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番外編 恋するピアノの音色

 俺はピアニストの及川健。暗い顔して横に突っ立てる宇都宮聖哉とは、コンテストの演奏順を決める際にくじ引きをする関係で、あいうえお順に並ばされたときに、必ず隣にいるせいで、彼とは顔見知りだったりする。  前々回のコンテストで、コイツが特別賞を受賞してからというもの、それに勢いがついたのか、前回のコンテストでは三位に入賞しやがった。  いつもなら俺と同じようにガックリと肩を落として、優勝者の名を聞かずに、会場をあとにしていた仲間だったのに!  これはなにかあると直感した俺は、迷うことなく宇都宮に声をかける計画を立てた。お互い演奏が終わったあとだし、リラックスした状態でうまく秘密を探ることができるだろう。  コンサートホールの会場を抜け出し、スマホを手にどこかに向かう宇都宮の後ろ姿に、思いきって声をかける。 「宇都宮くん、ちょっといいかな?」 「えっ?」  俺の声がいい感じで辺りに響き渡り、彼の足を止めることに成功した。  キョトンとした表情で振り向き、何度か目を瞬かせる。俺は小走りで宇都宮に近付き、愛想笑いを振りまいた。 「すみません、どちら様でしょうか?」  その言葉に、会心の笑顔が凍りつく。何度もコンテストで一緒になっているというのに、俺の存在を知らないとは! タキシードを着ている時点で、同じ演奏者ということくらいわかるだろう。 「えっとねぇ、俺は及川といいます。ちなみにくじ引きのときは、何度も宇都宮くんの隣にいたんだけどな」 「本当にすみません。会場入りしただけで緊張してしまって、周りのことに気を配れないものですから」 「緊張するのはお互い様だよな。しょうがないって」  俺よりも年下の宇都宮の済まなそうな面持ちをなんとかしようと、フォローするセリフを口にしたものの、警戒心までは解消することができなかった。 「及川さんは僕を知っていたから、なにか聞きたいことでもあったのでしょうか?」  不安を示すように、胸の前に両手でスマホを握り締めたまま、大きな瞳が俺を捉える。 「俺と君は同じコンテストに出場しているから、同じ曲目を演奏しているんだけどさ」 「そうですね····」 「正直なところ、君の演奏を聞いた印象は、自動演奏のピアノの音に近いなっていう感じだった。ミスはないけど感情のない音色を、ピアノから響かせているっていうのかな」  そういう俺は緊張のせいで肩にいらない力が入り、ここぞというときに限って、ミスしまくりの演奏しかできていない。 「師事してる叔父にも、同じことを言われてます」 「だけど前々回のコンテストから、明らかに音色が変わった。豊かな表現力が指先から溢れてるように聞こえたんだ」 「あ、ありがとうございます」  宇都宮は恥ずかしそうに首を垂れ、俯いてお礼を告げた。  コイツの父親、宇都宮正幸は某音大の大学院を首席で卒業し、国際ピアノコンテストを連続で受賞できるくらいに凄腕のピアニストだった。『ピアニストの宇都宮一族』の中でも、トップクラスの存在として扱われている。  そんな凄いピアニストを父親にもった時点で、息子であるコイツは周りから期待されるのは必然だろう。宇都宮本人は嫌でもプレッシャーを感じてしまうのは、火を見るよりも明らかだった。  ちなみに俺の両親は音楽関係者ではないので、プレッシャーを感じる環境下じゃないのに、人一倍あがり症なのが災いして、コンテストでやらかしているのである。 「君の父親は忙しいから、叔父さんに教えてもらっているんだね。演奏が驚くくらいに変化したきっかけは、叔父さんからの指導法が変わったのか。それとも、師事する先生を変えたりしたりしたのかな?」  宇都宮は俺のセリフを聞いた途端に顔をあげ、嬉しさを噛みしめるように顔を綻ばせた。 「それはきっと僕の演奏を褒めてくれる人が、すぐ傍にいるからだと思います」  それは、これまで見たことのない表情だった。一緒にコンテストに出ているゆえに、隣で緊張を示すような強ばった顔ばかり見ていたので、こんなふうに笑うことのできるヤツとは思いもしなかった。 「君の演奏って、俺が言ったピアノの自動演奏でも褒めてくれるのか?」 「はい、どんな演奏をしても褒めてくれます。その人は音楽家じゃないけれど、ピアノの音色を聞いただけで、僕の心情を言い当ててしまう凄い人なんです」  宇都宮の秘密に手がかかったのがわかり、もっと聞き出してやろうと、褒めちぎる言葉を考える。 「音楽家じゃないのに、そんなことが可能なのか? それって本当に凄いね」 「そうなんです! だから僕はその人の前では、素直にピアノを奏でることができて、それで――」  宇都宮が言いかけた瞬間、彼が手に持っていたスマホがバイブレーションした。慌てて画面を見やり、タップする。 「もしもし、智之さん。さっき演奏が終わりました。電話しようと思ったのに、先にかけてくるなんてビックリです」  少しだけ頬を紅潮させて電話する様子から、相手が会話に出てきた凄い人物なのがわかった。

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