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第1話
ざわざわとした声の群れが、ひっきりなしにまとわりついてくる。
圭吾はハイネケンの瓶を片手に本日何回目だかの溜息をついた。
「そんなしけた顔 してんなよ」
同僚のジョイスが、そんな圭吾の背中をポンポンと叩きながら自分もストレートのバーボンを一気に煽る。
「腐る気持ちもわかるけどさあ」
そう言ってジョイスは、足元に落ちているビール瓶をコンッと蹴り飛ばした。
「ああ、もう!なんてガキが多いんだここは!」
悪態一言で圭吾が肘をついているカウンターへ向き直り、バーテンダーにグラスをあげて同じものを注文する。
場所柄ラフな私服を着てはいるが、二人とも現職の警察官なのだ。全世界が統一されて半世紀。次第に凶悪化してゆく犯罪にも警察機構は必死に食い下がり、今では未解決の事件というのは全世界で100件を切っていた。しかし、その警察機構でさえいまだに手を焼いているのが、古来から社会に根付く「薬物」の取引だった。
薬の質もかなりハードなものになってきており、今警察では躍起になって追い回しているのだ。
麻薬捜査官といえば警察の中でもエリート中のエリートで、そこまで上がるのは容易なことではない。その薬物専門の捜査官に、ここにいる二人はこの春任命されていた。
「全くさ、情けねえのは自分だけど、何が悲しくて補導員…」
何世紀も前なら『とほほ』とでも言いたげに、ジョイスも「はあっ」とため息をついて頭を抱える。
そんなジョイスの独り言を聞きながら、圭吾はジョイスとは逆にカウンターへ背を向けるように寄りかかり、瓶を一口煽った。
先の捜査で、このペーペーコンビは、重大なミスをやらかしていたのだ。
その取引はバイオレットが介入していると言うことで、当局もいつもより操作の枠を広げ徹底的に取引現場の洗い出しを図っていた。バイオレットの介入した取引は100%の確率で成立していたので、バイオレット逮捕は全世界の警察機構の最大目標になっているのだ。世界中を飛び回り、あらゆる組織と契約を結んで「薬物」の取引をするバイオレットの素性その他は一切判っておらず、組織なのか、一人なのか、男なのか女なのか、全てが謎に包まれているのだ。
そんな捜査の中、圭吾とジョイスは偽の情報に踊らされ、囮の取引現場へ誘導され拉致までされて、この大事な局面に捜査員を二分させてしまうという大失態を犯したのだ。
その間に取り引きは行われてしまい、バイオレットからの通信メッセージにて終了されたことが確認された。
2人はその後何事もなく解放されたが、おめおめと帰ってきた捜査部のその場で1年間の減俸と半年間の降格処分を受け、少年課へ出向。そして今若者が集まる札付きの酒場で悲しき補導員に身をやつしているのである。
「まあ、取り敢えずは与えられた任務を遂行しようじゃないか」
些か生気に欠ける声音ではあったが、圭吾はそう言ってビールを空けふと目についたアーケードゲームに目をとめた。レトロゲームで、車のレースゲームなのだがそれに熱中する1人の少年がいた。
どう見ても未成年。
「子供がこんな時間に感心しないな」
そう一言呟いて、圭吾はカウンターから離れる。
「ちょ、圭吾…」
ジョイスは一瞬圭吾の後を追おうとするが、彼は任務を遂行する気はないのか、すぐに追うのをやめ目だけで追いながらバーボンを口にした。
「IDカードは持っているか?」
ボックス型のゲーム機を覗き込むようにして、圭吾は短い黒髪の少年に声をかける。ボックスごと揺れる体幹ゲームに夢中な彼は、圭吾の声は丸無視だ。
「IDカードは?」
少し声を荒げてゲームのリセットボタンを押す。
「俺に言ってたの?」
だからって何も止めなくたって…などと言いながら、デニムの後ろポケットからIDカードを差し出した。
「未成年じゃないぜ」
ニっと笑う少年をチラッと見て、圭吾はカードを受け取る。
「蒼真・岩沙(ソウマ・イワサ) 18歳。ホットスタッフの予備職員か。…にしては若いな」
「ここの出来が、普通の人間と違うのさ」
人差し指で頭を指しながら、それが彼の癖なのか再びニッと笑うと
「もういいでしょ?」
と、圭吾からカードをひったくり、コインをゲーム機に押し込んだ。
再度ゲームにかかりだす蒼真の傍で、ナンパに失敗した若造のように立ち尽くした圭吾はこのまま引き下がるのも癪なので、暇も手伝ってその傍の椅子を引き寄せ座り込む。
この年齢でホットスタッフの予備とはいえメンバーでいると言うことは凄いことだった。
メディカルバイオラボラトリー、略してMBL。通称ホットスタッフは、文字通り医療とバイオテクノロジーの中枢機関で世界中の頭脳が集結していると言われ、アメリカ区に在するMITと肩を並べる存在だ。
「ホットスタッフで何を研究してるんだ?」
「ん?俺?もちろんバイオだよ。本当は電子工学とかロボット工学の方が俺向きなんだけどさ、好きなものは仕事にしたくなかったんだよ」
IDカードを提示させられたのだから、圭吾が警察のテだと言うことは判ってるはずだが、蒼真は嫌なそぶりもせずに圭吾の話に乗ってくる。
「随分ゲームに慣れてるな。通ってる口か?」
「いや、初めてやったよ。面白いねこれ」
