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第1話 プロローグ 人質

「何故仙千代ですの? 仙千代は高階家の大事な嫡男ではありませんか」 「嫡男だからじゃ、それが松川の要求じゃ。従わねば高階などの弱小大名は生き残れぬ、それはそなたも分かるじゃろ」  大高城の高階家は、東海道の弱小大名。強力な大樹に身を寄せねば生き残れない、それが戦国の世の習いだった。  東海道一の守護大名松川家に臣従の証として、嫡男を人質としてよこせ、それが松川の要求。それも戦国の習いだった。 「仙千代はいまだ十二、元服もまだですのに……」 「元服は松川の太守様が執り行なって下さる。その折に室も松川の血筋の姫を娶らせて下さるとのことじゃ。ありがたいことじゃ」  確かにそうとは言えた。弱小の高階家、大高城など吹けば、吹き飛ぶような小さな城。  それに比して、松川家は東海道一の大大名。しかも由緒正しい守護大名。成り上がりの戦国大名とは違う。  臣従を誓い、血筋の姫を嫡男の正室に迎えれば松川家の枝に繋がれる。  乱世の世に生きるのに、正しい選択と言えた。 「それにな、松川には都の御公家も沢山身を寄せている。都の雅な教養も身に着く、仙千代のためにも良きことじゃ」  戦国の世になり、荒れ果てた都を落ちていく公卿は後を絶たない。中でも松川を頼り駿河に行く公卿は多かった。さながら駿河は、小京都の様相を呈していた。  仙千代の母お万の方は、もう何も言えなかった。夫である大高城主成定の言うことは一々もっともだった。ただ、母としていまだ十二の我が子を手放すのが忍びない。お万とて武家の生まれ、城主の正室。戦国の世の習いは心得てはいるが……。  お万の気持ちを察した成定が、宥めるように言う。 「人質は大切に扱う、それも習いじゃ。成り上がりの大名とは違う」  それも最もだった。通常少年の人質は、城主の小姓を務める。そこで様々なことを学び、城主の加冠で元服する。つまり決して粗末に扱うことは無かった。  成り上がりの大名なら、人質などどう扱うか分かったものではないが、由緒ある松川家。無体なことはしないだろう。  お万の方は漸く、己の気持ちを納得させた。  仙千代が、駿河の松川家へ行く日を迎えた。昨夜から心配された雨は上がり、予定通り出立できることとなった。  身支度を整えた仙千代は、仏間で先祖への挨拶を済ませ、両親に向き合った。 「よいか仙千代、我が高階家は、弱小と言えど、清和源氏の血筋。それを誇りにしっかりお仕えするのじゃ。さすれば我が家の行く末にも光が差す」 「はい、父上のお言葉しっかりと胸に励んでまいります」  仙千代の力強い言葉に、両親は目を細める。 「仙千代、これはそなたの守り本尊。常に側において祈れば、守って下さる」  小さな観音像が美しい錦の袋に入っていた。仙千代に持たせるため、母お万の方が自ら縫い上げた物だった。  それは聞かずとも仙千代には分かった。母の気持ちが嬉しかった。 「母上ありがとうございます。守り本尊と母上に守っていただくようで、大変心強いです」  仙千代の感謝の言葉に、お万の方は胸がつまり、涙が出そうになる。だが、必死に堪える。旅立ちに涙は禁物だった。 「三郎、仙千代のことよろしゅう頼みますぞ。そなただけが頼りじゃからの」  お万の方が、仙千代の後ろに控える小姓の三郎に声を掛ける。  人質の身で、多くの側付きを連れて行くわけにはいかず、小姓の三郎のほかは、下働きの者数人が付いていくにすぎない。  しかし、三郎は幼い時から付き従い、仙千代には兄のようにも思える小姓だった。三郎がいれば安心だろうと思われた。 「はっ、若様の事は私が身をもってお守りいたす所存、どうかご安心ください」  力強い三郎の言葉に、成定、そしてお万の方も安堵する。  いよいよ出立の時刻が来る。仙千代は居住いを正し両親に頭を下げる。 「それでは、父上、母上行ってまいります」 「うむ、道中気を付けて行くのじゃぞ」  両親の見送りの言葉を背に仙千代は、三郎を従えて出立した。  見知らぬ土地に行く不安はあるものの、この日の仙千代に暗さは微塵もなかった。  弱小と言えど、城主の嫡男として生まれ、大切に傅かれて育った。憂い事には無縁な、純真で快活な若君、それがこの日の仙千代だった。

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