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第54話 8章 城落ちる

 声を荒げる柴田に、羽島は、まあまあと肩を叩きながら、宥めるように言う。 「確かに、無理にお連れすれば、最初は殿のお怒りをかうでしょう。でも心配ありません。駿河では、松川様が自らお出迎えなされます。そして、様々な歓待の催しにて、殿を楽しませていただけるとのことです。擦れば、殿も結局は喜ばれ、我らの行いお許しになられましょう」  無理やり連れて行くとは、つまり拉致すると言うことだ。主を拉致することに、さすがに柴田は考え込む。 「柴田殿、例え主の命に背いても、真に主のためになることを成すのが、真の家臣と言えましょう。今回のこの件が、まさにそうなりましょう。わしは、必ずや殿の御為になると考えます。殿も必ずやお判りになり、後にはお褒めいただけると思っております」  ここまで言われると、柴田の気持ちも大いにぐらついた。なにやら、羽島の言う通りに思えてくる。  柴田には、何よりもこの大高城を守りたいという思いが強い。柴田家は、先祖代々高階家に仕え、大高城を守って来た。柴田自身、この大高城を仰ぎ見ながら生きてきた。  柴田が心を決めたと、羽島は見て取った。 「では、よろしいでしょうか。決行は明後日にします。手配は私がいたしますが、柴田様にもご協力頂きたく思います。後ほど、またご相談に伺います」  筆頭家老の柴田さえ説得できれば、後はこちらのものと羽島は思う。  もとより、城の大勢は竹原との同盟に傾いている。それは、羽島の工作の成果であった。  あと少しじゃ、と羽島は思う。拉致同然でいい。成利を駿河に連れて行けば、わしは城代。そして、その先は城主。  ここまで来てしくじるわけにはいかぬ。駿河までは自ら同道するつもりでいる。直接成利を、松川に引き渡す。そして帰ってきたら、わしは城代じゃ。ふふっと自然に笑いがこみ上げた。  羽島の動きを探っていた三郎が、その怪しい動きを察知した。自分の策が上々に進んでいることに、気が緩んだのか、元々の性格か、緩みが生じた隙を付いたのだった。  三郎は、それを知って怒りに震えた。何ということを考えるのだ! これは謀反同然! 同時に事前に察知できたことを、仏に謝する。  もし、羽島の思惑通り、成利が駿河に連れて行かれれば、あの地獄の再現。それだけは、避けなければならない。  三郎は、急ぎ成利の元へ伺候し、その全容を伝えた。 「なんと! それはまことか!」 「はい、間違いございません」 「羽島! そこまで……謀反ではないか!」 「はい、そうでございます」 「しかし、どうする。今あれをここへ呼んで、質しても開き直り、下手すれば、わしの身柄を抑えられるぞ」 「確実にそうなりましょう。そして殿は、予定通り、明後日、駿河へ送られることになりましょう」 「……」 「殿! 申し訳ございません。ここまでの事態を招いたは、全て私の責任」  畳に頭を擦り付ける勢いで三郎が詫びる。 「いや、これは城主としてのわしの怠惰。責は、全てわしにある。こうなった以上は致し方ない。この事態、どう切り抜けるかじゃ。わしは駿河には絶対行かぬ。駿河に行くくらいなら、ここで腹を切る!」  三郎にも、成利のその思いは十分すぎるほど分かる。駿河にも行かせられないが、腹を切らせるわけにもいかない。 「殿、城を出ましょう。落ちるに忍び難いですが、致し方ございません。一度落ちて、津田様を頼りましょう。そして再起を期すのが、今の最善の道かと」  小さい城だが、先祖代々守ってきた城。そして城にも守られてきた。生まれた時から、この城に育てられたと言って、過言ではない。  駿河から帰って来た時は、本当に嬉しかった。城の懐に戻ってきた思いだった。  父からもその死に際、この城の守りを託された。その城を落ちるのは、耐えがたい。余りに、己が情けない。成利は、死んでも死にきれない思いだった。  先祖に、そして亡き父に申し訳ない。死んで詫びることが出来るのか! 慟哭の想いにかられた。  しかし、今は泣いている場合ではない。成利は、気を奮い立たせた。 「そうだな、それしかあるまい。早い方がいいな。いや、一刻も早く出ねば、捉えられたら終わりだ」 「はい、今宵皆が寝静まってからがよろしいでしょう」  夜半寝静まった時の脱出。成利は駿河を出た時のことを思い出す。 「あの時もそうだったな」  それで、三郎には伝わる。三郎も思い出していた。あれから、十三年が過ぎていた。

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