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第55話 8章 城落ちる
あの時は、帰る所が、目指す場所としてあった。しかし、此度は……。主従は同じ思いを抱いたが、それを言っても始まらない。今は前を向こうと思いなおす。
「三郎、そなたには苦労かけるな」
「何をおっしゃるのですか。殿を守り、殿と共にあるのが、私の本望。どこまででも、お供仕ります」
常に三郎だけは側にいた。あの地獄の日々も。
実の親よりも、共に過ごした時間は長い。そして、これから共に城を落ちる。三郎の、滅私の働きに、報いてやれないことが辛い。
だが、此度も三郎がいてくれて、つくづく良かったと思う。己一人ならば、到底耐えきれない。
「それでは殿、私は密かに準備を整えます。殿は、少しでも安まれて、体力を温存するように願います」
「あい分かった。出来るだけ、何気なく過ごし、羽島らの疑念を呼ばぬようにする。そなたも気を付けるのじゃぞ」
三郎が辞した後、成利は両親の位牌を、持って行くべき準備をした。荷物を増やすわけにはいかないが、これだけは持っていきたかった。
親不孝者の自分をお許しくださいと、成利は何度も胸の内でお詫びした。
静かに、位牌を祀れる場所を得られるだろうか? 不安は大きい。
津田様を頼って、助力してくださるだろうか。城もない、一介の浪人同然の身の上になってしまった。いわば、なんの価値もないのが成利だった。
津田様を頼れぬなら、その時は寺に入ろう。そして、生涯を先祖の菩提を弔い過ごしていこうと、心を決める。
成利は、一日を緊張をはらんだまま過ごし、寝所に入った時はほっと、安堵した。夜通し歩くために少しでも眠ろうとの試みは無理だったが、羽島に疑念を抱かれることはなかった。
羽島は羽島で、明後日の計画を成功させるため奔走していて、成利の様子に気を配っている余裕はなかった。
つまりこの日の城は、それぞれの思惑を胸に、密かに蠢いていた。一方は相手の思惑を知っていたが、一方は全く知らない状態で。
やがて子の刻になろうかとした時、三郎が静かに成利の寝所に来た。二人は無言で頷きあった。三郎は既に旅装であった。
成利も三郎の持参した旅装に着替える。いよいよ、城を出る。この城へ、今一度帰って来られる日は来るのであろうか……。
寝静まった御殿を、二人は足音忍ばせ外へ出た。勝手知ったる我が城だ。夜回りの侍とは会わぬ道を進み、外へ抜ける道とも言えぬところから城の外へ出た。
三郎が、あらかじめあたりを付けていた通り、誰にも見とがめられず、城を出ることができた。
無事に城を出られた安堵と共に、城主が夜間密やかに城を落ちるこの事実に、成利は胸のふさがる思いになる。
それは、共に出た三郎も同じであった。
二人は、無言で、ただひたすら歩く。無言であることが、胸の内を語り語りかけているようだった。
二人は、辛い胸の内はそのままに、先を急いだ。追手に囚われないためには、出来るだけ早く津田の領地に入らねばならない。津田の領地にさえ入れば、他家の者は手出しできない。
身の安全のために、己の領地から人の領地に逃げるなど……成利は自嘲気味に苦笑する。
「殿、大丈夫でございますか」
二刻ほど進んだところで、三郎が初めて声を掛ける。
「ああ、大丈夫じゃ。心配いらぬ。岐阜に入るまでくじけるわけにはいかぬ」
主従二人が目指すは、岐阜城だった。
津田朝頼が、昨年まで本拠地にしていたが、今は嫡男の朝行の居城になっている。
朝頼の新たな本拠地安土城の手前にあることから、先ずは岐阜を目指すことにしたのだった。
要請した、援軍が不要になったことも早く知らせねばならない。岐阜に着き、朝行に仔細を話せば、朝頼にも良しなに伝わるだろうとの期待もあった。
朝行は、若いが中々の人物との評判だった。名実共に、朝頼の後継者としての地位にある。
薄明るくなってきたのを感じる。朝日が昇ってきたようだ。
大高城にも、日は昇っただろうか。
日が昇れば、己の不在が知れるだろう。さぞや慌てるだろうな。
今日が、真の勝負の時だ。追手に捕まらず、どこまで行けるか。絶対に負けぬぞ。
成利は、昇りゆく朝日に誓った。
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