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第61話 9章 久世長澄

 「殿! 上様はなんと」 「ああ、すぐに城に戻り、大高城へ出陣じゃ!」  久世長澄の小姓、万田力丸は、主の言葉に我が耳を疑った。 「ええっ! 上様が大高城への出陣をお命じになられたのでございますか!」 「阿呆っ! そんなわけあるか! わしが願い出たのじゃ!」  そうだろうな、そんなわけあるはずがない。なにせ、今は四国攻めの最中。いくら人使いが荒い上様とて、それは無いだろう。  しかし、そもそもなぜここまで来たのか? それも解せぬと思いながらここまで来た。上様からの命令だと思って来たのだった。  が、はあーっ! 殿が願い出た?! 何故だ! 嘘だろう! 益々分からなくなる。 「ええっ! 何故に殿が願い出られたのでございますか?」 「大事な城だからじゃ」 「ですから、なぜ大高城が大事な城なのでございますか?」  疑問を繰り出す力丸に、長澄は焦れた。今ここでそれを説明している暇はない。ことは一刻を争うのだ。 「今は問答無用! 急がねばならぬ! 力丸急ぐぞ!」  そう言いながら走り出す主長澄の後ろを、力丸も懸命に追いかける。疑問は尽きないが、長澄が問答無用と言うからには、今は、黙って従うよりほかなかった。  力丸にとって、長澄は敬愛する主君だった。朝頼と松寿のような甘い関係ではなかったが、長澄は力丸を信頼し、力丸も献身的に仕えていた。  実は、力丸も最初に不寝番を言いつかった時は、夜のお相手を覚悟した。それは、通常珍しいことではなかったからだ。  主君の夜の相手を務める小姓は数多いる。むしろ名誉なことでもあった。  まして、長澄には正室がいまだいない。何人か手を付けている女はいるようだが、正式な側室もいない。ならば、寵童がお相手を務めるは当然と考えた。  力丸自身、そうなってもいいように準備をして赴いた。体の準備は勿論、心の準備もしていた。  しかし、何もなかった。長澄は、何もせず一人で寝た。意外そうなそぶりの力丸に、そう言った務めは必要ないとはっきりと言ったのだ。  結局、不寝番の文字通り、一晩中眠ることなく力丸は、主の眠る部屋の片隅に控えているだけだった。  いささか拍子抜けしたが、ないならないでいいとも思う。甘い関係は無くても、主の信頼が己にあれば満足じゃと思っている。  長澄は仕えやすい主君だった。気難しいところもなく、気が短いところもない。  気さくに話しかける人柄は、慕われてもいた。力丸も、主として長澄を慕っていた。  力丸の主の主である津田朝頼は、聞くところによると、中々に気難しく、気も短いという。  気働きの無い小姓や、家臣が手打ちにあうという話も漏れ聞いている。  それを思うと、我が主はありがたい。そう常日頃思っていた。  そして、長澄のすることに、疑問を感じたこともなかった。率直に、力丸は、己の主長澄を尊敬していた。  さすがに、身一つでここまで昇ってこられたお方と思っている。力丸には、ひいき目なく、津田の渦中で長澄が一番優れた武将と思っているのだ。  そして力丸は、常に主のすることを理解できたし、だからこそ、先回りして考えることもできた。  そういう、力丸を長澄も重用していた。多くを語らずとも理解する聡明さが長澄にはよかった。  それが、今回はさっぱり分からない。力丸は、困惑していた。このようなこと、長澄に仕え始めて、過去にはない事だった。  大高城が大事な城! 何故じゃ? 言ってはなんだが、小さい城だ。確かに国境にあるとはいえ、さして重要な城とも思えない。まして、あの場所は、朝行様の管轄。  朝行様の管轄に手を出すことにならないか、との懸念もある。それはさすがに、おわかりになっているとは思うが。  しかも、これほど逸る長澄も珍しい。何か、特別な理由でもおありになるのか……。そうとしか思えぬが、それが何かは、分からない。今は、従うのみだ。  わけは分からぬでも、主に従って間違いはないという、強い信頼はあった。その強い信頼で、力丸は長澄の後を追った。  久世長澄は、己の城に着くなり、先ずは朝行へ急使を送った。  朝行の管轄へ軍を進めるのだ。それを察知される前に、断りを入れておかねばならない。勿論、大高城への救援の件も知らせねばならない。  大高城へは、久世が行くと知らせる。  慌ただしくもそれを命じると、すぐに大高城へ向けて出陣した。それを、部下たちが慌てて追いかける構図であった。  久世長澄は、全力で大高城を助けるために走った。  逸る気持ちごと愛馬に乗せて、大高城へ向かう。愛馬も、主の思いが分かるのか、滑るようにを走っていく。 『どうか、間に合ってくれ! 必ず、必ず我が助けに行く! 待っていてくれ!』  祈るような思い。その言葉を、何度も呟きながら大高城へ急いだ。

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