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第14話:岸本センパイと下川くん。
それは特に何も特別な事が起こらない、
岸本 洋平の日常から始まる。
いつものように順調に営業の成績を伸ばし、
同僚と何気ない会話をして会社から帰宅するその時、彼は岸本の前に現れた。
「あの、岸本センパイ」
ふいに声かけられて振り返ると、
そこにはあまり見かけない
一人の青年が立っていたい。
たしか今年新卒で入社した
新人の一人だったように記憶していた。
「あっと、君は・・・」
「今年入社した、経理部の下川です」
と、彼は小さく会釈をした。
「ああ、下川くんね。おつかれ。どうした?」
あまり交流のない新人に声かけられて、岸本は首をかしげた。
すると、彼はもじもじとしながら、
「センパイ・・・付き合ってもらえませんか?」
「・・・?」
その彼の言葉の意味がわからず、岸本はきょとんとして、
「えっと・・・どこに?」
すると、下川と名乗った彼は、一瞬はっとして、
「えっ・・・と、ば、晩飯・・・に」
まるで絞り出すかのようにそういった。
「あ、晩飯ね。いいよ。行こ」
岸本はあまり話したことのないセンパイと
交流したいと考えて自分に声かけたのだろうと思い、
気軽に返事をしてその夜は2人で夕食を食べに行くことに。
「下川くん、嫌いなものとかない?」
「あ、ありません」
「ドコの店にしようかなー」
岸本はまるで気が付いていなかった。
下川が言っていた言葉の真意に。
翌日。
「おはよー」
いつものオフィスに入ると、先に出社してた中丸がこちらを見て、
「おす」
短くこちらに挨拶をした。
少しだけ肩幅の広い中丸は岸本と同期入社で大学も同じだったらしい。
大学時代は知り合いではなかったが。体育会系の彼はいつも学生の様なノリだ。
「中丸さ、経理部の下川って知ってる?」
ふと質問する。
「ああ、新人の子だろ?真面目そうな」
「ん」
「その子がどうした?」
「何か、昨日飯に誘われてさー」
「え?急に?」
「まあ」
岸本はさして気にもとめていないようだが、中丸は動きを止めた。
新人があまり話したことがないセンパイを飯に誘うって・・・
普通はなかなか聞かない。
同じ部署なら分かるが。
「なんて言われて誘われたんだ?」
中丸が聞いてみると、
岸本はさして気にしてないように、
「あー、なんか、『付き合ってください』って最初言われて・・・」
「え?」
「あ?」
『・・・』
中丸の疑問符に、岸本も同じ様なテンションで答えた。
「・・・付き合ってくださいって、言われたの・・・?」
「んー、だから『どこに?』って聞いたら『晩飯』って言われて」
思い出しながら話す岸本のその言葉に、
中丸は顔をぐにゃっと曲げたような顔をしていた。
どういう表現かわからなかったので、
「いや、どういう感情?その顔」
中丸はそれには答えず、頭を抱えた。
岸本は鈍い。
本当に鈍い男なのだ。
「お前それ・・・告られたんじゃないの?」
「え?まさかぁ」
「何で、まさか?」
「男同士だぞ?」
その言葉に、中丸はジッと岸本を見つめた。
ものいいたげな顔で。
「・・・」
岸本は、声掛けられた時の事を思い出そうと考える。
下川の表情を。
確かにどこか緊張していたようだった。
しかし、岸本の思考ではもう限界があった。
「伊藤ちゃんに聞いてみよう」
中丸の提案に、岸本はうなずいた。
彼が言っていた「伊藤ちゃん」とは、中丸と喫煙室でよくあう経理部の女子社員。
岸本達の2年先輩だ。
この会社の喫煙室は自販機が並ぶ休憩室の一角に位置している。
ただ現在は社内でも喫煙率は4割となっており、
昼休憩意外は、あまり人の姿は見かけないくらいだった。
その中でも中丸くらいのヘビースモーカーは、
彼とよく喫煙室で顔を合わせる伊藤南帆子が多かった。
中丸が岸本から聞いた話をすると、伊藤はタバコの煙をはあっと吐き出すと、
「そりゃ、告白じゃん」
中丸と同じ意見だった。
それを聞いた中丸は、
「ほら!」
と、喫煙室内の椅子に座る岸本の顔を自慢気に見る。
岸本はめったに入らない喫煙室で、スーツにタバコの煙のにおいがつくのが気になりながら、
「・・・そうかなぁ?」
まだ、ふに落ちない顔をしていた。
確かにこの昨今、セクシャリティに関しては多様性が叫ばれている。
ただ、必ずしもそこに結びつけてよいのだろうか?
