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第56話 9章 久世長澄
久世長澄は、真新しい己の城を出て以来、大高城へ向けて急いでいる。一刻も早く着かねばと気が逸る。
久世長澄、彼は天下統一に向けてひた走る、津田朝頼配下の武将。朝頼の六大軍団の一つを率いる軍団長。名実共に朝頼が最も信頼する武将の一人である。
門閥にこだわらず実力次第で取り立てる、津田朝頼の家中にあっても、徒手空拳で軍団長にまで上り詰めた久世長澄は、彼しかいない。まさに異例の存在でもあった。
彼が、津田家に仕官したきっかけは、朝頼の正室お香の方を助けたことだった。
それは全くの偶然。だが後から考えると、天からの僥倖としか思えない事だった。
十三年前のその日、お香の方はお忍びで薬草を取りに来ていた。城での窮屈さに飽きると時折、こうして城外へ出るのが密かな楽しみになっていた。
薬草を積みながら、花々も目に楽しい。身分を忘れ、少女の頃に戻ったように楽しんでいたその時、足を挫いた。
痛いっ! と思った時は遅かった。お付きの侍女は青くなる。慌てて、ひとまず目に付いた大石へ座らせ様子を見る。
が、足の痛みは引かない。どころか、益々痛みは強くなる。侍女はどうしてよいか分からず、おろおろするばかりだ。城へ助けを呼びに行きたいと思うが、まさかお香の方一人置いて行くわけにいかない。
お香の方と侍女はどうしたらよいのか、途方に暮れた。
お香の方は、美濃の梟雄と言われた父の一人娘として育った。その父が、女にしておくのはもったいないと言った、美しいが男勝りの女だった。
故に、城での静かな生活には飽き足らず、度々お忍びで出かけるのだったが、この時はさすがに困り果てた。
その時、偶然通りかかり助けたのが、久世長澄だった。彼は、お香の方をおぶって城まで送り届けた。
そしてそのまま、引き留められるままに、津田家に留まった。当初は、お香の方の使い走りなどをしつつ、後正式に仕官した。
仕官した当初は、その気働きが、お香の方に気に入られた。その後は、朝頼にも気に入られ、徐々にその働きを認められるようになる。
細かい所にも目が届く繊細さを持ちながら、敵をも恐れぬ豪胆さも併せ持っていて、重用された。
そして彼の奉公は、裏表のない全くの滅私だった。それが如実に表れた戦があった。
津田朝頼最大の危機となった戦。信じていた義弟に裏切られ、朝頼は、敵の挟み撃ちにあった。まさに袋の鼠状態に陥った。
絶体絶命の危機に、朝頼は急ぎ全軍撤退した。決死の撤退だった。
その時、まさに命からがら逃げる朝頼を、己の身を挺して守り通したのが、久世長澄だった。無事に逃げおおせたのは、久世の働きのおかげだった。
その時以来、朝頼の久世に対する信頼は、絶大なものとなり、以来立場も段々と強く大きくなっていった。
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