話をしてみよう。
ーーガラッ
放課後になり翠と綾人のクラスへ向かうと、部活や下校する生徒が多い中 綾人は人もまばらな教室で席に座ってスマホを見ていた。
教室の扉が開く音が静かな教室内へ響くと、ぱっとこちらへ顔を向けた綾人と、視線が重なった。
「あ、仁!」
来てと手招きをされ、綾人の前の席の椅子を引いて腰掛けた。そのまま体だけ横に向け、綾人に向き直ると、綾人はこちらに笑顔を向けた。
「そこ、翠の席なんだよ。この間の席替えで前後の席になったんだ」
「次は仁も同じクラスになれるといいな」
ーー綾のことは、吹っ切れたはずだ。……なのに、翠のことを嬉しそうに話す綾を見るのは、やはりまだ辛い。
………だが、俺には確認しなければならないことがあった。
「翠は今委員に行っててさ。今日は仁と話がしたいと思って呼んだんだ」
「··········綾、俺も綾に聞きたいことがある」
「え、なに?じゃあ仁の話からでいいよ」
俺の話はその後にしよう、と仁に言いかけた時だった。仁は俺の机に手を付くと、俺の顔をじっと覗き込んだ。
仁の気迫に思わず椅子を引いて距離を取ろうとするが、パシッと手を取られてしまい、仁の視線から逃れることができなくなってしまった。
「まだなんも言ってねえだろ。逃げんなよ、綾」
「……なんで綾は、付き合ってもなかったのに翠と寝てたんだよ」
ーーいつの間にか俺と仁の二人きりになっていた教室で、仁の少し低い声が響いた。
その仁の目は、少し怒っているようにも見えた。
「········え、」
突然の仁の問いに、頭が真っ白になった。
何か答えないと余計に怪しまれるのに、思考が働かない。それほど俺の頭の中はパニックだった。
俺が翠に脅されていたということは、もちろん仁は知らない。
仁は以前俺が寝ていた部屋の前で、部屋から出てきた翠と揉み合いになったことがある。だから仁は、俺と翠が付き合っていなかったのに体を重ねていたことは知っているが、まさか今になってその話を掘り起こされるとは思っていなかった。
「綾は体だけの関係とか無理だろ。··········まさか、脅されてたのか」
「え、と········」
「答えろ、綾」
ーー仁の強い眼差しに、射抜かれてしまいそうだ。
手はキツく握られていて、俺が口を割るまで離してはもらえなそうだった。
「········綾、もう一度聞く。脅されてたのか?」
教えてくれ、と仁は優しく頭を撫でた。先ほどとは一変して、その声は柔らかかった。俺が言いやすいようにだろうか。
ーーでも、駄目だ。騙されては駄目だ。これは仁の作戦だ。優しく言えば俺が口を割るとでも思っているのだろう。
これで俺が正直に答えてしまえば、翠と仁の仲がもっとこじれてしまう可能性がある。
だが反対に、この際もう素直に白状すべきだ思っている自分もいる。隠し事がなくなれば、以前のように三人で仲良くやれるかもしれない。……が、それはリスクが大きすぎる。
えーと、えーと、と仁に見つめられながらも必死に思考を巡らせていた時、「分かった」と静かな仁の声が降ってくる。
仁の声にぱっと顔を上げると同時に、仁はガタッと席を立った。
「俺に言えないことなら、もう無理に聞かない。ーーああ、それと、」
今日も友達の家に泊まるから、と仁は背を向け、教室の扉へと向かって歩みを進めた。
その背中を見た時、なぜかは分からないが、もう仁は家に帰ってこないんじゃないか、という不安に襲われた。
ーー嫌だ、仁がいなくなるのは。
「仁っ·······!」
扉に手を掛けた時、席を勢いよく立った俺は、仁の手をパシッと掴んだ。
「·····なんだよ」
友達待たせてんだよ、と仁は息を吐きながら俺を見下ろした。
ーーどうすれば、仁を引き止められるのか。
必死に頭を回転させた俺は、つい口走ってしまった。
「翠には脅されてたけど、それには訳があって··········っ」
「·····なんだよ、訳って」
「だーかーらーー、仁の名前呼びながら自慰してたんだよっ·····!!···············あ、」
ーー余計なことまで言ってしまった。
「·····あ、いや、えーっと、今のは·············」
仁は、今までの仁からは想像もつかないほど目を丸くしていた。
問い詰められる前に仁から距離を取ろうと、後ろに一歩下がった時だった。
「おい、逃げんなって」
手首を掴まれると、そのまま壁に押し付けられてしまう。
背中の固く冷たい感触。見上げると、こちらをじっと見つめる仁。
ーーこれは、まずいかもしれない。
とにかく仁の腕から逃れようと、必死にもがいていた時だった。
ーーガララッ
「綾人くん、お待たせー。先生会議入っちゃったみたいでさ、今日はもう終わりだってーー」
教室に入ってきた翠がこちらに視線を向けた時、途端に目の色が変わった。
「なにやってんだよ お前··········ッッ!」
翠は俺達の目の前にまで来ると、仁の腕をぐっと掴み、俺から引き剥がした。
そんな翠に向かって仁は はっと笑うと、「それは俺の台詞だ」と翠を鋭く睨んだ。
