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第1話

1.初めての気持ち 「うちのバンド入らない?」 そう成瀬千早(なるせちはや)が声を掛けられたのは高2の10月の終わり頃だった。 「はぁ?バンド?」 知らない男からの、思いもよらない誘いに面食らってマヌケな声が出た。 「急にごめんね。俺、隣のD組の真島巽(まじまたつみ)って言うんだけど。文化祭で俺らライブやったんだけど、観たりしなかった?」 「あ〜?ああ…」 記憶を辿ると、確かに体育館のステージで同級生たちが組むバンドの演奏を観た気がする。有名なバンドのコピーをやっててそこそこボーカルも演奏も上手かった。ただ、この男がその中にいたかどうか定かではなかった。 金髪を後ろで小さくひとつに括っていて、リング状のシルバーのピアスが左右に5、6個ずつ光っている。身長は千早より少し高いくらいか。綺麗な平行の二重をしていて、目元には独特の色気があった。 「ベースが最近抜けちゃってさ、メンバー探してたんだよ。できればルックスがいいヤツがいいなって話しててさあ。で、成瀬くんに声かけたんだけど」 真島はさも当然のことを言っている、というような顔で口の端だけで笑った。 「え、いやいや、俺、ベースなんてやったことないんだけど?」 「ギターとかもやったことない?」 「ギターは…中学の頃ちょっとだけ練習したけど上手くなんなかったし」 「じゃ、大丈夫。きっとすぐ弾けるようになる」 「いや、上手くないって言ったろ」 「ベースの方がたぶん簡単だからさ」 「そうかあ?」 「ね、ちょっと練習、観に来てよ」 「うーん…」 「な、な、ちょっとだけ。部活入ってないんだろ?」 「うー、まあ…」 特に乗り気ではなかったのになんとなく真島に付いていってしまったのは、まあ暇だったからだった。 そしてノコノコ付いていった部室で千早はかなり歓迎された。 「成瀬みたいな華があるヤツが入ったらもしかして俺らのバンド売れちゃうんじゃね?」 ドラムをやっているリーダーの土岐は興奮したように言ったし、 「大丈夫大丈夫!演奏は俺らでカバーするからさ。簡単なコードだけまず覚えてくれればいいから!頼むよ、入ってくれよ〜!」 ボーカルの小宮山も拝まんばかりの勢いで言った。 物静かそうに見えるキーボードの田口にも「うん、頼むよ、成瀬くん」と微笑まれて、いつもは他人の頼みなど軽く聞かない千早もなんとなく後に引けなくなった。 「…分かった。けど、ほんとに期待しないでね。自分で無理だと思ったら抜けるし」 そう答えると「やった!」「よっしゃ、動画作ろうぜ、動画!」とかメンバーたちは勝手に盛り上がり、どんどん今後の話を進めていた。 それを見て(あ、安請け合いしすぎたかな?)と思ったけど、まあ当分は暇だし喜ばれてるみたいだし、やってみようかなと気分を変えた。ちょうど退屈な上にくさくさしていたのもあった。 「俺、推薦入試に向けてちょい本気出すからしばらく部屋に来るの禁止な」 真島にバンドに誘われる少し前の10月の半ば、隣の家に住むひとつ年上の幼馴染の倖田数生(こうだかずき)にそう言われて千早はムクれた。 「試験て来月の下旬でしょ。入試っていっても小論文と面接とかだけなんだし、会ってもよくない?」 「いや、会わないとは言ってないけど、部屋で会うのはやめとく」 「俺の部屋ならいいの?」 「バーカ、そしたら同じだろ。…お前、二人きりになるとすぐ触ってくるじゃん」 「触られてすぐその気になるのはどっちだよ?」 「それはっ…お前がエロい触り方するからだろ!な、あと1か月半くらいだし。といっても受からなかったらまた期間が伸びるんだけど…。合格するまではさ、何もせずにいようぜ」 「……」 納得はいかないが数生が真剣な表情だったので仕方なく千早は頷いた。 