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第5話

 水平線に太陽が半分くらい沈みかけている。いつも海は風が強く、髪の毛や持っているものを吹き飛ばそうとするのに、今は不思議と弱い風が時折吹くだけだ。  この時間になると、もう浜辺に人もほとんどいない。  知樹と草太は浜辺に設置されたコンクリートに腰を下ろし、海を真正面から眺めている。  二人はサンドウィッチペーパーに挟まれたホットサンドを持っている。草太の手作りだ。  そういえば料理は知樹がするばかりで、草太の手料理は食べたことがない。 「どうぞ、知樹さんほどは美味しくないかもしれないけれど」 「……そんなことないよ、いただきます」  中身はオーソドックスなハムとチーズだ。パンに染み込んだバターの優しい味と、とろけたチーズの塩気とマッチしていて、とても美味しい。 「とっても美味しいよ……」  何が美味しいとか、どこが良かったとか言うと、偉そうに批評しているみたいに思えて、あえて一言にとどめた。 「良かった、近くのコンビニで材料を揃えたからどうかな、と思ったんですけど」 「そんな、店のものとか家にあったものとか使ってもらって良かったのに」  また申し訳ない気持ちになってくる。それでも美味しくて、知樹はホットサンドにまた齧り付く。 「良いんです。俺の優しい気持ちは知樹さんの中に入っていってます?」  いつかの冗談だ。まだ数日前のやりとりなのに、もう懐かしい気がしている。  知樹はくす、と笑い、頷いた。 「うん、大峰くんの優しさの味がする……、ちゃんと僕の中に入ってきてる」 「良かった……」  しばらく二人で、海を眺めながら、無言でホットサンドを食べていた。  夕日が徐々に落ちかけ、海はオレンジ色に染まっている。キラキラと夕日に反射した波の寄せて繰り返す音だけが流れていた。  名残惜しさを覚えながら、知樹は食べ終えたサンドウィッチペーパーを下衣のポケットに押し込む。もうすでに草太は食べ終わっており、同じように夕日を眺めていた。 「知樹さん、僕の心臓はね、生まれ持った僕のものじゃないんですよ」  え、と肩を跳ねさせる。唐突に放たれた言葉に知樹は驚いた。来店した子供とのやりとりから、昔、心臓の大病を患っていて、手術をしていたことは知っていた。その口振りするからすると、臓器提供を受けたのだろうか。 「僕のここで動いてる心臓は、知樹さんの兄、月橋隆也さんのものです」  しっかりと告げられた言葉に思わず知樹は草太を見つめた。嘘をついている様子も、からかっている様子もない。  草太はシャツの前のボタンを開け、胸元を露出させた。 「この手術痕は隆也さんから心臓を頂いた時についたものです」  適度に鍛えられた胸元には不釣り合いな引き攣った手術痕。まさかそんな経緯があるとは知らず、知樹は声も出ない。 「でも、でも……、ドナーと提供者はわからないはずじゃ……」 「本当はそうなんですけど……、大学で彩奈ちゃんと仲良くなるうちに移植の話になって、もしかして、という疑惑が出てきたんです。それで二人で調べました。そしたら記録が出てきたんです。俺の心臓が隆也さんに移植されたものであるという」  どういう反応をすればいいのか、何を言えば良いのかさっぱりわからない。驚きすぎて、言葉が続かなかった。 「それで隆也さんが残した店を彩奈ちゃんの叔父で、育て親の男性が経営していると聞いて、俺はここに来たんですよ。俺の命を救ってくれた人が経営してた店ってどんなんだろうって」  そう、と返事をしながら、ふと知樹は初日にした草太とのやりとりを思い出す。  臓器提供を後悔しているのか、と聞かれ、知樹はわからない、自分が兄を殺したのかも、と応えたのだ。  一気に血の気が引いていく。