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第16話

「圭吾…」 「ん?」  リビングでなにか手掛かりの一端はないかと新聞を読んでいた圭吾は、ジョイスの声にベッドへ向かった。 「どうした?具合悪いか?」  顔色を窺ってみるが今一つ見えにくいので、カーテンのスイッチをいれて陽の光を入れてみる。  ロールカーテンが上がると寝室は一転明るくなり、晴れていたのかも気づかなかったが晴天だった。  悔しいことに圭吾の部屋より日当たりはいい。 「まっぶし…」 「いつまでも暗いところにいると気も滅入る。それでなんだ?」 「あのさ、前に作ってくれた…なんての?米のグチャグチャした…病人が食うとか言ってた」 「ああ、粥か。食いたいのか?」 「うん、なんとか食いたくなったんで、あれならいけそうだなって思ってさ」  カーテンのスイッチから手を離して 「ならよかったな、じゃあ作るか」  キッチンへ向かいながら 「メディカルチェックはオールグリーンだし、顔色もいい。食えるようになれば明日は大丈夫だな」  と 確認してみるが 「明日は大丈夫だと思うけど、ほら、全身打撲だもんで、僕。今日は優しくしてね。ゼンシンダボクだからさ」  やたら強調する全身打撲にチッと舌を鳴らして、ボウルにコメをあける。 『蒼真がいたんだ…』というジョイスの言葉が、圭吾は胸に滞っていて仕方がなかった。  あの日は蒼真に押し切られて映画に行き、ジオポリスへ行き、飲みに行って、そして…かなり激しく愛しあった記憶がある。  酔っていて後半には準備に時間がかかったことまで覚えていた。  だから蒼真が抜け出すなんてことは考えられない。  もとよりあの動揺を見れば本人の仕業でないことは容易に想像はつくし、なんせ蒼真には翔を攫う理由も意味もないのだ。ジョイスが見た蒼真というのは一体… 「なんだったんだ…」  声が漏れたことで意識が戻り、米を準備していたことを思い出した。米をボウルにもう一杯いれて、水を入れ出汁を入れレンジにぶち込む。  完成まで20分程度。  ジョイスの部屋はキッチンにテーブルがないので、傍の椅子を引き寄せシンク前でタバコに火をつけた。  ひどくイライラする。  初夏に向かう季節にしたって今日は暑いな…とリビングの窓に目を向けた。  梅雨という時期がなくなって久しいが、それでもこの時期曇りがちな日が多いのに、今日のTOKYOは珍しく真っ青で、雲すら見えない。  その青さすらイラついて、苛立たしくタバコを吸うものだから芯が残って吸殻が変な形になっている。  イライラの気分の元は喪失感だった。  自分から何か欠けてしまった感覚が、どこかもどかしく、動くのに不便なようなそうでないような感じでそういうところが1番イライラする。  蒼真という人物は、2カ月半ほど前には自分の前に居なかったのだから、今更側にいないくらいでこんなに喪失感を感じる必要はないだろうと自身で思ってみても、どうにも治らない。  今までの自分になかった感情に気づいて、戸惑っているのかもしれなかった。  そんなことを考えている時に、 「あ、そうか…あいつに連絡取れば…」  と思い立ったユージの顔。  そう思い立ってジョイスの元へゆく。 「そうだよなぁ、思いつかなかったわ。確かにそこにいるかもしれないな蒼真なら。蒼真と翔(あの2人)が絡んだことなら相談に乗るって言ってたし」  じゃあ、と2人して実際に行って…と考えたが、住所を知らなかったことに気づいてジョイスが舌を鳴らした。 「取り敢えずコールだけでも入れておこう。ユージ(や つ)蒼真(あっち)側の人間だから、本当のことを言うとは思えないが、何か手掛かりの一つでも漏らしてくれたらラッキーだしな」  そう言って圭吾は端末を取り出しコードを入れた。  コードを入れながら、蒼真に殴られた腹がツキッと痛んだが、それは殴られたせいなのか、もしくは…  圭吾は殴られたせいだと言い聞かせ、端末を睨み続けた。  浴槽に浸かってボーッと天井を見ている蒼真を、浴室のドアに寄りかかってユージがじっと見ている。  ハラダのところから戻って、蒼真は昨夜…というか今朝方の行為そのままでいたことに気づき、いきなり『風呂!』と言って飛び込んでしまったのだ。  浴槽にお湯が溜まる間も浴槽に座り込み、大昔に自分が棚にいれておいたビニールのアヒルを弄びながら今に至る。  翔の無事を確認してからの蒼真は、今朝方の苛立ちが嘘のような機嫌に戻っていたが、それでもどこか寂しそうな感じは隠せていなかった。  