正直、いまだってエロいことをするといっても抜き合いしているだけで最後までしているわけではないし、毎日というわけでもない。ただ、週末は金曜から日曜までほとんど数生の家に入り浸ってはいた。 数生は身長は182もあって千早より10cm近く高く、テニスを長年やっているだけあって身体つきもしっかりしているし、腹筋だってバキバキに割れている。対して、千早は万年帰宅部だし運動もほとんどしないからガリガリというわけではないけど痩せ型だ。このままではいけないかな、と少しだけ筋トレはするようになったが、パッと見でも二人の体格差は結構ある。 そんなだけど、敏感で少し触れるだけでぐずぐずになって甘い声を出す数生が可愛くて、二人きりになればちょっかいを出さずにいられない。 なにしろ長年片想いをしてきたのだ。何人も数生の彼女を見てきたが、みんな今どき黒髪で可憐なタイプで自分とは性別もなにもかもが正反対だった。だから、数生が女の子と付き合ってそのまま幸せになっていくのを指を咥えて見ていることしかできないと思って半ば諦めていた。 けど、思い切って肉弾戦に持ち込んでみたら意外なことに数生の心はこちらに傾いた。それは思ってもみなかったことだった。 積もり積もった数生への純粋なだけではない欲望が爆発して、許してくれるならば千早はなんでもするようになった。ただ、一応ちゃんと付き合い初めて3ヶ月くらい経つが、最後まではなかなか許可してくれない。 物心着いた頃から数生が好きだった千早とは違って数生はもともとノーマルな男だから、あまり急かすようなことはしないようにしている。が、当然、毎回寸止めのような行為ばかりなのでムラムラモヤモヤは常にしていた。 あげくに大学に合格するまでの間、接近禁止令まで出されて千早の不満は溜まりに溜まっていたのだった。 真島に誘われてなんとなくバンドに加入した千早は、何代か前の先輩が新しいものを買ったので置いて行ったとかいう古いがなかなか質の良いベースを貰い受け、そこそこ真面目に練習を始めた。 前のベースはメンバーと揉めて辞めていったと聞いたが、メンバーたちはバンドマンらしくそれぞれイカつかったり派手だったりするものの、気のいいヤツばかりだった。 ベースはギター担当の真島が意外と丁寧に教えてくれた。 「俺、中学の頃のバンドではベースもたまに演奏してたんだよ。成瀬、基本の押さえ方とかコードとかは分かる?」 「いや、ベースのはよく分かんない」 「まあ、ギターの弦押さえたことあるんなら多分大丈夫だよ。あ、構え方は、こういう感じでネックはちょっと前に出した方がいいかな。慣れるまではこっち側の肘はボディに置いた方がいいかも。こうやって…」 真島は立った千早の背中に回り込んで、身体を後ろから包み込むようにし、手を重ねてベースを持つ位置を調整してくれた。何か香水でも付けているのか薄っすらスパイシーな香りが鼻をくすぐる。 数生以外の男に触られてもドキドキするわけではないが、ああ違うヤツと触れ合うとこういう感じなんだなとか、なんとなく千早は思ったりしてしまった。 「退屈かもしんないけど、最初はフレットを順番に押さえながら音を一つ一つ出していって反復練習するんだ。そう、そう、いい感じ」 ギターは独学で始めたからあまり効率のいい練習方法が分からずなかなか上手くならなかったので放置してしまったが、そうして人から教えてもらって練習するとするりと飲み込めて、徐々に楽しくなって来た。 思えば数生のことにかかりっきりになってしまって友達付き合いも最近はあまりしていなかった。数生にあまり会えない間、違う人間関係を作ったり他に集中することが出来たのはいいことなのかもしれない。 