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第5話

 侍女たちの様子が騒がしい。  気になり、階下へ降りていくと、見慣れない女性が椅子に座っているのが見えた。  黒い羽根飾りがゴテゴテとついた帽子は何だかがちゃついていて、一貫性がない。 「エレノア様です、亡くなった前の王太子妃の」  嫌そうな顔をした侍女がメアリルにそっと耳打ちする。  ラインハルトの兄の妃・エレノアは、王太子が病死したことにより、若くして未亡人となったが、一族の力も強く、今でも王族に連なる者として、王宮の敷地に居を構えている。  メアリルを遠方の寺院へと追いやった中心的な人物だ。そんな人物が、なぜメアリルを突然訪問してきたのか、意図がわからない。 「エレノア様は気位が高く、少々気難しい性格をしております。待たせすぎると、難癖をつけられる可能性がありますよ」  もたもたとしていると、侍女がまたそっと教えてくれた。  そうですか、ありがとうございます、と言い、メアリルは急いで階下へと降りていく。 「お久しぶりです、エレノア様。お待たせしてしまい申し訳ございません」  メアリルが挨拶をしながら近づいていくと、エレノアは満面の笑みを浮かべた。 「お久しぶりね、メアリル。王宮に戻ってきたと聞いていたんだけど、なかなかご挨拶に向かう暇がなくて……、ごめんなさいね」 「いいえ、そんな。私の方こそ、ご挨拶ができておらず申し訳ございません」  本当はラインハルトにエレノアには近づくな、と言われていた。だから行けなかったのだが、そんなことを正直に言えるはずもない。 「こんなところでお話もなんでしょうから、お茶でもどうぞ。今日は晴れていますから、テラス席をご用意しましょう」  そう言って、庭が見える席へと誘導する。  小さな庭には季節の花が植えられており、様々な色で目を楽しませてくれている。  メアリルは何か一つ種類や色で揃えて一貫性も持たせる庭の作り方ではなく、様々な種類や色の花を雑多に植え、たくさんの花を楽しむのが好きだった。 「やはり貴方は花や植物を育てる才能があるのね、このお庭も元気いっぱい。見ているだけで元気になるわ」 「それは良かったです、冷たいハーブティはいかがですか? ゆっくり凍らせた氷の中にこの庭で採れたハーブを閉じ込めたものなのです。暑い夏にはぴったりですよ」 「良いわね、いただくわ」  運ばれてきた冷たいハーブティを飲みながら、二人は雑談をしていく。当たり障りがない内容だ。 「そういえば、新しいお屋敷が建設されているのはご存じ? とても大きな屋敷になるという噂よ!」  大きな館の建て直しは聞いたことがあった。  ラインハルトがそれで忙しくしているからだ。 「今度、わたしが住むところなの。国王陛下がわたしのために建ててくれているのよ。お庭はお花いっぱいにするわ、四阿も建てて、ちょっとしたパーティーも開催して……、貴方も来て頂戴ね! 白狼一族の貴方が来ればきっとみんなも集まってくれるでしょうから!」  メアリルはエレノアの発言に違和感を覚える。そもそもエレノアは屋敷を王宮に持っている。それもかなり立派なものだと聞いた。  今更、なぜラインハルトがエレノアのために屋敷を建てているのかも理由がわからない。  くん、と、エレノアの香りを嗅いでみる。  濃い香水の香りと化粧の香りが鼻につき、思わず咽せそうになってしまった。これではエレノアの感情の香りはわからない。  ただものすごく楽しそうに話をしている。何か勘違いをして、メアリルに間違った情報を教えているのかもしれない。 「ねえ今度、貴方の温室を見せて、ここにはない珍しい花もあるんでしょう?」 「ええ、良いお日和に。ぜひ」  メアリルは曖昧に微笑む。ハーブティの冷やっこさがやけに舌にこびりついた。  エレノアはこの後も夢見がちな口調で、嘘か本当なのかわからないことを捲し立てた。そして満足したのか、昼頃には自分の屋敷へと帰っていった。    夕食時に現れたラインハルトに、エレノアの来訪を告げると、一気に不機嫌な態度になってしまった。 