初めてやって、高得点の出にくいこのゲーム機で既に5セットまで行っているのは大したものだな、と感心してみている、その時
「蒼真っ!」
店の反対側の方から、よく通る声が響き渡った。
蒼真はボックスから飛び出して、その声を探す。
「翔っどこ…やべえっ」
声の主を翔と呼んだ蒼真は、伸び上げた身体を咄嗟に下げて圭吾の脇に隠れる様に身を潜めた。
何事かと圭吾が蒼真が見ていた方を見ると、スーツを着込んだ男が2人、こちらへ向かって来るのが見える。
たむろする若者を無理やりかき分けてくるものだから、あちこちで怒声が上がっていた。
「何だよおっさん!来る場所間違えてるぜ」
無造作に扱われた若者が、追っ手の男の胸ぐらを掴みにかかっている。立場上騒動が起こってはまずいので、圭吾は仲裁に入ろうとした矢先、圭吾の目の前を若者がボールの様に吹っ飛んでいった。まともな人間じゃないな、と言うのは一目瞭然だ。
若者を投げた男はそれ以上彼には興味を示さず、真っ直ぐに蒼真へと向かって来る。
「翔!例のとこで会おうぜ!」
蒼真はそう叫んで走り出す。
「わかった!」
「あ、おい!」
圭吾は蒼真を捕まえようとして躱されてしまった。
「待て!」
男たちもそれに倣って走り出そうとしたが、圭吾はこちらは止められた。
「警察だ。一体なんの騒ぎなんだ」
一応成人なので、落ち着いた職質。
「関係ない!どけっ」
圭吾を先ほどの勢いで払いのけ、男は走り去る蒼真を追おうとしたが、圭吾はスーツの裾をかろうじて掴んでそれを許さなかった。
「それなりの理由だったら聞いてやる。あの少年に用があるなら協力もするが」
「関係ないと言っているだろ!」
もうひとりの仲間の男が、後ろから圭吾の後頭部を殴りつける。
「っつ!」
「はい〜、公務執行妨害ねー」
圭吾が不意打ちに床に膝をつくかつかないかの間に、ジョイスがもう一度殴りつけようとした男の手首に磁気手錠を嵌め込んだ。
「ちくしょう!離せっ」」
暴れる男を引っ張り上げて、圭吾を見る。圭吾は膝をついた時に釣られて倒れた男に抜け目なく手錠をはめていた。
「OK OK 偉いぞ」
ニコニコ笑って圭吾に拍手をするジョイスに、圭吾は思い切り嫌な顔をして立ち上がる。
「どうせ助けるなら、殴られる前に助けろ」
「殴ってくれなくちゃ逮捕できないじゃん〜」
しゃあしゃあと言ってのけて、行こうぜと先に立って歩き出してしまった。圭吾は舌打ちをして、手錠をはめた男を引っ張り上げ、抵抗する男の腕を捻り上げて後に続いた。
2人の男を車に乗せようと外へ出た時、圭吾はふと路地の陰に人影を確認して足を止めた。
「ジョイス、俺はここに残るからこいつらをたのむ」
「えー!もうすぐ時間じゃんか。一緒に行って手続きしろよー」
「このまま帰らせてもらう。頼んだぞ」
路地を凝視しながら言う圭吾に、ジョイスは
「きったねー」
と、ブツブツ言ってみるが、さっきやってきた交代要因に引き継ぎもあるし、ちょっと乱暴なお兄さん方だけど一緒に行くほど凶暴ではない。
「貸しだからな!じゃ、明日〜」
男2人を後部座席に押し込み、ジョイスは騒動に乗じてやってきたおまわりさんも乗せて警官にあるまじき発進で走り去っていった。
「さて」
圭吾は、先ほど人影を認めた路地へと足を向ける。覗き込むと灯りもない路地裏は、奥へ行くほど先が見えない。
「見間違いだったか…」
そう考えつつ店へと戻りかけた時、圭吾は足首を掴む感覚に身体を震わせるより早く銃を向けた
「撃つなあっ!俺だよおれ!」
圭吾の左足に取り縋るようにしているのは、先ほど追っ手から走り去った蒼真だったのである。
「やっぱりお前か。不用意に触れて来るからだ」
銃をしまいながら、蒼真に手を差し伸べて立ち上がらせた。
「判ってたんなら銃向けんなよ」
パンパンと服を叩きながら、蒼真はにらむ。
「何が起こるかわからない世の中なのでな。おまわりさんとしては当然の行動だ」
「なにがおまわりさんだよ」
ケッと言いたそうに呟いて、蒼真は再び店へと足を向けた。
「どこへ行くんだ?」
「決まってんでしょ、ゲームの続きしに行くんだよ」
当たり前だろ?とでも言いたそうに蒼真は振り向く。
「懲りないやつだな。追手はもう平気なのか」
「まさか同じ所で遊んでるとは思わないよね」
ヘラっと笑って再び店に向かおうとする。
「相棒がいた様だが?」
「あ、あいつなら、待ち合わせ場所くらいなら全然大丈夫。心配することない」
じゃあねといわんばかりに手のひらを振って、店に入ろうとした蒼真に圭吾は不意に
「今日はゲームはその辺にして、飲みにでも行かないか?」
とお誘いの言葉。そんないきなりな言葉に、蒼真は
「は?」
と間の抜けた声を出してしまった。
「なにそれ、もしかしてナンパ?」
いけないなぁ〜おまわりさんが。と締めくくりの嫌味も忘れずに、それでもニヤニヤと笑って圭吾へと身体を向ける。
「ナンパなんかじゃない。職務質問だ」
お返しとばかりににっと笑う圭吾の気の利いたジョークに、蒼真も思わず吹き出した。
「OK。わかったよ」
店に向かっていた身体を完全に反転して、圭吾の肩へと手を添える
「どこにでもついてっちゃうよ」
語尾にハートをつけて蒼真は笑った。
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