そんなふうに真島に練習を見てもらっていたある日、ベースのストラップを買いに行くのに付き合ってもらった。 「これくらいの幅があるといいんじゃない?あと、弦も先輩が置いてってから多分変えてないからなあ。そろそろ交換した方がいいかも」 「じゃ、弦も買ってこうかな」 「他の道具はだいたい部室にあるし、なかったら貸してやるよ」 「ありがとな、真島」 真島は見た目こそ派手だが、言葉遣いも物腰も柔らかく親切だった。話も合うし、人に対して壁を作りがちな千早も徐々に心を許してきていた。 ただし、人当たりが良すぎてなんだか距離感が近い。ちょっとしたときに気安く肩を組んできたり、呼び止めるときに腕をしっかり掴んで来たりする。練習のときも手を重ねて来たり、接触して教えてもらうことが多い。だからといって千早も(まさかな)と思っていた。自分がそうだからって人を疑うのは良くないよなあ、と。 しかしその日「弦の張り替え方、教えてやるから」と千早の家に付いてきた真島は、張り替えを終えると、急に言い出した。 「ね、成瀬ってさ、ノーマル?」 「は?」 何を聞かれているか咄嗟には分からなかった。 「俺はさ、実は男が好きなの」 「え、そういうこと?!」 まさか、本当にそうだったとは。やたらとベタベタ触ってきたりするな、いやいや、そういう感じ方をするのは良くないのかも、とか思っていたらビンゴだったわけだ。 「だからさ、成瀬はどーなのかと思って」 「どうって…。真島は俺のこと、そうだと思うのか?」 「違ったらごめん。これってさ、たぶんなんて言うの、同志だからなーんとなく感じるっつーか…ノンケのヤツには絶対分かんないと思うけど。バンド誘う前から実は気になってたんだよね、成瀬のこと。かっこいいヤツがいるなと思って」 「…よく分かったな。当たりだよ」 成瀬がカミングアウトしてきたのだから、自分だけ頑なに隠すのもどうかと思った千早は素直に答えた。 「やーりー!やっぱそうなんだ。な、付き合ってるヤツ、いるの?」 「……いる」 「え!いるの?!」 「…うん」 「くそぉ、なんだよお〜〜!!」 真島は叫んで床に突っ伏した。 「なんだよ、真島って俺と付き合いたくてバンド誘ったの?」 「いや、最初はベースがいなくなってどうしようかなと本当に思ってて…。隣のクラスに目立つヤツがいるなー、バンドに入ってもらったら華やかになっていいかな〜、でもきっと断られるだろうなとか思ってたんだ。成瀬にもともと興味持ってたのもあって、声かける口実ができたしダメ元で誘ってみたらギターやってたっつーからさ。ラッキー!て思って…」 「なるほどねー」 「…うう、ラッキー、って思ったのに…。成瀬ってさあ、タチだろ、たぶん?」 「は?」 「え、知らねーわけじゃないよな。男側、だろ?」 「ああ、そういうことね。うん、タチってヤツだわ」 「俺はウケのほう。ネコともいうけど」 「そーなんだ」 「知ってるかもしんないけどタチよりウケの方がこの世界、ずっと多いんだよ〜!だから、相性いいヤツ探すのって大変なわけよ。成瀬みたいなヤツと仲良くなれたら最高だと思ったのに」 「それは…ごめんな」 千早が一応すまなそうに言うと真島は項垂れたまま聞いてきた。 「相手ってどんなヤツ?」 「それは内緒」 「なんだよ〜〜!…けどまあ、男同士の恋愛なんてさ、移り気だし、短く終わることも多いし、俺にもまだチャンスはあるよな?」 「どーかな…。真島は男と付き合ったことあるんだ?」 「ああ。中3の頃なー。卒業前に振られたけど。相手は25で、社会人だったよ」 「ええ、そんな年上と付き合ってたのか?!不っ良〜!」 「まー、たしかに今思うと中学生と付き合うような社会人て倫理的にどーかと思うよなあ。けど相手が慣れてるから、助かったことも多かったけどな」 「したのか?」 「とーぜん」 「…良かった?」 