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第29話 4章 義定討死

 朝頼の策は、奇襲攻撃だった。  三万の大軍に、こちら側は二千。まともにぶつかって勝てるわけないからだ。  奇襲を掛けるべく、松川の油断を誘った。津田の砦を次々に落とし意気揚々としている敵は、田楽狭間で休息をとっている。  酒も飲んで、浮かれ油断しているはずだった。そこを後ろから突く、それが朝頼の策だった。  単騎で駆けだした朝頼は、途中にある神宮で兵が集まるのを待った。やがて続々と自軍の兵が集まって来た。  主な重臣達の顔ぶれも揃ったところで、必勝祈願をした。すると、雲行きが怪しくなり、雷が鳴った。豪雨になる前触れだ。 「雷鳴に豪雨! 天は我へ味方した! 敵に気付かれず背後を突けるぞ! よいか、狙うは大将義定の首! 行くぞ~! 」  一斉に田楽狭間目指して掛けて行く。雷鳴激しく、雨も降り出す。視界が阻まれるような激しい雨の中、津田の軍団は、田楽狭間を、義定の首を目指して掛けて行く。  松川義定は、上機嫌でいた。津田は、未だ恭順してこないが、津田側の砦を次々に落としている。早く恭順すればよいものを、うつけとの噂は間違いでなかったかと、津田朝頼のことを思った。  恭順せねば討ち果たすまでよ、あやつはせいぜいが二千だろ。我が方は三万。相手にもならん。  そこへ、尾張の豪商が酒と食料を陣中見舞いにと納めにきた。商人は利にさとい。要するに、津田を見限り我が方に付いたと言うことじゃ。  駿河を出陣して以来、ここまで、休息なしで来た。ちょうどいいここらでちと休むか、そう思い田楽狭間で休息をとることにした。 「尾張の田舎の酒にしては、悪くはないの」 「そうでございますな、これは都からの下りものかもしれませんな」 「そうじゃの、商人は利にさとい、これも恭順の現れよの」  実は、朝頼の意を汲んだ商人だとは、むろん義定は知らない。休息を取り酒を飲むようにと、尾張では上等な酒と、握り飯などの出来立ての食料を納めさせたのだ。  出陣以来、携帯食が続いた兵たちも歓声を上げてかぶりつき、まるで祭りのような様相になっている。大将義定以下足軽まで、浮かれた気分でいた。  行軍は順調に進み、阻む者などいるとは思えなかったのだ。  そこへ、雷鳴と共に急に空が暗くなった。ぽつりぽつりと雨が落ちてくる。 「これは雨が降り出しましたな。この雨粒の大きさ、どうやら土砂降りになりそうでございます。休息中でようございました。行軍中の土砂降りほど厄介なものはございませんから」 「そうじゃな、どうやら天も我に味方しているようじゃの」 「まことに、これもみな殿のご人徳の賜物でございますな。そのようなお方にお仕え出来てわが軍は、足軽に至るまで幸せにございます」  義定は、雷鳴と共に激しく降る雨も、酒の肴のように感じられた。その時だった。 「てっ、敵襲だーっ!」  叫び声が上がったと思ったら、ほぼ同時に武装集団がなだれ込んできた。  それは余りに突然の事だった。義定は、驚き立ち上がろうとしたが、酒に酔った足はおぼつかず、腰まで抜かした。  腰を抜かして、狼狽する義定を庇う者は、誰もいなかった。側にいた者達も似たような状態だったからだ。  張られた天幕が壊され、振り込む雨。やがて泥にもまみれながら、狼狽する義定と側仕えの者達。  その混乱の中、松川義定は津田朝頼の馬廻の一人に首を斬られた。甲冑も身に着けず、武将としては程遠い姿の討死だった。

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