顔が青ざめた。 「知樹さんは隆也さんを殺してなんかいません。臓器提供をする、と決めた知樹さんは、俺と隆也さんの二人を生かしています」  草太は知樹の心が読めるのだろうか。今、まさに考えていたことをずばり否定され、知樹は狼狽えた。しかし素直に受け止めることはできない。  知樹は何事も自信がない。だから褒められると、それを否定してしまう。  自分ではなく、こういう理由からこう至った、という考え方をしてしまうのだ。そこに知樹の決定的な意志は存在しないのだと、自分が決めたわけではないのだと、言い訳をしてしまう。 「けど、けれど……、そんな、それは僕が決めたんじゃない……」  心の中の重く、黒いものが騒ぎ出した。風がなく、辺りは蒸し暑いはずなのに、知樹は冷や汗をかいている。今まで触れずにいた何かについに触れてしまい、身体が震えてきた。 「兄さんの大切な命の決定なのに、僕が一任されていたのに……、本人と彩奈が望んでいるからって、病院に言ったんだ」  知樹は俯く。ずっと押し殺してきた自分の弱さに触れてしまった。 「自分で決めることが怖かった……、心臓や臓器を取り出したら兄さんは必ず死ぬ。まだ何も兄さんに恩返しできていないのに……、けれど脳死だから放っておいても、どっちみち数日以内に死ぬ。わからなくて……」  兄の死に関して、当時の知樹は何も考えられなくなっていた。だから他人のせいにしたのだ。彩奈と本人が望んでいるから、と。そのことはずっと心の奥深くに巣食っている。 「僕は自分では何も決められない弱い人間なんだ……」 「知樹さんは弱くなんかないです!」 「わ!」  ぐいと胸に額を押し付けられ、抱きしめられる。驚いた知樹は何も反応できず、されるがままだ。  近くで聞く草太の心臓はどくどくと脈打っていた。 「大学を中退して、彩奈ちゃんを引き取って、立派に育てている人のどこが弱いんですか!」 「彩奈はこのままだと施設に行くしかなくて……、それはどうしても避けたくて、僕も施設で育ったから……」 「お店も引き継いで、十年も続けて、今じゃ人気店ですよ!」 「それしか生きていく術を思いつかなかったからだよ……、ここは立地もいいし……」 「今日の知樹さん、めっちゃカッコよかったです! 男二人に立ち向かってお客さんを守ってた!」 「店長として当たり前だよ、それに大峰くんのことは守れなかったじゃないか……」 「俺が知樹さんのことを守りたかったからいいんです!」  先ほどより強く抱き込まれ、知樹は目を白黒させる。 「な、なんで……、僕を守りたいなんて……」  展開に心が追いついていない。草太は一体、何を言っているのだろう。 「わかりませんか? 俺は知樹さんの、その強さが好きなんですよ」  へ、と、思わず間抜けな声が出てしまう。草太の顔を見上げると、強くて、真っ直ぐで、でもちょっと怒りのこもった視線で知樹を見据えている。  知樹は草太の真剣な怒りを感じた。 「知樹さんのしてきたこと、していること、全て立派で正しいことです。知樹さんが隆也さんの臓器提供するという決定をしなければ、俺はここにいません。十年前に死んでいます。知樹さんが大学を辞め、彩奈ちゃんを引き取らなかったら、多分彩奈ちゃんは大学まで進学できなかったでしょう。この店を引き継ぎ、十年間も店を保たせていなかったら、俺と貴方は出会えなかった」  草太の顔が近づいてきて、ぶつかるようにキスされた。  強く当てられた唇が熱い。痛みではなく、甘い熱を孕んだそれはじわじわと顔中に広がっていく。 「何で、何で……、僕なんか、もっと可愛い女の子、いっぱいいるのに」 「どこか卑屈で、所在無げな貴方の居場所を俺にしたい、俺がこの隆也さんと知樹さんからもらったこの命で貴方に幸せを感じさせてやりたい、と強く思ったからです。