11 / 24

第11話

 1週間が過ぎた。  五月に入ってだいぶ暑くなったが、4人の生活は取り敢えず何事もなく平和に過ぎていた。 「こんだけ?」  その1週間の間にユージが調べ上げた圭吾とジョイスの身上書は、ごく普通のありきたりのものだった。  蒼真は実に不満そうだ。 「よく考えろよ。そこまでだって立派なもんだと思うぞ俺は。大体から特捜部の人間が『私は麻薬特捜部に勤務しています』って言うと思うか?情報だって開示する訳がないんだよ」  そりゃあそうだけどさ、それをもっと深掘りすんのが仕事じゃねえの? と無理なことを言って、端末を消そうとしたが、翔が興味深そうに眺めてきたので席をかわってやった。 「ケイゴ・タカナシ  統一歴27年生まれ23歳 へえ、圭吾って23なんだね」 「ジジイだな」 「蒼真…5歳しか違わないじゃん。国立の…トウキョウ区大学司法学科をスキップ卒業…結構すごいね。頭いいんだな圭吾って」  ユージの調べでは、圭吾は20歳で大学を出て、2年間アカデミーへ行った後現場経験を経て、少年課にいるということだった。  しかし蒼真は元々少年課ではないと聞いているので、ユージが嘘をつかまされてきたこともわかっている。経歴は知らないけれど。  しかし驚いたのは、ジョイスまでもが大学からは圭吾と同じ経歴だと言うことだ。 「ユージが嘘つかまされてきてるから、それも嘘なんじゃないのか?」  あのノー天気がそんな訳ないじゃん、と思い込んでいる蒼真の言葉はきつい。 「嘘なわけじゃねえんだよ。出てくるのがそれしかなかったって事」  ユージにも情報屋としての自負がある。蒼真にしても、こと圭吾に関してになると厳しくなるのは気にかけているからなのだろうが、それは蒼真自身も気づいているのかいないのか。  圭吾は少なくとも気づかないふりをしてはいる。   何にしろ、この調査では肝心のことは判らなかった。蒼真はしばし考え込んで 「ん〜あまりやりたくはないんだけど、やるしかないかな。よしやろう」  1人で解決して立ち上がると 「ユージ、端末(本体)かして」  と隣の部屋へ入って行った。 「カードあるぞ?」 「それじゃやりにくいんだよ」  端末の前に座ってキーを叩く。 「なにすんだ?まさか警察(サーカス団)のネットワークに入り込もうって訳じゃ…」  ユージがまさかね、と思いながら聞いてみたが 「そのまさかだよ。まあ、あんまりやりたくはないんだけど、こうなったら仕方ないし」   翔が後ろから面白そうに覗き込んできた。  軽いキータッチの蒼真の手は、翔が瞬きをする間に何行もの解らない者には全く意味をなさない呪文のようなアルファベットを綴ってゆく。  企業へのハックもさることながら、警察へのハックは見つかり次第A級の犯罪になるため、今では挑戦するものもいないほどだ。A級犯罪は、下手したら終身刑にもなり得る。  それまでに何人かが中に入るだけ、とチャレンジしたが誰も破れていない難攻不落のプログラム。  それをいま蒼真がやろうとしている。 「俺のマシンでやめてくれよ、俺が捕まるだろ…」  蒼真の隣でユージが不安そうに画面を覗き込む。言葉は懇願に近い。 「大丈夫だよ、お前が捕まるようならここ借りないよ。捕まったりしないから借りたんだ」 「できる訳がないだろう…」  ユージは自分が捕まったら、まずイッペイに…とか先々のことまで考え始めている。 「本当に大丈夫だって、その代わりどっかの国の山奥にある、誰もいないロッジかなんかが容疑にかかるだけだ」 「誰も住んでないところならまあ…」  と、後ろで翔も苦笑する。しかしユージは 「発信源を変えるって言うのか?それこそそんなこと…」  とユージが嘆き節になりかけた時、蒼真が一言 「できるってば、だってこのプログラム組んだの俺だもん」  暫くトントンとパネルを叩く音だけが響き渡り、翔は急に黙ったユージの顔をみて思わず吹き出してしまった。 「なんて顔してんだ?」  ユージの顔と言ったら、目を見開いて口は『はあ?』のまま開かれて、そのまま呆然と蒼真を見つめていたのだ。蒼真もその顔をチラッと見て 「すげえバカ面」  集中しているから笑えないが、普段だったらお腹を抱えて笑っている顔だ。  そんなことを言いながら進める指は、最後のキーを押して 「よし、つながるかな」  しばしのインターバル 「おまえ…今なんて言った…?」 「やった、繋がったぜ!」  よっしゃ!と翔と手を合わせる2人の声に、ユージのまともな質問はかき消された。 「言わなかったっけ?今企業で使われているネットのガードはほとんどが俺の作品だよ。