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番外編 恋するピアノの音色3
「聖哉のヤツ、頑なに親父さんのことを隠すんです。この間なんて、偶然叔父さんに逢うことができたのに、『聖哉の叔父でーす』なんて名前抜きの自己紹介をご本人にされてしまって。きっと、あらかじめ聖哉が口止めしていたんでしょうね」
「あー……俺ってば、余計なことを言っちゃったみたいだね。宇都宮くんごめん」
自分の父親が世界的に有名なピアニストだというのを、隠したかったのかもしれない。石崎さんがそのことを知ってしまったら、友人関係が崩れる恐れがあると考えたのだろう。
「髪型がファンキーな叔父さんから親父さんを推測しようにも、手がかりがなくて困っていたんです。及川さん助かりました」
その髪型がファンキーな叔父さんは、有名音大の教授ですよ。ってこれも知らせないほうがいいよな。
「俺、現在進行形で聖哉のマンションに居候をしてる身でして。親父さん名義のマンションに住まわせてもらってるのが、いたたまれないというか」
「確かにそれは、お会いしたい理由になりますね」
「智之さん、しょうがないでしょ。お店の近くに、防音設備の整ったマンションはないんだから」
不機嫌な声色で乱入した宇都宮の眉間に、深いシワが刻まれていた。俺が言わなくてもいいことを告げてしまったせいだと考えつき、謝ろうとしたら。
「聖哉、そろそろ結果が発表される頃だろ。会場に戻らなくていいのか?」
「智之さんに電話しようとしたところで、及川さんに話しかけられてしまったんです」
「あっ、引き止めて悪かった。俺の用事は、宇都宮くんのピアノの音色が変化した理由を知りたくてね」
本来の目的を口にすると、宇都宮の眉間のシワが瞬く間になくなり、目の前に立っている石崎さんを見つめる。彼に注がれる優しげなまなざしで、宇都宮のピアノを褒める相手が石崎さんなのがわかった。
「聖哉の音色が変化したのは、練習の賜物だもんな。すごくがんばっていた話を叔父さんから聞いたし。それと及川さん」
石崎さんに話しかけられるとは思っていなかったので、首を傾げながら「なんでしょうか?」と返事をした。
「及川さんのピアノも、いい音を出してると思います。と言っても俺は素人なんで、それをうまく表現できないんですが」
「ありがとうございます……」
(コンテストで結果を残せない俺の演奏を、素人さんに褒めてもらえるだけでも良しとしなければ――)
石崎さんのひとことにより、胸のつかえが取れたタイミングで、彼は注がれる視線に合わせながら、嬉しげに瞳を細めて口を開く。
「俺ね、オリジナルカクテルのコンテストに出るために、いろいろ研究してるんですけど、どうしたら俺らしいカクテルを作ることができるだろうかと、毎日悩んでいるんです」
「それは大変そうですね」
悩んでると言ったというのに、石崎さんの表情はそれをまったく感じさせなかった。むしろ楽しんでいるみたいに、俺の目に映る。
「今日ここで聞いたピアノも、出場者は同じ曲を奏でているのに、ピアニストによって所々音の響き方とか全然違うことに気づきました」
「あーそれは、曲の解釈の仕方で音が変化するかもです」
「カクテルとピアノ、同じものを作っても、造り手によってまったく違うものになる。それって無限大に幅が広がりますよね」
不思議と彼の告げたセリフが、胸の中にじわりと沁み込んでいった。
「及川さんのピアノ、すごくいいものがあるんですからそれを軸にして、もっと自信をもってみたらどうでしょうか。とはいえ、どんなにがんばっても聖哉が一番ですけどね」
俺にウインクした石崎さんは、腕を伸ばして宇都宮の肩を抱き寄せ、彼の顔を覗き込む。途端に宇都宮の頬が真っ赤に染まり、大きな瞳を潤ませて困惑の面持ちを露にした。
「智之さんってば、本当にお節介なんだから! というか、人たらしって言ったほうがいい?」
「俺は思ったことを言っただけ。今日はコンテストの曲をたくさん聞いたが、やっぱり聖哉が一番良かった」
「ど素人のクセに。よく言うよ!」
耳まで赤くなった宇都宮をスマートに反転させて、会場に誘導する石崎さんに慌てて声をかける。
「ありがとうございました。これからもがんばります!」
俺の声が、エントランスホールに響き渡った。こんなに大きな声を出したのは久しぶりで、なんだか晴れやかな気分になる。
俺のお礼を聞いた石崎さんは、振り向かずに空いた手で親指を立てて返事をし、宇都宮の耳元に顔を寄せる。
「入賞したら、ご褒美はなにがいい?」
耳打ちでも誰もいないエントランスホールは、ふたりの会話をうまく拾ってくれた。
「じゃあ、スピリタス入りの美味しいオリジナルカクテルを一杯。あ、もちろんスピリタスの量は加減してね」
「俺としては加減せずに、これでもかと配合してやりたいのにさ」
「それは僕だってそうしてほしいですけど、でもね――」
宇都宮を抱き寄せる石崎さんの左手薬指の指輪が、照明に反射してキラリと光り輝いた。
コンテストで一番と豪語された宇都宮の左手薬指にも、リングの表面に独特の捻りがきいた指輪が嵌められている。
ふたりは、揃いの指輪をしている間柄――だから初見で石崎さんから牽制されるように見つめられたり、俺の肩に石崎さんが触れたのを見るなり、妬いた宇都宮が慌てて引き離したということか。
「石崎さんが宇都宮の父親に逢いたい理由って、マンションでの同棲だけじゃなさそうだな。オリジナルカクテルを作るよりも大変そう……」
それに比べたらオレがこれから目指す目標のほうが、遥かに楽に思えてしまった。
「よかったな、宇都宮くん。すぐ傍で君のピアノを褒めてくれる伴侶がいて」
自動演奏だった感情のない彼のピアノが、恋をしたことで豊かな表現力を身につけ、誰にも負けない音色を奏でる。そりゃあ入賞するに決まってるじゃないか。もしかしたら今回優勝するかもしれない。
「俺は師匠に叱られる前に、さっさと帰りますけどね!」
石崎さんに言われたことを実践するために、ひたすら練習しなければ。次回のコンテストでは失敗しないように。そして少しでも宇都宮に近づけるように、精進することを胸に誓って、コンサートホールをあとにしたのだった。
おしまい
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