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1.※虐待

新倉家は、代々音楽家の家柄である──⋯⋯。 だから、「新倉家のために」とか「呼吸するように楽器を弾けるのは当たり前」などと、頭が割れそうなほどの金切り声で告げられる圧は、幼いながらも非常に重荷であった。 その"新倉家"である、一人息子の紫音は、物心がついた頃から、母と同じヴァイオリンを弾かざるを得なかった。それに加え、塾に水泳、歌のレッスン、ピアノ、さらには名に恥じぬようにとマナーと休みもなく、様々な習い事をこなすという目まぐるしい毎日を送っていた。 だが、幼い身にとってはあまりにも耐えきれない量であり、それにまだ遊び、甘えたい年頃でもあり、ついに限界を超えた紫音は、ヴァイオリンの練習中、「できない」と普段の母のように甲高い音を出し、「やりたくない」と持っていたヴァイオリンを投げてしまった。 物心がついてから初めての日親に対する反抗的な態度であり、そして──。 「何しているのッ!」 耳をつんざく声と共に、頬に激しい痛みが走った。 後々からヒリヒリとし、口の中に血の味が広がっていった時に、頬を叩かれたんだと分かったが、もうその時には、もう一度強く叩かれ、さらには。 「なんてことしてんのッ! 愚か者! 新倉家の恥! 誰があんなことをやれと言った! この馬鹿垂れが!」 おもむろにズボンを下ろされ、臀部を晒されたかと思うと、いつも以上に酷い言葉と共に強めに叩かれた。 何度も何度も。 いくらこっちが「ごめんなさい」と、泣き叫びながら謝っても、母の気が済むまで叩かれ続けた。 そう、この時が最後の反抗的な態度となり、これがきっかけで今までと比べ物にならないほど、異様なまでに厳しい指導をされた。 自分としては一生懸命弾いているのに、母からすれば気に入らないようで、治りきってない臀部を叩かれる。 前の痛みと今の痛みもあって、耐えきれるわけがなく、その時も泣いてしまっていると、「泣く暇があるなら、弾けッ!」と叩く。 そうしているうちに、自身の手で叩くのが煩わしくなったのか、黒い棒状の物で叩き始めた。 それが今思えば、鞭という物だと知り、同時に未だに恐怖の対象になった。

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