「屋敷に入れたのか? あれだけ関わるな、と言っただろう」 「来てくださった方を無碍には扱えませんよ……」  メアリルが困ったように言うと、ラインハルトは眉間に皺を寄せ、むっと黙ってしまう。 「その時に不思議なことをおっしゃっておりました」  メアリルは昼間のエレノアの様子を思い出す。  大きな屋敷を新しく建て直していること、自分がそこに住む予定だということ、どこか地に足がついていないような夢見がちな態度や喋り方。 「エレノア様は前王太子妃という地位だ。当時、娘を王太子妃に推したものの、兄が死んだことにより画策が失敗した彼女の父が与えた地位だ。俺は本来、彼女は実家に帰るべきだと思っている」  ラインハルトのエレノアに対する目線は厳しい。 「それに彼女は怪しい噂に事欠かない。ライバルの夫人を毒殺しようとしたとか、気に入らない兄上の妾の化粧に劇物を混ぜた、とか」 「……あくまで噂でしょう?」 「ああ、今のところ証拠はない。だが、お前のことを追放したのもあの女やあの女の一族だ。俺はそれが許せない。裁判だって、重要な役職の者は全てあの女の一族で固められていたんだ」  ふん、と言って、ラインハルトはコーヒーカップを乱暴にソーサーの上に置く。 「お兄様が亡くなってから、ちょっと精神的に参っているのかもしれませんよ……。それでおかしなことをして、謂われない噂をたてられているのかも」 「お前の人を信じる美しい心は美徳だな……」  呆れられたように言われてしまう。しかし、他人を最初から疑ってかかることはしたくない。 「十年前だって、私が突き飛ばした陛下を心から心配して、お救いしようとしていたではありませんか」 「そこだ、おかしいのは」  何がおかしいのかさっぱりわからない。誤解とは言え、襲われていると思ったラインハルトを救おうとしたエレノアの行動は間違ってはいないのではないだろうか。 「俺はあのマフィンを食べた後に具合が悪くなったんだ。俺たちは同じものを食べている。お前の体調もおかしかっただろう? 俺はあのマフィンに何か細工がしてあったのではないかと考えている。それに、どうしてメアリルが発情期だ、と断言していたのか。俺はそこが一番引っ掛かっている。エレノアはベータだ。フェロモンに惑わされないはずだ」  確かにエレノアは、十年前にメアリルに向かって『発情期で惑わして』と言っていた。  メアリルは視線を下げる。エレノアは愛している王太子を失ってから、きっと心を病んでしまっているのだろう。 「エレノア様は孤独なのでしょう」  悲しんでいる人、泣いている人は放っておけない。 「今度、エレノア様と温室で花を見る約束をしました」 「二人でか?」 「ええ」  メアリルは温くなったコーヒーを飲む。 「花は見た人の心を癒します。私が彼女に対して正直に接すれば、過去のことがどうであれ、エレノア様に何か心当たりがあるのなら、本当のことをお話ししてくださるでしょう」  何か言いたげにラインハルトは口を開けたが、すぐに噤んだ。そして言いたいことを押し隠すように、コーヒーを一口飲んだ。 「それなら、良いが……。何かあった時は必ず俺を頼ってくれ。それに心配だから警護を増やす。俺の方でもエレノアに探りを入れよう」 「そこまでしていただかなくても……」  メアリルは慌てた。どうやらまた心配をさせてしまったようだ。  このところ、ラインハルトは政務にも、公務にも忙しくしている。メアリルのことで心労をかけるわけにはいかない。  メアリルはテーブルの上に置かれたラインハルトの手に自分の手を重ねた。  ラインハルトの話を聞いていて、やはりエレノアにも不審な点はあると思う。  しかしそれでも、彼女の善意の方をメアリルは信じたかった。  十年前、危険だと判断したメアリルからラインハルトを守ろうとしたエレノアを信じたかったのだ。 「大丈夫ですよ、私の鼻が効くことはご存知でしょう? 何か危険な香りを感じたら、すぐに逃げますから」 「……そうしてくれ」  ラインハルトは一拍置いてから、小さく呟いた。

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