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第76話 12章 春遠き、春近き

「ああーっ、もう許してっ……ああっ、嫌じゃ」  その夜、静かに眠りに付いたと思ったのも束の間、成利がうなされ始める。  寝所の外で控えていた葉月が、すぐに久世へ知らせに走る。 「殿、殿、大丈夫でございますか?」  三郎が、はらはらしながら、声を掛ける。触れると嫌がるので、何もしてやれないのだ。  そこへ久世が、飛ぶようにしてやって来た。 「せんっ! 仙殿! 大丈夫じゃ!」  成利を抱き上げ、抱きしめた。三郎が、あっ! 嫌がると思う間もない事だった。  しかし、成利は嫌がるどころか、そのまま抱かれている。三郎には、それが驚きでもあり、深い安堵に繋がった。  やはり、このお方にしか救えない。このお方こそ、救ってくださると思うのだった。 「どうしたのじゃ? 大丈夫じゃ、なにも心配いらぬ。わしが守ってやる」  久世は、抱きしめる力を強めた。細い体だ。この華奢な体で、どれだけの苦悩と悲しみを背負って来たのか……守ってやりたいと思う。いや、守らねばならないと思う。自分は、そのために力を付けてきたのだ。  成利が、しがみつくように抱きついて来た。 「佑、佑さん」 「そうじゃ、わしじゃ、佑三じゃ。安心するがよい」  安堵するかのように、成利の体から、すーっと力が抜けた。  久世は、成利の体を褥に横たえる。成利が、すがりつくように久世の腕を掴んだ。 「ふっ、大丈夫じゃ。わしはどこにも行かない。こうしてそなたの側にいてやるぞ」  そう言って、遠巻きに控えている、三郎と葉月を振り返り、顎で下がるように命じる。二人は承知し、部屋を出た。  久世は、成利の横に、自らも横たわる。それが、思いがけなかったのか、成利は、少しびくっとする。 「大丈夫じゃ、何もしない。こうして側にいるだけじゃ。そなたが安心して眠られるようにな」  そう言いながら、仰向けの成利の胸をぽんぽんとすると、成利は横向けになり、久世の胸に顔を傾ける。  これには、久世は驚いた。己に全幅の信頼を置いているのだろう。久世は、自身の男の中心に熱が集まるのを感じる。これほど、男の庇護欲を増し、情欲を掻き立てることはない。  が、久世は、己の理性を総動員して耐える。ここで、手を出して、成利の信頼を失うのが、何よりも怖かった。  成利が、己を信頼するのは、無体なことを何もしないからだと、久世は思っている。  事実そうかもしれないが、葉月などからすると、ここで抱いても信頼が崩れることはない。むしろ抱いてしまえば、というところで、葉月はそう思って部屋を出た。そのため後、事実を知って、久世の抑制力に驚愕することになる。  三郎は、葉月とは少し違うが、久世は成利を抱くだろうと思った。故に、やはり事実を知って驚き、より深く感謝した。男として、久世の思いの深さを理解できるからだ。  成利を思う気持ちが深いからこそ、抱かなかったのだろうと、三郎はそう思った。  成利は、朝になって目覚めた。よく眠った後の爽やかな目覚めだったが、久世に抱かれるような姿勢に驚き、がばっと跳ね起きた。 「何をそんなに慌てている。よく眠れたか」 「は、はい……」 「大丈夫じゃ、何もしておらん。そなたが安心してよく眠れるように、側にいただけだ」  何もしていない。それは理解できた。そして……寝起きの頭で記憶を探る。夜半うなされて、うるさくしたのだろうか……。 「うるさくしてしまいましたか? も、申し訳ございません」 「気にすることはない。そなたが、よく眠れたのなら良かった」  そう言って、成利の背中を宥めるように撫でると、久世は、部屋を出ていった。

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