圭吾とはもう2度と会えない。  その事が蒼真の心に澱の様に沈んでいた。  初めてだった。  今まで逃げている旅ではあったが、どこへ行っても友人や『そういう』関係を築いた人間は山ほどいる。しかし、その場を離れる時には別段後ろ髪を引かれるようなこともなく、じゃあね〜で別れて来たのに。  それが今回はなんだ。なんでこんなことになっている。寂しい?俺が?俺には翔が1番で、それ以外はなにもないのに、その俺が寂しいってどうなん?  こんな気持ちでいっぱいだった。  明日、翔を連れてアメリカにいく。アメリカに行ったらハワードが嫌いな寒いところに向かうつもりだった。追手が来ない場所でもう静かに暮らしたい。  圭吾と会ってからそういう気持ちになった。こんなところでさえ、圭吾の影響が出ている。  最後に見る圭吾の顔は笑った顔がいいって思ってたのに、最後に見た顔は、自分でやったにしろ苦痛の顔だった。それもこれもハワードのせいだよな…  …と、天井を見るのをやめてからはアヒルを沈めてはピョン!と跳ねさせる遊びをもう30回くらい続けている。  自分たちが逃げたことで、今度こそ圭吾とジョイス(あ の 2 人)はクビになっちゃうかもしれない…と考えると、後ろめたさも感じる。  見るからに行動のおかしい蒼真を、ユージは黙って見つめていた。…が 「どうしたんだ?」  耐えきれなくなり、体勢はそのままに蒼真を呼んだ。 「え?なに?俺なんかした?」 「笑ったり、怒ったり1人でしてるからさ、気でも違ったかと心配したぜ」  自分と目を合わせた蒼真の目がまともだったので、ユージは本気で安心する。 「なに言ってんだよ」  アヒルを沈めて跳ねさせながら、ユージに笑う。気が違うってどんだけだよ。  そう笑ってはいるが、自分の髪から圭吾の部屋の香りがして戸惑ってもいた。リビングとか寝室とかキッチンとか…。思えば全部の場所でやったかも…と思い出してまた可笑しくなって笑う。 「ほら、また…」  ユージが浴室へ入ってきて浴槽の淵に腰掛けた。  アヒルが跳ねて蒼真の顔にお湯を跳ねらせる。少し顔を逸らした瞬間に、ユージは蒼真の髪を優しく掴んで顔を上げさせた。 「圭吾(あいつ)と会えなくなるの…そんなに辛いか…」 「あいつって圭吾のことか?」  なんでもないように、ユージの手を払って今度は浴槽に頭から突っ込んでいく。 「蒼真っ!なにやってんだよ!」  髪の香りを消したかった。ここでユージの部屋のシャンプーを使えば、もう永遠に圭吾との繋がりは消えるから。  ユージは慌てて浴槽に両手を突っ込んで蒼真を引き上げた。 「なにしてんだよ」 「そんなに慌てること?髪の毛濡らしただけじゃん」  さっきの返事もきいてないし、なんでそんなに平然としてるんだと少しむかっとする。 「そんなのそこから出てシャワーでやれ。なにも風呂に頭突っ込むことないだろ」  蒼真の様子はやはりどこか違っていた。  翔を攫われたことはハラダグミのおかげでケリがついているはずだ。明日には翔は戻ってくる。だったら原因はあと一つしかない。 「さっきの返事聞いてないぞ、圭吾(あいつ)と別れるのがそんなに嫌なのか?」 「なに言ってんの?」  髪をかきあげて、ユージを見る。 「俺が今まで感傷的になったことなんかないことは、付き合いの長いお前がよく知ってるだろ」  浴槽に置いているユージの手に手を重ねた。  知ってるから様子が変なのにも気付くんだろうが…と思ってみるが言えない。  蒼真はいつでも強かったから、ユージが手助けすることなんかあまりなかった。  翔を守って、2人で簡単に生きている様だけど、蒼真の頭の中ではいつだって何かの計算がなされていて、人との出会いすら計算の中だった様な気もする。  多分、その計算外の出会いが圭吾だったのだろう。しかもそのことに蒼真自身気づいていない。 「だからって感傷的にならないとは限らないぜ」 「なってないってば」  ユージの手から引き上げた手を差し出して、シャンプー用のシャワーを要求する。  ユージは1番手前のシャワーを外して 「俺が洗ってやる」  と再び縁に腰かけてシャワーをかけた。  ワシャワシャと髪を混ぜ、泡立ってゆく赤い髪を見て 「なあ、髪色戻さないか?俺はあの色の蒼真が見たいんだよ」  鏡に映る、泡の間の赤い髪を見て蒼真は少し唸ったあと、 「また当分会えなくなりそうだからなぁ…まだあるのかな」  浴槽脇のボタンを押して、小さな収納を開く 「ああ、あったあった」  その中からてのひらほどのプラスチックのボトルを取り出した。 