親愛や恩義からそうやって言っているのではないと理解してもらうために、さっきキスしました。……返事も聞いていないのに、無理やりキスしてすみませんでした」  最初は真っ直ぐに知樹を見ていたが、謝罪をするとき、草太は申し訳なさそうに俯く。所在なげに視線をコンクリートの上で泳がせていた。確かに知樹は草太からの告白に返事をしていないので、知樹が嫌だ、と言えば無理やりキスされたことになるだろう。  彼の好意を受け取ってもいいのか迷いがある。だけどキスは嫌ではなかった。  草太の明るさなら、知樹の中に蟠る黒くて、重たい後悔を少しずつ取り去ってくれるだろうか。  草太の手をとってもいいんだろうか。けれども取らないと、知樹は一生このまま、自分に、何かに言い訳をして生きていくのだろう。そんな気がした。  それは嫌だ、と強く思った。  変わる時が来たのだ。過度な卑屈から自分を解放し、言い訳をせず、自分で何か選ばなければならない。  金色の髪に夕日が映え、オレンジ色に染まっている。燃えているみたいだ、と思った。彼の横顔も同じように夕日が透けている。  知樹は俯いている草太の顔を覗き込む。覚悟を決め、目を瞑った。そして顔をぐい、と押し出し、草太の唇に自分の唇を押し付けた。 「僕も好き……、大峰くんが好き……」  軽く唇をあて、小さく囁く。知樹さん、と掠れた声で、草太が知樹の名前を呟いた時、草太の吐息が知樹の唇をくすぐった。  覚悟は決めたものの、恥ずかしくて顔は見られない。自分でもわかるほど、顔が真っ赤になっている。  けれども自分の思いを、自分の言葉で伝えたい。そうじゃなきゃ意味がない。 「僕、ゲイで、男性しか愛せない……、それに誰とも付き合ったことがない、さっきのキスも大峰くんが初めてで……」 「彩奈ちゃんは知樹さんがゲイだって知ってるんですか?」  知樹は無言で、頭を横に振る。彩奈どころか誰にも言ったことはない。 「わかりました。ちなみに俺はどっちの性別も好きになれます。けれど今は知樹さんだけですから」  ドキドキする。自分の性的嗜好を初めて他人に明かした。そして草太の性的嗜好も知った。  誰ともこんな話をする機会がなかったから、何だかそれだけなのに楽しい。 「俺の命、知樹さんのために使わせてください、知樹さんを幸せにさせてください」  辺りの陽は落ちかけている。二人の長い影が重なった。波が寄せて返す音が遠くから聞こえる。草太の優しいボディソープの香りが知樹の鼻腔をくすぐり、身体が火照ってくる。  またキスされたのだ。唇と唇が触れているだけなのに胸が甘苦しくて、何かに縋りたくて、知樹は草太の胸元に触れた。  知樹の手の下で、移植された隆也の心臓が早鐘を打っている。引き攣ったカモメ型の傷を知樹は優しく指でなぞった。    帰る途中で、草太がコンビニに寄る、と言い出した。外で待っていると、買い物を終えた草太が出てくる。 「これ、必要ですから」  持っていたビニール袋に入っていたのはコンドーム一箱とローション一本。  中身を見た知樹は思わずフリーズしてしまう。 「今夜、絶対に知樹さんを抱きます。最後なんで。次に会えるのは冬休みになっちゃうでしょ? まあ行けたらひと月に一度くらいは会いに行こうと思ってますけど」 「う、うん……、無理しないで、大丈夫。僕も今日、大峰くんに触れられたいと思ってるしさ……」  初彼氏、初キス、初手繋ぎ、初セックスまで今日で済ませてしまうのかと思うと、テンパって、変なことをしてしまいそうだ。  けれども、草太が知樹を欲しい、と思っているように、知樹も草太が欲しい、と強く願っている。それにこれは自分で選んだことだ。  知樹が耳まで真っ赤にしながらこくこくと頷いていると、手を握られる。  もう日は落ち、あたりは真っ暗だ。寂れた観光地なので、店はだいたい午後五時ごろに閉まる。