「お前、綾を脅してたんだってな」
「っ···············!な、なんで··········、」
「今綾から聞いたんだよ。····で、本当なのか」
「·················本当だよ」
翠は仁を掴んでいた手を離すと目を伏せ、ぽつりと呟いた。その目には、先ほど怒っていた時の気迫は感じられなかった。
「は、まじか。今綾と付き合ってんのも脅してるからじゃねえのかよ」
「それはーーー」
「仁、違う。勝手に決めんな」
「··········綾、」
翠を庇うように仁と翠の間に入り、俺より背の高い仁を見上げた。
「確かに、脅されて翠に襲われたのは本当だ。でも俺が翠を好きになったのは、ちゃんと翠自身を見たからなんだ」
「今翠と付き合ってるのは俺の意思だ。それだけは誤解しないでほしい」
俺の声が教室に響くと、教室は静寂に包まれた。すると翠は、仁に向かって勢いよく頭を下げた。
「仁くん、ごめん!!」
「俺、凄く最低なことした。仁くんと綾人くんの気持ち踏みにじって·····。許されないことだと思ってるけど、ずっと謝りたかったんだ···」
「本当、今でも申し訳ないと思ってる。……だから、殴るなりなんなりしていいから·····!」
ーーだから翠は、仁に気を使ってたのか。
翠は気にしていないように見えて、仁のことがずっと心に残っていたのだろう。
仁をちらっと見やると、息を吐きなんとも複雑そうな顔をしていた。
「··········翠、顔を上げろ」
「綾がああ言ってんだ。俺が許さないわけにはいかねえだろ」
「·············仁くん·····」
「この話はもう終わりだ。だからお前は俺に変に気を使うのは止めろ。お前に気を使われるのは変だし 気持ち悪ぃんだよ」
仁に顔を向ける翠の瞳には光るものがあった。そんな翠の肩を仁はぽんっと叩くと、翠は「じゃあさ····」とぽつりと呟いた。
「仁くんもさ、ちゃんと家帰ってきてよ·······。俺達いっつも三人でいたんだから、仁くんもいないと·····」
「それに俺と綾人くんに仁くんが遠慮することないじゃん!今まで通りの仁くんでいてよ·····!」
声を張り上げる翠は、正面からきっと仁を見つめた。そんな翠に目を見開くと、仁は「分かった」と、ふっと目を細めた。
なんだか久々に見る仁の笑顔に安心し、思わず口元が緩んだ。するとこちらに視線を向ける仁は、なぜかにやっと口角を上げた。
「まあ、俺も悪いけどな。お前らがヤってる時、綾の声漏れててトイレで抜いたし。だから気まずくて同じ家に居づらかったんだよ」
「えっ」
俺と翠の声が重なると、顔が一気に熱くなった。
ーー声、抑えてたつもりだったのに………。
すると俺を見ていた翠の眉間に、徐々にしわが寄っていくのが分かった。
「さっき遠慮するなって言ったよな。それは、俺も綾を諦めなくていいってことだよな、翠」
「違う、そういう意味じゃないから!」
「つーかさっき言ったことやっぱなし!取り消し!」
「あ?できるわけねえだろ」
その後も翠と仁が言い合いが終わることはなく、そんな中、下校時間を知らせるチャイムが鳴り響いた。
ほら帰るぞ、と未だ睨み合っている二人の背中を押しながら夕空の元、三人で帰路に着いた。
喧嘩をしている二人の背を眺めながら、三人で帰るの久しぶりだな、と思わず顔がほころんだ。
すると、左右から伸びる手に両手をがっと掴まれた。
「なに笑ってんだ、綾。お前もこっち来い」
「駄目!綾人くんはこっち!俺の隣!」
「痛い痛い!引っ張んなよ、もう真ん中でいいだろ!」
「··········つか綾、蒸し返すようで悪いが、俺でオナってたのかよ」
「いや今言うなよッッ··········!!」
「··········綾人くん、仁くんにそこまで言ったの?」
「違うんだよ、つい口が滑って·····っ」
右にいる翠に「ほんと綾人くんはさあ·········」とぶつぶつ言われている中、左にいる仁はそんな翠の小言に適当に相づちを打っていた。
なんだかんだこの二人仲良いよな、と思っていると、右手がなんだかくすぐったかった。
指の間をするっと撫でられると、五本の指が俺の手の平をきゅっと握った。手の平同士が合わさり、思わずぱっと翠の方を見た。
すると翠は唇に人差し指を当て、意地悪くこちらに微笑んでいた。そんな翠に顔が熱くなり、思わず顔を逸らした。
全く翠は、仁もいるのにと熱を持った顔を伏せていると、なんだか視線を感じた。
「……おい、綾。どうした?···············っておい、翠、俺がいるのにイチャついてんじゃねえよ」
「うっさいな。手ぐらいいいじゃん。仁くんのケチ」
「ああ?そんな言うなら左手は俺が繋ぐ」
「駄目!仁くんは駄目!」
「お前らまじでちょっと静かにして」
ーーまあ、こんな騒がしいのも悪くないなと思った。
End.
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