「いつかお前が戻った時、いつでもあの髪が見られるように取っておいたんだよ」  言いながらボトルを受け取って、蒼真の髪に掛けまた混ぜ返す。  それは髪の色を本来の色に戻す薬。  髪を洗い終わった蒼真は浴槽から出て身体をボディシャワーで流し、最後はお湯で流した。  浴室内を風が回り始め、蒼真は浴槽に座って風を浴びる。乾燥機代わりの物だったが、今では身体を乾かす様に変化し、バスタオル等必要ないようになっていた。  まあ拭くのが好きな方もいるけれど。  髪はタオルをもらい水気を拭き取ると、濡れて濃く見えていた色が少しずつ薄くなり、風に煽られる髪は水色よりは濃いが青よりは少し薄めな青い髪になっていた。 「やっぱりお前はその髪色が1番いいな…」  ユージは見惚れるように蒼真をみつめた。 「もう暫く会えなくなるから、出血大サービスってとこだ」 「蒼真、風なんてめんどくさいことしてないで出てこいよ。俺が拭いてやる」  結構大きめのバスタオルを持って、こっち来いと手招きをするユージをみて 「そっち行くと変なことされるからやだよ」  と舌をだす。 「なに言ってんだよ、そんな事しない訳ないじゃないか」  そう言いながらユージは浴室へと入ってゆき 「うわっやめてっ、ゴーカンされる」  やめてーとふざけて叫ぶ蒼真をバスタオルで抱え込むと、少々手荒く抱き寄せたユージはそのまま蒼真を浴室から担ぎ出した。 「なにする気?」  正面を向き合って腰から抱き上げられている蒼真は、ユージの肩を掴んで顔を覗き込む。 「今回お前に会ってから、ずっとお預けくらってるんだよ、俺…。ダメなのか?」  少しつまらなそうな顔をするユージがなんだかかわいい。 「これから当分会えなくなるんだろ?」  蒼真を床に下ろして髪をかきあげる。 「イッペイは…」 「あいつはね、蒼真に心酔してるから蒼真だったらいいって言ってるんだぜ」  そんな調子のいい話があるかよーと言って笑うが、ユージはそれでも離してはくれない。 「今日の夕方に、ハラダさんとこのポストにカード入れるって言ってあるんだよ。明日の空港の予定をさ」 「明日の午前10時にナリタエアポートに連れてきてください…だろ?」 「仕事早いなユージ」 「蒼真(お前)の考えてる事はわかってるよ。だからさっきイッペイに、夕方になったら入れてくるように連絡しておいたから。だからお前は、明日ここを出て行くまでゆっくりしてていいんだよ。  ユージはもう耐えきれなそうに、蒼真の頬や首筋に舌を這わせ出している。 「もう、かなわないな」  蒼真は笑って、ユージの頭を抱きしめた。 「で、今度はどこ行くんだ?」 「アメリカ」 「随分メジャーなところへ行くんだな」 「っ…ふ……うん…そ…だな」  胸の色づきを吸われて思わず息が乱れる。  ユージはその声を聞いて唇を合わせ、舌を絡ませながら抱き抱えて寝室へと歩き出した。 「ユージ…コール鳴ってる…」  服を脱ぎ捨てたユージが蒼真に重なった時、隣の部屋で電話のコールを告げる音が端末本体から鳴っていた。 「大丈夫。メッセージ入れてあるし、向こうも用があればメッセージ入れるだろ。だから安心しな」  キツく抱きしめられ、キスをされる。蒼真はそれを機にユージの背中に手を回したその時 「ユージ、俺だ」  端末から流れる声に、蒼真とユージは同時に飛び起きる。 「今朝方翔が攫われて、その後蒼真も失踪した。もし蒼真がそっちへ行ったら連絡が欲しい、頼んだぞ」  切れた後に、2人は顔を見合わせた。 「高梨さんか…留守番メッセージ…聞かなかったのかな…」 「そんなわけないだろ…なんて入れたんだ?」 「俺の所は、ほんとに仲間しかかけてこないからさ『今出てるからいない。用のあるやつはかけなおせ。イッペイだったら、さっきのは明日の午前10時にナリタエアポートだ。まちがえんなよ』って…」 「気づくかな…」  まあ、きちんと言っちゃってるしな…と続ける蒼真に 「でも平然とメッセージ入れてったぜ」 「うん、でも馬鹿じゃないと思うから。一応刑事だし。気づいたと仮定して1時間早めよう」  蒼真はそう呟いてベッドから抜け出した。 「おいー!」 「後だよ。こっちがちゃんとしてなきゃ落ち着かない」  ユージは、とりあえずできないことはなさそうだからまあいいかと端末本体へと向かう。  しかし…とユージは思った。  圭吾の声が聞こえた時、実は心底ビビったのだ。浮気している彼氏と間男の図を思い浮かべて…。  住所を教えておかないで心底良かったと思ったのだった。

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