午後七時半ともなれば、外を歩いている人は誰もいない。  知樹は少しだけ自分よりも背の高い草太を見上げる。 「任せておいてくださいよ!」  夜なのに、にっかりと太陽みたいに笑う草太が愛おしくてたまらなかった。    家に着くと、まずシャワーを浴びた。草太は二人で入りたがったけれど、知樹には準備がある。経験はないが、知識はあるので、後ろの洗浄をするため、一人で入った。流石にそこまでしてもらうのは恥ずかしかったのだ。  裸で部屋に行くと準備万端、という感じがして、恥ずかしかったので、いつもの寝巻きを着た。Tシャツに短パンだ。先にシャワーを浴びた草太も同じような格好で知樹のベッドの縁に座っている。  部屋の電気は薄暗い。レースカーテンから月光が時折部屋を照らしていた。  どうすればいいのかわからず、知樹はちょこんと草太の横に座る。 「近寄ってもいいです?」  うん、と頷くと、肩を抱かれ、抱きしめられた。手を取られ、指先を絡められる。まだ温かいボディソープの香りがして、何だか興奮した。  そのまま頬や唇の端、鼻にキスを落とされ、その心地よさに知樹はだんだん身体が入らなくなっていく。  甘やかされ、蕩かされていくようだ。知樹は完全に草太に身体を預ける形になり、もたれかかった。 「どうぞ、力抜いてください……」  優しくベッドに横たえられた。のしかかってきた草太と目が合う。理性と本能とがせめぎ合っているような、そんな目の色だ。  知樹は手を伸ばし、草太の頬を両手で覆う。 「大丈夫、大峰くんなら何をされてもいい……、何でもしてほしい」  真っ直ぐ見つめながら、そう言うと草太の目の色が変わる。本能が僅かに勝ったようだ。  知樹は自分の短パンに手をかけた。履いていた下着ごと脱ぎ去り、ベッド下へと落とす。 「知樹さん……」 「なんでもして……、大峰くんが気持ちいいならそれでいい……」 「あんまり煽らないで、加減ができなくなりますから!」 「そんなの、しなくていいっ、んっ!」  海辺でしたような優しいキスではなく、吐息ごと奪うような激しいキスに口内を蹂躙される。  草太の舌は知樹の口内で暴れ回った。息をつく暇もない。少し強引だが、草太がどれだけ知樹を欲しがっているのか感じられる。それにすごく興奮をした。 「ん、ぁ」  知樹の口内を十分堪能したのか、草太が口を離す。そのまま、すでに勃起している知樹自身に手をかけた。 「キスだけで勃起してる。可愛いですね」  揶揄うような言葉にちょっとムッとなる。知樹も言い返した。 「大峰くんだって……、僕が入ってくる前から勃起してたじゃないか……」  指摘するのが恥ずかしくて、あえて言わなかったのだ。  しかし草太は恥ずかしげな様子もなく、挑戦的に知樹に言い放つ。 「若いんですよ、若人の性欲、舐めないでください」  草太も勃起した自身を短パンから取り出した。そしてぐいぐい、知樹の腰に押し付ける。  他人の勃起したものに触れるのも初めてだ。知樹はおずおずと手を伸ばし、草太自身に触れた。 「熱いね……」  火傷しそうなほど熱くて、固い。知樹が触れると、草太は小さく唸る。その度にビクビクと草太自身が震えていた。  悪戯みたいな触れ方だが、草太は気持ちいいようだ。眉間に皺を寄せ、耐えるように小さく唸っている。  先走りに濡れている先端に触れた時、手を取られ、シーツに押しつけられた。 「もう我慢できそうにない。そろそろ後ろの準備をさせてくださいよ」  切羽詰まり、うわずった声が可愛い、と思った。けれども知樹に余裕があるわけではない。  「わかった、後ろ向くね……」  知樹は草太に背を向け、四つん這いになる。  恥ずかしくて枕に顔を埋める。この格好では知樹の後孔は丸見えだ。視線がそこに注がれているのがわかる。無意識のうちにひくついてしまうが、止められそうにない。 