ハワードが暇つぶしに仕事くれて、研究費の足しにしろって特許も取ってある。まあその口座は、いまやハワードが独り占めしてるけどな。莫大だぜずるいよな」  そんなことを言っている間にも手を動かし続け、画面には圭吾の顔写真や経歴そして部署名が表示されていた。  紛れもなく日本州警のデータだ。 「よかった。アメリカ州の場合もあったから不安だった…でも、ビンゴだったな。やっぱり特捜部(ピエロ)だ」  画面を切り替えてジョイスも確認するが、やはり同じ所属。 「あの2人が特捜部だってことが立証されたぜ。どうするよ」  自分が捕まらないならもういいやと開き直ったユージは端末に肘をついて、蒼真の前に立つ。 「どうするっていわれても、日本(ここ)にいる以上圭吾ン所から抜けられないしな…」 「俺が調べたところじゃ、空港は使えそうにないぞ。この1週間見たこともない連中が張り付いてるって話だ」  蒼真はふうっと息を吐いた。 「ここって、ハワードの手の中にいるみたいでやだよな」  翔も頷く。とにかく州外へ出なければ。 「チケットを取るのは簡単だけど空港に行けないんじゃ無駄だし、まして今度こそは誰の助けもないからな…あまり危ない橋は進められないよ、俺は」  圭吾とジョイス(あの2人)の助けがないときくと、蒼真自身もゾッとする。今回の空港の件は奇跡だったのだから。 「でもまあ…とにかくユージ。また悪いんだけど、フリーの航空券取っておいてくれ。何もしないでいるわけにもいかないからな。隙をついてでも逃げ出すよ」  ユージは即答できなかった。できなかったが数秒考えて 「わかった…」  と返事を返した。  圭吾とジョイスは圭吾の部屋にいた。  2人が出かけてしまって、暇を持て余している。 「なあ、俺思うんだけど」  ジョイスの好みはミルクティーだ。そのカップをトンと置いて圭吾の顔を見た。 「なんか違うと思わないか?」  なにが、とは圭吾も返さなかった。圭吾もさっきから気になっていたのだから。 「戻ってくるかな」  要するに、蒼真と翔を迎えにきたユージにまんま任せて送り出してしまったことを言っている。  ユージは、MBLから蒼真と翔を守ることに関しては同志であるが、圭吾たちはバイオレットの容疑者の監視係でもあるのだから本当は目を離しては行けない立場でもある。  まして、ユージがその事にどう関わっているのかも、2人には判っていないのだから。 「もしもあの2人がバイオレットだったら、こんなことやってる間に商談とかされちまわないか?」  はあっと切なそうな息を吐いて、ジョイスはソファに寝転んだ。 「陰鬱になるな。商談をしたらしたでこちら側の証拠になる。実際今の時間にここにいないことは我々が証明できる」  圭吾の言葉にジョイスが起き上がる。 「お前…変じゃないか?」 「何がだ」   圭吾の反応が、いつもよりドライなのだ。 「なんかわかんないけどいつもと違う感じ。熱でもあるのかな」 「触るな」  額に伸びてきたジョイスの手を鬱陶しそうに払って、苛立ち紛れにコーヒーカップを持ち上げる。 「なにをカリカリしてんだか」  ソファに寄りかかって両手を頭の後ろで組んだジョイスは、天井を暫く見つめた後 「所で話があるんだけど」  と切り出す。 「今回の監視さ、二手に分けないか?」 「蒼真と翔を離すと言うことか?」  そうそう、と頷いて腕を解いたジョイスは、ソファに座り直し圭吾に向き直る。 「考えてもみろよ、俺はこの1週間毎日ここに通ってんだよ?そんで大したこともせずにお前とこうして顔突き合わせてんの。ましてや今日なんてちょー不毛だ」  確かにジョイスは毎日圭吾の部屋へやってきて、特に何をするでもなく過ごしていた。誰でも息が詰まる。  しかも今日、ジョイスがちょー不毛と言った今日は、本来あまり出歩けないはずの張本人たちが出かけていて自分たちが待機しているということになっている。ジョイスの憤りも尤もだ。 「だからってなんで分割なんだ」  まとめて見ていた方が楽だろう…と圭吾はいう。 「俺はね、おまえにぜええんぶ押し付けようと思えばできるんだよ?1人で遊びにだっていけるんだ。それをしないで半分でも引き受けてやろうっていう俺の気持ちがお前には…」 「要するに遊びに行きたいんだな」  胸に手を当てて大袈裟なジェスチャーをしていたジョイスは、その一言で動きを止め 「ま、そう言うことだ」  と開き直った。  気持ちはわかるが、連れ出せるなら自分だって連れ出したい。しかし考えてもみれば、いつまでこんなことを続ければいいのか…。 「少しくらいなら出かけたって大丈夫かなって俺は思ったんだよ。