なかなかデリケートな話だ。
「下川からすれば、後輩として本当にただセンパイと食事に行きたかっただけかもしれないし。決めつけるのはどうかな・・・」
「まあ確かにそうだが」
岸本の言葉に、腕を組んで唸る中丸。
「伊藤ちゃんは、下川くんと仲いいの?」
そう聞かれて、伊藤は数秒沈黙した後、
「まあ、部署内では話す方かな。といっても一応私あの子の上司だから、友達ってノリじゃないけど」
「そうか・・・あ、外回り行かなきゃ」
と、結局話しがはっきりしないまま岸本は営業部に戻っていった。
先に部署に戻った岸本を見送りながら伊藤は、
「中丸くん」
「ん?」
タバコに火を付けながら返事をする中丸に、
「岸本くんに言わないでほしいんだけどさ」
「?うん」
伊藤の妙な言い回しが気になったが、
返事をして言葉の先が気になって返事をする中丸。
「本当は、めちゃくちゃ恋の相談されてる」
「・・・え、下川くんに?」
「そう」
めちゃくちゃ真剣な顔で中丸をじっと見つめる伊藤。
中丸は頬に汗が滴るのを感じながら、
「え、さっき何で言わなかったんだよ?」
「本人には言わないでって言われてる」
「ええ・・・」
中丸は顔を引きつらせた。
岸本本人には知らせないように言われていたが、
少しだけ意識させないときっと岸本は気づかない。
だからさっきはあんな言い方をしていたらしい。
伊藤は短くなったタバコを灰皿にねじ込み、
「下川くんさ、岸本くんがまったく告白に気がつかない事も最初は落ち込んでたんだけど、一緒に食事に行けて嬉しいっていってたの」
「はあ」
「変に告白して気まずくなるより、一緒にいられる時間が増えれば今はそれでいいって」
「でも、それだときっとあいつ気が付かないぞ。鈍いし」
「そうね、私も押すように言ったんだけどさ」
そういいながら、タバコをポーチに仕舞い、
「その話はまた今度ね。とりあえず逐一情報供給ね」
「・・・・おー」
半ば面白そうにウキウキしながら喫煙室を去っていく伊藤。
その後姿を見ながら、
「・・・結局面白がってんじゃん」
呆れた顔をして一人喫煙室で残りのコーヒーを飲み干した。
最初の食事から数日は繁忙期で、2人は顔を合わせる事がなかった。
岸本からは特に知り合いでもない他部署の社員の一人である下川を気にしている素振りはなかった。それとは対象的に下川は社内で岸本を見かけては一喜一憂しているようだった。
そんなある昼時、
中丸は自分のデスクで簡単な昼食を食べながらパソコン画面を見ていると、ふと営業部の入口」で不審な動きをしている下川に気が付いた。
「下川くん、おつかれ」
「おつかれさまです」
挨拶をすると、下川は営業部内をきょろきょろする。
「あ、もしかして岸本?」
「えっ、あっ」
なぜか慌てる下川。
「あいつならどっかで休憩してると思うぞ。今の案件が今日で決まるかもしれないから午後から一気に動くらしい」
「そうですか」
会えなくてしょんぼりする下川に、
「あいつなら、多分あそこだと思う」
「あそこって?」
中丸はニカッと笑って下川に伝えてやる。
下川はそっと、屋上のドアを開ける。昔は休憩室として使われていたらしいが食堂が改装してからほとんどの人がそっちに行ってしまい、古くさくてこの広場にはあまり人はこない。
なるべく人を避けて休憩したい時、よく岸本はここにきて一人でベンチで眠っている事がある。と中丸が教えてくれた。
案の定、
屋上の端のベンチに、岸本が横になって眠っていた。
昼食は口にしていなかった。
「岸本センパイ」
下川は小さく声かけた。
すると、眠そうに半目を開けて、
「おう・・・下川くん、お疲れ」
下川は缶コーヒーを岸本の眼の前に差し出す。
「中丸さんが持っていってやってくれって」
「・・・サンキュ」
受け取って、コーヒーの缶を手にしたまま再びウトウトする。
「休憩、何時までですか?」
「ギリギリまで…」
「起こしましょうか?」
「アラームかけてる…」
下川は完全に気を抜いている彼を見つめ、
自分の着ていた少し大きめのカーディガンを横になってる岸本の上に掛けてやり、自分は彼の足元の方に腰掛ける。
岸本はほとんど夢現のまま、カーディガンからする香りを感じて、
「いいにおいする…」
「柔軟剤ですよ。金木犀の」
答えながら下川は嬉しそうにサンドイッチを頬張った。
下川が食事をしている間も、岸本は気持ち良さそうな寝息を立てていた。
彼の寝顔を見ながら、膝枕をしてあげている想像をして下川は満足していた。
言葉を交わしていなかった時は、すごく遠い存在だと感じていた。
実際一緒に食事に行って、はつらつと会話をする姿や、ご飯を食べている時の気持ちよさ。想像よりもずっとカッコよかった。
下川は食事を終えて、立ち上がる。
昼休憩は12時から1時間。営業など人によっては時間をずらして取っている。
アラームをかけているといっていたので、先に戻ってもきっと大丈夫だろう。
下川は小さな声で、
「岸本センパイ、先に戻りますね」
彼は眠っていて返事はない。
ふと、下川は岸本の髪を撫でたくなって、
そっと彼の頭を撫でた。
陽の光で煌めいている彼の髪を見つめて、
「・・・好き・・・」
小さく呟いた。
急に恥ずかしくなり、下川は足早に屋上を後にした。
スマホのアラームが鳴り、
岸本が目を覚ますと自分の身体の上に大きめのカーディガンがかけられてた。
かすかに香る金木犀の香り。
(誰のだ?)