「触れますよ」  先ほどコンビニで買ってきたローションをまとわりつかせた草太の指先が知樹の後孔を撫でている。中には挿れない。周りを探るような動きだ。 「ん、んん、ぁ」  しばらく縁をなでていた指がつぷりと挿入される。身体の中を他人に触れられる感覚が初めてで思わず腰を捩ってしまった。 「大丈夫です、無理にはしませんから」  余裕がない、と言っていたが、知樹の怯えたのを感じたのか、草太がすかさず優しい言葉をかけてくれた。中の指もゆっくりと抜き差しされるだけで、無理な動きはされない。  知樹も慣れてきて、身体の力が抜けてきた。  身体の力が抜けてきたのを見計らい、草太は指の数を増やしていった。 「あ、あぁ、んぅ」 「声、我慢しなくていいです。いっぱい出してください。そっちの方が楽ですから」  中に触れられるのは気持ちいい。けれども奥が切なくなってきた。指だけでは物足りないなんて、初めてのセックスで言えない。恥ずかしい。 「指、きゅうきゅうに締めつけてきますね」  含みのある言い方だ。知樹はこくこくと頭を振りながら、口を開けた。 「前から、して……、後ろからは嫌だ、怖い……」 「……わかりました」  すぐさま腰を持たれ、身体をひっくり返される。足の間に身体を入れられ、膝裏をもたれ、足を広げられる。 「挿れます」  後孔に灼熱のものが当てられた時、知樹は言葉が出てこなくて、あぁ、と上擦った声で返事をした。シーツをつかみ、熱さに耐える。 「知樹さん、知樹さんっ!」  ゆっくりと身体の中心が灼かれていくような感覚だ。圧迫感もあるし、痛みもある。けれどその感覚が余計に、草太を受け入れたリアルなものとして身体に刻まれていく。 「あ、あぁっ、好き、大峰くんっ!」 「草太って呼んでください、よっ!」 「んぁあっ」  乱暴に最奥を突かれ、思わず身体が仰け反る。けれど嫌ではない。不快でもない。  これは知樹が望み、草太もまた望んだ行為だ。  快感も、痛みも、何もかもを巻き込み、激しい奔流へと流されていく。 「草太くんっ!」  知樹は手を伸ばし、草太を抱きしめた。同じくらい強い力で抱きしめ返され、知樹はよかった、と心から安堵する。  誰の意見に左右されるわけでもなく、何か打算的な理由をつけて選んだものでもない。知樹が自分の意思で、自らの手で掴み取った熱と愛だ。  射精感が高まっていくのを覚え、知樹な無我夢中で草太の唇を奪い、いつの間にか白濁を吐き出していた。中の草太のものもビクビクと震え、しばらくすると草太が知樹に体重を預けてくる。  二人の心臓は重なり、鼓動を響かせている。  知樹はそっと手を伸ばす。草太の手を掴み、指を優しく絡めた。    朝日がカーテンから漏れている。知樹は自然といつも通りの時間に目を覚ました。  しかし起き上がることが難しい。身体が怠くて仕方ないのだ。初めてのセックス後のダメージは凄まじい、と話には聴いていたが、ここまでとは思わなかった。  今日帰省する彩奈には二人のことを打ち明けようと思っている。二人で話し合ったことだ。  草太はベッドにはいない。きっと日課のランニングに出かけたのだろう。 (やっぱり若い体力には勝てないなあ)  苦笑しながらも、なんとか身体だけは起こした。よろよろとしながらリビングへと歩いていく。  兄にも報告がしたい。ラックへと近づいた時、あることに気がついた。  花瓶の花が変わっている。いつも知樹はカモミールを供えているが、今日は良い香りのする別の白い花が花瓶に供えられている。  日差しを受けて、照り輝くその花はアングレカムだった。陽光が花瓶に透け、まだらな虹色が兄の写真に映っている。

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