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第11話(最終話) 永遠の月
「自分には好きな人がいる。でもどうせその人とは結婚できないから、形だけの結婚でいいなら結婚しようと言われました。子供のために経済的な援助もすると。わたしはわたしで、亡くなったあの人しか愛せないから本当の妻にはなれないけれど、それで本当にいいのかと言いました。それでもいい、わたしとお腹の子のふたつの命が守れるなら、それでいいと。……たったひとつ出された条件が、お腹の子が男の子でも女の子でも、名前は希海にする、ということでした。そのとき、知りました。あなたの名前。あなたが男性だってこと。脩吾さんは、希海、愛してるって、堂々と言いたかったんだと思います。それだけのために、三年間をわたしと娘に使ってくれたんです。でも、本音では辛かったんでしょうね。娘はあなたじゃないし、わたしのことを愛してたわけでもない。それなのに三年間も苦しませて……ごめんなさい、わたしがもっと、ちゃんと彼の気持ちを見極めていたら、こんなことには……わたし、自分のことばかりで……」
泣き崩れる彼女を思わず支えた。それだけで折れてしまいそうなほど華奢な体だった。
「脩吾は、あなたと再会する前にこの結末を決めてたと思います」
「え?」
「あなたと巡り会わなかったら、もっと早くこうなっていたと思います。きっと逆なんです、あなたと娘さんが彼に三年も長く生きようと思わせてくれた。……だから、ありがとうございます」
彼女は更に声を上げて泣き、でも、泣くだけ泣くと、最後には落ち着いた様子で俺に言った。
「脩吾さんとは昔も再会したときも、あくまで戦友のようなものでした。恋愛関係になったことは一度もありません。あの人は家族の縁が薄かったからか、恋愛に臆病なところがあって……。彼が本当に心から誰かを好きになったというのは、私の知る限りでは、希海さん、あなただけです」
彼女と会うひと月前、解読を終えた俺は、狐塚准尉に報告をした。ただしいくつかの数字を意図的に外したり順番を入れ替えたりして、家族宛ての遺書だと偽り、彼の妻がかつての幼なじみで、いじめから救っていたことも言い添えた。
希海へ。
愛してるよ。ずっと父親をやりたかったが無理だった。申し訳ない。
幼なじみの妻へ。
一人だけ俺に優しくしてくれて嬉しかった。
希海も、妻も、永遠に愛す。 脩吾
「家族宛ての遺書なら普通に書けばよさそうなものを。これじゃ奥さんには伝わらないだろうに」
「我々にとって、あの事件は忘れられないものでした。自分も毎年九月一日が近づくと今でも気が塞ぎます。彼もそうだったのではないでしょうか。特に生い立ちの上では母親の出自を理由にいじめにあっていたようですし、事件の加害国と重ねて、より精神的に追い詰められていたのかもしれません。混乱の中では人は通常は考えもしない行為に出るものです。それに犠牲者のうち、日本人最年少は三歳の子供でした。彼は我が子が三歳になれることをひとつの区切りにしていたように思います。……全て自分の推測ですが」
「弱かったんだな、要は。ま、大した内容ではなかったようで良かったよ」
最後は切り捨てるようにそんなことを言う狐塚准尉に、危うく殴りかかりそうになるのを必死で堪えた。
だが、俺にだって本当のことなどは分からないのだ。
何故脩吾が死んだのか。偽りの妻と、俺への愛情に挟まれて苦しんだのか。冷戦が終わり、自分の生きる意味を見失ったのか。少しでもそのヒントが欲しくて彼の妻を探してコンタクトを取り、墓前で会う約束を取り付けたが、結果は先述の通りだ。「要は弱かった」。もしかしたらそれが正解なのかもしれない。
そうだとして、その弱さを誰が責められると言うのか。弱くなければ、弱い者の気持ちは分からない。弱い者の気持ちが分からなくて、どうして弱い者を守ることができるのか。弱いから強くあろうとするのだ。我が身の弱さを知っているから、誰かを守ることで、存在意義を得ようともがくのだ。俺だってそうだ。俺だって、いつも崖っぷちにいる。
そこまで考えて、俺はひとつの仮説にたどりつき、愕然とした。
ああ、脩吾よ。おまえは俺を生かすために死んだのではないのか。
いつまでもあの日を忘れられず、おまえへの恋情を素直に口に出すこともできまいまま死の淵をふらつく俺を守りたくて、命を賭して愛の証としたのではないのか。希海、愛している。俺が愛しているから大丈夫だ。あの遺書はそういう恋文ではなかったか。そう思ってしまうのは、俺の驕りだろうか。
――でも、そうやってしか守れないものがあるんだ。守らなきゃならない人がいるんだ。誰かを守るには力が必要なんだ
脩吾の声が聞こえた気がした。
「……分かってる」
そう呟いて、俺は夜空を見上げた。満月に少し足りない月が、それでも美しく冷ややかに輝いていた。
(完)
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