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月が綺麗ですね②
「今日は半月なんだね」
公園に植えられている梅の花が、一つまた一つと咲き始め、桜の蕾が膨らんでいた。
昼間は温かい日もあるのに、夜になると途端に冷え込んでくる。三寒四温とはよく言ったものだ。
でも確かに春はすぐそこまで近付いてきている。
今日も飽きもせず、成宮先生の部屋のベランダから夜空を眺める。いつもみたいに膝を抱えて。
俺の心にもいつか春が来るんだろうか……と不安になってしまった。
空には星が瞬いていて、ビルの明かりがまるで宝石のようにきらきらと輝いて見える。
その全てが、まるで自分のもののように思えてくるから不思議だ。
そして、そんな光景の中で一際目を引く月。
月って本当に凄いと思う。
こんなにも広い世界を、あんなに淡い光で照らし出すのだから。そんな月を眺めていたら、何だか眠たくなってきた。
「餅米は蒸かせたかい? 満月になっちゃうぞ」
月にいる兎に話しかけてみたけど、余程満月に向けての準備が忙しいらしく、返事は返って来なかった。
「無視すんなよ、泣きたくなるじゃん」
俺はゴロンと床に寝転んだ。床のヒンヤリとした感覚と、適度な硬さが心地良い。
そのままそっと目を閉じる。
成宮先生に怒られたら帰ればいいや。「明日も仕事なんだから」と俺を叱責するのであれば、俺も素直に部下へと戻ろう……そんな覚悟はできていた。
あー、今日も仕事で疲れなぁ。
そんなことを考えているうちに、少しずつ意識が遠退いていった。
「だから風邪ひくって言ってんじゃん」
夢現に、誰かに抱き寄せられた気がした。
真夜中にふと目を冷ますと、温かい何かに包まれていて……無意識にそれに頬擦りをした。
「……ん?」
ふと目を覚ますと、目の前にはこの世のものとは思えない程の美青年がいる。俺は驚愕してしまい、言葉を失ってしまった。
なんだ、このシチュエーションは……。
全身の血が、一斉に引いていくのを感じた。
俺は成宮先生に腕枕をされていて、一つの毛布に二人でくるまって眠ってしまっていたようだ。予想もしていなかった展開に、俺はひどく狼狽えてしまう。
ドキドキとうるさいくらいに鳴り響く心音が、鼓膜に響いてうるさくて仕方がない。
一体どうすればいいんだ……⁉ 俺は静かにパニックを起こしてしまった。
「なぁ、水瀬」
ふと名前を呼ばれたから、俺は慌てて顔を上げた。
「成宮先生、起きてたんですか?」
「うーん、今目が覚めた」
視線の先には、照れくさそうに笑う成宮先生がいた。
本当は、口から心臓が飛び出るんじゃないかっていうくらい緊張しているくせに、それを悟られたくなくて平然を装う。
俺は、精一杯強がった。
だって、この思いがバレてしまったら、俺はこうしてこの人の傍にいられなくなってしまうから。
だから、絶対気付かれたらいけないんだ。
「お前、俺のこと好きだろ?」
「好き……?」
「そう、恋愛的な意味で」
今度こそ心臓が止まるかと思った。それでも俺は、ポーカーフェイスを貫くこうと足掻き続ける。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか?」
「へぇ、否定するんだ?」
成宮先生が意地悪く口角を吊り上げた。
「当り前です。俺は、成宮先生のことを上司以上には思っていませんから」
「そっか。でも、こうやってくっついているのは嫌じゃないんだな?」
「だ、だって、今日は寒いから……」
「ふふっ。そうか。でも水瀬が傍にいるとあったかいよ」
今俺に言える最高の言い訳をした後、成宮先生の胸に顔を埋めた。そんなことをしたら嫌がられるかな、って少しだけ不安だったけれど……拒絶はされない。
勘のいいこの人に、これ以上色々詮索されるのが怖くて仕方がない。
だから、この想いがバレないように、静かに呼吸を整えた。
「体調悪いのか? 元気ないし、顔色悪いぜ?」
たまたま外来ですれ違った柏木が、気遣って声をかけてきてくれる。
だけど、あまりにも的確過ぎるその問い掛けに、呼吸が止まる思いがした。
さすが長年の親友。鋭いな……。
「患ってんだよ」
「何を患ってるんだい?」
柏木が不思議そうに首を傾げる。
「恋だよ」
「へぇ、そっかぁ。水瀬が恋ね…なんか想像できないなぁ」
あまりにも失礼なことを、付き合いの長いこの友人はヅケヅケ言ってくれる。でも、それが全然嫌味に聞こえないから不思議だ。
少しの間だけ何かを考えていた様子の柏木が、ふわりと笑った。
「でも最近、お前、やけに色っぽいしすごく可愛らしく見えるぜ」
「は? なんだそれ」
「そっかぁ。恋をしているからかぁ……」
「ブッ! バァカ」
あまりにもしみじみ言うものだから、思わず吹き出してしまった。
「今日は、ついに満月ですね」
満月の光だけで、電気のついていない部屋でも全く暗さを感じない。月明かりって凄いんだと、改めて感じさせられた。
今頃、月の兎達は餅つきに大忙しだろう。
今日は、このまま帰ろうって思った。少しだけ、成宮先生の傍にいることがしんどくなっていたから。
きっと、満月が少しずつ欠けていくように、成宮先生への想いも消えて行くはずだ……だから、今だけは一人でいさせて。
今まで通りの、上司と部下の関係を続けるために。
成宮先生、お邪魔しましたって声をかけようとした瞬間、心配そうな顔をしながら、成宮先生が俺の顔を覗き込んでくる。
そのあまりの至近距離に、心臓が跳ね上がった。
「水瀬、最近元気ないな? 何かあったか?」
「べ、別に……何もない、です……」
悩みの種に心配されるのって、こんなに辛いんだって思い知る。
だって、俺はこんなにも苦しいのに、当の本人には俺の想いなんか全然届いてないんだから。
こんな想いは、俺の独りよがりなんだって、改めて思い知らされてしまった。
「気晴らしに、散歩にでも行かないか?」
「散歩、ですか?」
「あぁ。ちょっとそこまでな」
まるで子供を宥めるように頭を撫でられると、俺には断ることなんかできない。
俺は唇を尖らせながら、コクンと頷いた。
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