「最初はなかなか入んなくて、いってえ〜!とか思って半泣きだったけど…何回かヤって慣れると良くなってきたよ。てか、なに?成瀬、相手のヤツとまだヤッてねえの?」 「…してない」 「えっ!まさか、成瀬、童貞なのか?女ともヤったことないんだよな?」 「そう、女ともない。付き合ったことはあるけどな」 「意外だな〜。付き合ってるヤツがいるんならバンバンやってんのかと思った。大切にしちゃってんのか?」 「…まーな。無理強いしたくないし」 「マジかよ?…成瀬っていい奴だな。ますます好きになったわ」 「いや、ごめんて」 「まあまあ。俺のことはおいおい考えてよ。それまでは単なる友達ってことで…。あ、なんならセフレとかでもいいよ、成瀬なら。まだヤってないなら溜まってんだろ。いつでも相手してやるよ?」 真島はニヤニヤ笑いながら千早の下半身をわざとらしく見遣った。 「うるせえな、セクハラやめろ。真島の世話にはなんねーよ」 「まー、期待せずに待ってるから」 「はいはい。じゃ、今日はお開きな〜」 いくら相手の方がウケだからってこれ以上密室にいるのは危険かもと、軽口を叩く真島をいなして帰り支度を促すと「チッ」といいつつ腰を浮かした。 ところが門の外に真島と共に出ると、ばったり帰宅してきた数生と出くわした。 「あ、千早」 「数兄(かずにい)…おかえり」 リュックを肩に掛けた数生は、千早と一緒にいる男に目を遣った。 「お客さん?」 「ああ。隣のクラスのやつ。真島っていうんだ。真島、この人、隣の家のひとつ年上の倖田先輩」 「ちはっす。真島っす」 真島が軽い調子で頭を下げると、 「そっか。俺、千早とは昔っからの幼馴染ってやつなんだ。よろしくな」 とソツのない様子で数生は微笑んだ。 「はい、よろしくお願いします。…成瀬、じゃあ俺、道分かるから一人で帰るな〜」 「そうか?じゃ、また明日な」 「うん、また明日」 そう言って真島は一度背を向けたが、不意にくるりと振り返って千早の肩に手を掛け、 「本当にいつでも相手するからね」 と耳元で小さく囁くと、ニコっと笑って帰って行った。 そんな真島を手を振って見送っていると、「珍しいな、千早が友達呼ぶなんて」と後ろから言われて振り向いた。 「ああ。実はさ俺、最近、あいつがやってるバンドに入ったんだ」 「バンド?お前、楽器なんてできたっけ?」 「覚えてないかな、中学の頃、ギター買ったじゃん俺?で、一時期ちょっとだけ練習してたんだけど」 「あー。そういや、下手っぴでおばさんにいつも外で練習しろって怒られてたよな」 「そうそう。で、練習するとこもあんまりなくて上達もしないから基礎のコードだけ覚えたくらいで放ったらかしだったんだけど。あいつにベースのメンバーを探してるとか言われて声掛けられてさ、教えてもらってんの」 「…ふーん。そうなんだ。なんか仲、良さそうだったな」 数生のどこか浮かない表情を見て(あれ?)と千早は思った。 「…数兄、なんか不機嫌?」 「べっつに〜。家に呼んだりして楽しそうだな、と思ってさ」 数生が門に手をかけてプイ、と顔を背けたので千早は目を丸くした。 「…なに?もしかして気に入らない感じ?」 「…そんなんじゃないけど」 「俺が、真島と家で何してたか、気になったりする?」 「お前なあ…。別に、そんなこと…」 「そんな顔してんじゃん」 そう言うと、むす、としたように数生が黙り込んだので、溜まらなくなって千早は数生の手を取った。 「数兄、ちょっと部屋に来てよ」 「え、嫌だよ、受験終わるまでは上がらないっつったろ?」 「いーから!ちょっとだけ」 ぐいぐいと腕を引っ張ると、しぶしぶといった感じで数生は千早に付いてきた。

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