2人いっぺんじゃ目立つから、交互にでもさ」  確かに言っていることは正当だ。  バイオレットが動き出さない限り、軟禁のような現状がいつまで続くのかは見当もつかない。  圭吾も多少ならば、外へ連れ出すのも自分たちにとっても悪いことではないなと思い始めた。 「翔をさ、ヨコハマにできたでかい水族館に連れてってやりたいんだよ」  ニコニコと嬉しそうにしているジョイスは、それこそ語るに落ちた内容で圭吾を椅子の上でずるずるとこけさせるに充分だった。 「やはり翔が目当てか。お前隠さなくなったな」  ずれた体を戻して椅子に座り直す。 「目当てというか、そういう変な意味じゃなくてさ」  だったらどんな意味だ、とは言わないでおいた。 「じゃあお前が蒼真を引き取れば」 「やだ」  食い気味な即答に、少し気鬱だった圭吾に笑みが漏れる。 「まあお前が翔に気が向いてるのはわかっていたけどな」 「そう言うんじゃなくてさ、なんか、ほら、放っとけないっていうかさ、そう思うだろ?だから気晴らしにどこかさ」   さっきまで商談がどうのと言ってた割には、翔がバイオレットの容疑者であることをちょっと忘れているらしいジョイスに、圭吾は何も言えなくてただ黙っていた。 「別に俺は構わないけど、蒼真が承知すると思うか?」  蒼真の翔への執着は並ではない。  色々経緯は聞いたが、それでもそこまでか?と思うような行動を時々する。言ってみれば過保護という言葉が合うくらいに。  恋愛関係というわけでもなさそうだから、本当に不思議な関係だ。 「そっか…蒼真(あのガキ)がネックだな」  チッと舌を鳴らしジョイスは渋い顔をする。 「まあとりあえず話だけはしてみよう」  圭吾は本当に『取り敢えず』の妥協案でジョイスを収めた。  そういう圭吾も、あの呼び出し以降蒼真に触れてはいない。  自分でもどうしようもない所で、肌を合わせるのを躊躇している。我ながら堅いとも思うが、容疑者と思ってしまった以上どうしてもできなかった。  圭吾にとってバイオレットは自身の気持ちに傷をつけたものとして認識されており、憎さが優っている。  だから蒼真が容疑者だと知った時は自分でも気づかないほどの深い所でショックを受け、その傷がじわじわと染み出している感じだった。  だがその反面、蒼真という1人の人間には気持ちが持っていかれそうで…中々複雑な感情が渦巻いている。 「あ、話が戻った」 「ん?」  グルグルした感情を身の中で整理していた圭吾は、ジョイスの声に顔をあげた。 「戻ってくるかな」 「怖いこと言うな…」  現実に引き戻され、帰ってくることを祈るしかなかった。 「大した経歴だな」  研究室とはいえ、クッションのよく利いたチェアーに座り、ハワードは目の前のパネルに映し出されている画面に向かって感嘆の声を上げた。 「しかも麻薬特捜部の人間とはね。優秀な人材は私は好きだよ」  クックッと圭吾の時にもしていた嫌な笑い方をして、画面を変える。  この画面は言わずもがなの圭吾とジョイスの経歴書であった。それは流石にMBLといった所で、ユージが集めた情報よりも的確だ。  なにせ圭吾たちが降格になった理由までもが記されている。 「それにしても、実際にも会ってみたが綺麗な男だな」  ハワードの目の前には、経歴書の写真をアップにした圭吾が映されている。 「そうですな。これほどの男はちょっとお目にかかれないと思われます」  ハワードの脇に立った秘書も、画面を見て大きく頷いた。 「この男で『人形』を作ったら、ご婦人方やお好きな紳士たちがさぞや喜ぶだろうな」 「それはもう」  楽しそうなハワードの顔を見て、秘書の男も満足そうだ。 「15号…いえ、ソーマも良い者を見つけてくれましたな」 「全くだ」  面白そうに笑って、ハワードは画面を戻す。 「これはちょっと早めに動きたくなってきたな」 「どうなさいますか?」  秘書の言葉に楽しそうにデスクに肘をついた。 「ともかくあれだ、あいつに連絡しろ。殺さない程度なら少々荒っぽくてもいい。ただし情報はこちらから提供するようにしろ。深くは首を突っ込ませるな」 「わかりました。すぐに準備を」  一例をして秘書は去ってゆく。  後でドアが閉まる音を認識してから、ハワードは画面を蒼真の顔に切り替えた。 「放蕩息子もそろそろ家に落ち着く頃だぞ、蒼真。帰ってこい」  画面を撫でて微笑む。一緒に写っている翔にも目をやり、 「お前もだ。帰って蒼真の為にならないとダメだろう?」  とまた画面を撫でて 「迎えに行くから待ってるといい」  画面に向かってニヤリと笑い、ハワードはしばし画面を見続けていた。

ともだちにシェアしよう!