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番外編 恋するピアノの音色2

「今どこにいるかって? 一階のエントランスホールにいますけど……って、ちょっと待って! そこにいろってなんで? もしかして、わざわざここに来たんじゃ――」  見るからに慌てふためいた宇都宮は、周囲に素早く視線を飛ばす。中央階段に縫いつけられた目線を辿ると、濃紺のスーツを着た背の高い男がこちらに手を上げながら、階段を駆け下りてきた。  遠くからでもわかる男の整った容姿と背の高さは、羨ましさを通り越して見惚れてしまうものだった。  近づいて来る男を見るなり、宇都宮は持っていたスマホを力なく下ろし、体をブルブル戦慄かせる。 「聖哉お疲れ! さっきの演奏――」 「なんでこんなところまで、やって来たんですか、智之さんっ!」 「なんでって、コンテストに出るおまえの演奏が、どうしても聞きたかったんだって」 「僕のピアノなんて、いつも聞いてるでしょ!」  さっき笑った顔をはじめて見たが、激怒した宇都宮を見るのも、はじめてだった。コンテスト会場では、終始物静かな印象を抱いていただけに、衝撃が半端ない。 「おまえ、コンテストの曲は、絶対に俺の前では弾かないだろ」 「コンテストはコンテスト用に、集中したいから弾かないんです」 「ほらほら普段との違いとか、ほかのピアニストの弾く感じとか、いろいろ知りたかったのもあるんだって。そんなに怒るなよ」  甘いマスクの男が手を伸ばし、小さいコを宥めるように宇都宮の頭を撫でると、目を釣りあげてその手を容赦なく叩いた。 「智之さん昨日も仕事だったのに、寝ずにここまで来るなんて、体を壊しちゃいます」 「新幹線で熟睡したから、そこのところは大丈夫。それよりも彼は?」  放置されたままの俺に気づき、宇都宮に訊ねた甘いマスクの男は、しげしげと俺の顔を見下ろした。値踏みされるような容姿をしていない俺を見つめたって無駄なだけなのに、どうしてこんなにも見られるのだろうか。 「あの、その人は――」 「宇都宮くんとは、いつもコンテストで顔を合わせてます、及川っていいます」  宇都宮に紹介される前に、みずから挨拶する。 「エントリーナンバー1番のピアニスト」  甘いマスクの男に人差し指を立てた指先をひょいと差され、ニッコリとほほ笑まれたことに、驚きを隠せなかった。  本日コンテストにエントリーしているピアニストは、総勢25名。その中でも男性陣が多いというのに、俺の順番を言い当てるとは、いろんな意味ですごいと思う。  驚きのあまりぽかんとした俺の隣で、宇都宮が同じように鳩が豆鉄砲を食らった面持ちで話しかける。 「智之さん、及川さんの演奏順がよくわかりましたね?」 「これでも客商売してるんだ。顔を覚えるのはデフォルトさ。それに覚えてしまう所作が、ちょいちょいあったしな」  緊張のあまり、ステージに登場した瞬間に躓いて転びかけたり、思いっきり音を外したことを口にせず、濁してくれたことに小さく頭を下げた。 「紹介が遅れました、俺は隣の県でカクテルバーを経営してる石崎です。聖哉は俺の店で、ピアニストをしているんですよ」 「ピアノのあるカクテルバーですか。それでいつも宇都宮くんの演奏を聞いてるって」  すると宇都宮はタキシードの内ポケットから紙片を取り出し、柔らかくほほ笑みながら俺に手渡した。 「及川さんお忙しいかもしれませんが、是非お店にいらしてください! コンテストの話もゆっくりしたいです」 「聖哉おまえ、いつも店の名刺を持ち歩いてるのか?」  今度は石崎さんが驚きの表情を浮かべて、宇都宮をまじまじと見つめる。 「せっかくたくさん作ってもらったんですから、持ち歩くのは当然だと思います。そういう智之さんは、手ぶらなんですね」 「人見知りの聖哉が名刺を持ち歩いたとしても、うまいこと相手に渡せるかどうか」 「今、見たでしょ! ちゃんと及川さんに渡すことができたし、これからもできますよ!」 (このふたり、仲がいいほど喧嘩するっていうのを、見事に表していると言うべきか) 「それはどうだかな……」  どこか小馬鹿にするように肩を竦めてみせる石崎さんと、今にも噛みつきそうな雰囲気を漂わせる宇都宮の仲をなんとかしたくて、いい流れになるようなことを告げてみる。 「宇都宮正幸の名前を出せば、音楽関係者なら喜んで名刺をもらいに来そうですけどね」  俺のセリフを聞いた途端に石崎さんは目を見開き、肩を掴んでゆさゆさ揺さぶった。 「それって、聖哉の親父さんの名前ですか?」  切羽詰まった様子の石崎さんに答えようとしたら、宇都宮が俺の肩に置かれた石崎さんの手を引っ張り、無理やり距離をとりながら、大きな声を張りあげる。 「ちちちっ違います、ただの親戚です!」 「なにを言ってるんだ。宇都宮くんの父親じゃないか」  俺がハッキリ言いきると、石崎さんは満面の笑みを頬に滲ませ、宇都宮はがっくりと首をもたげた。

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