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第1話 Cランチとコーヒー
午後二時、カランカランとベルが品よく鳴った。そもそもアンティーク調の真鍮のベルは上品な音が鳴るのだけど、扉を雑に開けるともっと雑な音がする。
そっと丁寧に扉を開けて入って来たのは長身の男だ。扉も華美ではないけどアンティーク調で、なかなか男の人は恥ずかしさもあるのか委縮してしまい、背景から浮いてしまう人も多いのだけど、男は姿勢がよく堂々としているからか、扉にもベルの音にも不思議と似合っている。
「いらっしゃいませ、お好きな席どうぞ」
「ありがとう。Cランチとコーヒーで」
そう言うと男はいつもの真ん中の窓際の席に座る。男は俺が店長をしているこのレストラン『アザレア』に数か月前から週に一度か二度は来る常連で、多分四十前後だと思うのだけど、中年の男にしては姿勢も体型もいい。
いつもほんとならメニュー表と水を持って行くのだけど、そこは常連さんで、二時を過ぎるとホールのバイトが帰るのを知っているからか、前に「店先で確認していますし、忙しいでしょうからいいですよ」と断られた。かといって世間話なんかはしないし、いつも同じCランチとコーヒーなのに、いつものとは頼まれない。少し距離をとっているけど、優くて親切というのが彼の印象だった。
Cランチを作る間、彼を覗き見る。顔は切れ長な二重で、鼻が高く凛々しい、黙っていると冷たそうだけど愛想はよくて、とにかくいい。なにがいいのかっていうと、人としてとか、男としてもあるかもしれないけど、もっと単純に好み。俺はゲイでこの好みの男が来る時間が最近では一番の癒しで楽しみだった。
かっこいい好みの男に料理をつくっている。しかもこの男が来るのはだいたい二時過ぎの暇な時間帯で、今日みたいにお客が彼一人というのもたまにある。出す料理は料理人のプライドにかけて優劣はないけど、作ってる時間の楽しさは違う。好きになってくれないかなー、なんて。まぁ、男なんて論外だろう。あんなかっこいい男、女がいないわけないし、放さないわけないし。でも、薬指に指輪がないことを確認して、少し妄想したり。
「Cランチです」
「ありがとう」
ちゃんと律義に男は顔を見て挨拶してくれる。こういうのもポイント高い。低い声もたまらなく好きだ。格好はいつもスーツではなくシャツとワークパンツにキャンバス地のスニーカというラフな格好だ。似合ってはいるけど、素性が推し量れない。このあたりはビジネス街も、工場団地もない。サラリーマンの働く受容はあまりない。平日が休みの仕事? 自営業? 男が来て数か月になったがそんなことさえも知らない。知りたいけど、どうせ上手くいくわけないから、妄想だけでいい。
キッチンに戻り片づけをしながら、彼が食べるのを見る。このレストランは夜に創作フレンチをしているレストランを間借りしていて、夜のレストランのオーナーの意向で内装がアンティーク調でそろえられている。少女趣味ほどにはいかずシックでシンプルな範囲だと思うけど、やっぱり男には似合いづらく、すこしもてあましてしまう。それでも、彼がなんとなく似合うのは、ものを食べるときとても丁寧だからだろう。野菜を少しづつ食べて、スープを音を鳴らさず飲み、行儀よくとても静かに食べる。すべてにおいて静かな男で、そこに大人を感じる。自分だってもう30手前で十分大人なはずなのに、どうしてああなれないんだろう。
男はメインの大豆肉の酢豚を食べた。うちのランチは三つの日替わりメニューをメインで売っている。Aは肉メイン、Bは魚メイン、Cランチは動物性由来一切不使用の野菜がメインでヴィーガンでも食べられる。大人の男がCランチを食べるのはめずらしい。そもそも、このお店のターゲット層は、最寄り駅の駅ビルから帰る買い物終わりの主婦に、休憩のショップ店員や、近くにある大学や専門学校に通う女子学生向けで、男性一人のお客もあまりいない。
もしかしたらヴィーガンでこの店を探してきたのかもしれないけど、それにしても珍しい気がする。なんにせよ、こんなに好みの男がひとりで店に通ってくれるのは奇跡でありがたいことだ。
「ラストオーダーです」
「ありがとう。大丈夫です」
三時に閉まるので、二時半に声をかけて、自分のまかないをつくり始めた。いつも彼は食べ終わるとさっさと帰ってしまうから、彼がいるうちは彼が目に入る位置での作業だ。料理人と常連なんて他人でしかないから、今日が最後っていう可能性もある。いる間はできるだけ供給したい。
そろそろ帰るかな。と思ったら彼が窓を見て止まっている。視線を追って窓を見ると雨が降ってきていた。
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