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Epilogue

 時差ボケが治っていないとの言い訳を己に許し、始業時刻ギリギリに市長オフィスへ足を踏み入れる。市長の休暇明け1日目。いつもの面子は揃っていた、皆2週間前と変わらないうんざりした表情で。だが、その輪の中心で周囲を席巻しているはずの元気者は、影も形も見当たらない。 「何だ、ハリーと一緒に来なかったの」  ゴードンとタブレットを覗き込んでいたエリオットが、顔を上げざま笑う。「来ないよ」と唇を尖らせ、ヴェラスコはデスクに着くモーの元へ足を向けた。 「市長は?」 「午前休。午後からは何があっても出てくるから堪忍してくれと連絡があった」  そのエクセル、合計欄の関数間違ってないかと指摘する前に、じとりと胡乱気な横目が投げかけられる。 「休暇疲れを癒す為の休暇が必要だと」 「あー……何だっけ、それ。『誰が為に鐘は鳴る』か」 「おうおう、随分お楽しみでしたねえ?」  はんっと皮肉げに鼻を鳴らし、ゴードンが両手を掲げる。彼は残りの休み中、娘達と過ごすと聞いていた。長期連休を取った己やモーの代わりに働いてくれているのだから、許してやる気にもなる。 「その様子だと、昨日の晩は彼の家にしけこまなかったらしいな」 「当たり前さ、そんな事したら幾ら市長でも腹上死する」  ヴェラスコは殊更しれっと肩を竦めて見せた。 「別荘じゃずっと離して貰えなかったし、リスボンの空港からチューリッヒに飛んで、そこで乗り継ぎ待ちしてる間にホテルでも」 「あーっくそっ、その手があったか!」  額を押さえ叫ぶゴードンを後目に、端末へ文字を打ち込み、エリオットは眉を顰めた。 「14時間ずっと?」 「ハリーは鳩時計なんかに興味はないと言ったので」 「可哀想に……」 「猿かよ、若いって怖ぇな」 「おっさん達と一緒にしないで欲しいね」    本当のことを言えば、スイスからの10時間と、帰宅してからの半日弱、夢も見ずに眠ったお陰で、何とかまともなふりをしているような有様。今週末はゆっくりしたい。ヘミングウェイの小説の主人公はインポテンツだったにも関わらず疲弊したのだから、まだまだ現役な己にそれ位の権利は許されて当然だ。 「となると……なんだ? こりゃ別荘からの帰路だから、ハリーの家でヤッたことに換算されるのか?」 「そんなことありませんよ。条件はあくまでも、『彼がハリーの家に泊まって』です」 「何だよ、まさか僕のことを賭けてたとか言うつもりじゃ……」 「うるせえ、こっちはお前のせいで30ドル損するかの瀬戸際だ」  人を何だと思っているんだとか、その微妙な金額は逆に腹が立つとか、言いたいことは山とあった。幸い、エリオットが「ヴェラは誰も予想のつかないことをやってのけたのさ」と、いつも通り丸く収めてくれる。 「ここは公平に、全員から賭金徴収だ。これで少し豪勢な昼食を買って、午後からのハリーのご機嫌を取ればいい」 「僕も出すよ、そもそも欠勤の直接の原因は僕だ」  溜息をついて、ヴェラスコは財布を取り出した。  ゴードンは猿だ種馬だ絶倫だと腐したが、誰もが大人しく取り立てへ応じているところを見ると、自覚はあるのだろう。よってたかってハリーを抱き潰したと。  逆に言えば、4人がかりでようやくハリーをねじ伏せることが出来た。何だかいつの間にか、ドラゴン退治とか、そう言う類の話になっていないだろうか。 「それで」  ヴェラスコは共犯者、或いは同志達を見回し、やたらと乾燥を感じる目を瞬かせた。これは過眠か、飛行機か、どちらが原因だろう。 「ヨーロッパは楽しめた?」 「良い経験だった」  その答えが良心的に捉えられるばかりだとは限らないと気付いたモーは、すぐさま赤面してデスクトップ・モニターに視線を戻した。 「ハリーも喜んだようだし、それが何よりさ」 「彼と一緒に観光したんだろ」  涼しげに言ってのけるエリオットに、頬を膨らませて見せる。何だか得体の知れない所はあるが、この男は自らの甘えへきちんと乗ってくれると、ヴェラスコは熟知していた。 「ずるい、僕もあの城へ行きたかったのに」 「後で写真送るよ」 「ゴーディ、あんたずっと仕事の話してたって? ハリーが嘆いてたぞ」 「お陰で遊園地に新たなスポンサー獲得だ、有り難く思え」  確かに、ゴードンが悪びれる理由はない。休暇中にテキストで送られて来た、ビール会社との契約についての連絡へは目を通している。これで疲弊した子持ちの父親も、少しは重い尻を上げる気になり、家族サービスへ励もうと言う気になってくれるだろう。 「けれどまあ、少し羽目を外し過ぎたことは確かだな」  エリオットがぽつりと溢した呟きに対し、しばらくは皆反応を返すことはしなかった。理解でなく、感情が拒んだのだ。結局、ゴードンの如く曖昧に肯定の唸りを放つものもあれば、ヴェラスコのように内心で頷くものもあり、誰もが認めざるを得なかったのは確かだ。  意外なことに、ほんの少し抗してみせたのは、モーだった。 「ですが、ハリーは満足していると思います」  彼の言う通り。今こそ駄々を捏ねてはいるが、市長はきっと昼から、至極満足げな顔で登庁してくるだろう。暫くは良い子にしているとしても、1週間もしないうちにまた誘惑を仕掛けてくるに違いない。 「幾らなんでも1週間は……そんな酷使したら、あそこが擦り切れるかも」 「真顔で言うなよ、モー。笑っちゃうだろ」  秘書ががつっかえつっかえ操るマウスの側に50ドル叩きつけるのを、ヴェラスコは一切躊躇しなかった。 「僕は1週間以内。君は1週間だな」  モーは唸りながら、スラックスのポケットから財布を取り出す。 「10日」 「いや、どう考えても3日だろう」  ゴードンの銅鑼声は、新たに積み重ねられた20ドルと10ドルの束を吹き散らかす勢いだった。皆に視線を向けられたエリオットも、結局マネークリップから紙幣を抜き出す。 「5日かな」  今回は必ず誰かが勝つ。結局、皆負けず嫌いなのだ。そうでないとこんな仕事やってられない。  駄弁っている間に時刻は11時過ぎ、誰よりも勝利にこだわる男が戻ってくるまで、もう幾らも掛からない。ヴェラスコはスマートフォンを取り出し、ハリー宛のテキストツリーに「昼食のご希望は? 僕達の奢りです」と手早く打ち込んだ。

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