思い出すまでにそう時間はかからなかった。
「下川くん」
経理部に行くと、下川が眼鏡をかけてパソコンに向かっていた。岸本がこちらに手を振っている。それに気が付き下川は慌てて入口に駆け寄る。
「ありがとな」
そう言ってカーディガンを返す。
「あ、いいえ」
なぜか気まずそうに俯く。
そんな彼を見て、
「下川くん、今夜飯行かない?」
「え」
「今日ちょうど案件終わりそうだし。ちょっと遅れるかもだけど」
「はい」
「じゃな」
軽く手を振って足早に去っていく岸本を、
見つめて嬉しそうにカーディガンを抱きしめる下川。
下川は駅前の時計を見ていた。
現在時刻は21時。
岸本との約束は19時だが、
相手方の会社に行くといっていたので遅くなるとは予想していたので
岸本は20時過ぎに来ていた。
遅れる場合は連絡をいれるといっていたが、
ラインの既読は途中から既読が付いていない。
「岸本センパイとの縁・・・ないのかな・・?」
力なくそうつぶやきならが、下川はゆっくり立ち上がった。
下川のスマホが鳴った。
時間は21時。下川はその電話に出た。
電話に出ると開口一番、
『ごめん!』
岸本が焦った声で謝罪をした。
『連絡出来なくてごめん!契約後に会食に行くことになって、スマホの充電切れちゃってて、やっと充電できて・・・』
すると、
「お疲れ様です、契約おめでとうございます」
普通に笑って受け答えた。
『ほんとごめん。今から会えない?埋め合わせするから』
「そんなのいいですよ。それより岸本センパイ疲れたでしょ?」
『下川・・・』
今日の下川は何だかいつもより投げやりな感じがした。
「おつかれさまでした」
そういって下川は電話を切った。
岸本はそっと電話を切って、
力なく駅へと向かった。
もういるわけないのに。
誰もいない駅前。
岸本は、脱力して近くのベンチに腰を下ろした。
その時、ふと、
金木犀の香りがした。
まさか、さっきまで下川待ってたんじゃ・・・?
そう考えたが、
そんなわけがない。
3時間も待ってられるわけがない。
岸本は肩を落として家へと帰宅した。
翌日の休憩時間
岸本はおずおずと経理部の入り口から中を覗き込んで下川の姿を探した。
「何やってんの?」
「わっ!」
急に後ろから声かけられて岸本はその場から飛び跳ねた。
彼の後ろには伊藤が立っていた。近くのコンビニで昼食を買ってきたらしい。
「下川くんなら今いないわよ」
「・・・そうですか」
「あー、何かわからないけど元気なかったなー」
「・・・・・そうですか」
少しだけ肩を落として、その場を去った。
伊藤は下川から昨日の事は聞いているが、あえて岸本には何も言わなかった。
去っていく岸本の後姿を見ながら、
(どっちも落ち込んでるって・・・案外脈ありなんじゃないの?)
と、伊藤は内心呟いて経理部に入っていった。
社内を探したが、下川の姿は無かった。
といっても思い当たる場所がなく休憩室や食堂、トイレなどにはいなかった。
もしかしたら誰かと外に出かけてるのかもしれない。
避けられているのでは・・・?
外での食事を考えると、ますます昨日の事が悔やまれれる。
(はやく・・・謝らないと・・・)
一人で反省しようと岸本は屋上に向かうと。
「・・・」
屋上のベンチには、下川の姿。
岸本はドキリとしたが、そっと近づき、
「し、下川・・・?」
彼の顔をゆっくり覗くと、
下川は昼食は食べる前にどうやらうとうとしまったらしい。
座ったまま眠っている。
岸本は隣に座るか迷っていると、
下川の体が少しだけ傾く、
「おっと」
それを手で押さえ、そのまま起こさないように彼の隣に座り自分の肩で彼の身体を支えた。
とても穏やかに眠っていた。
彼の隣に座りながら、
かすかに金木犀の香りを感じる。
下川の真面目な性格なら、やはり昨日ずっと待っていてくれていたのだろう。
岸本は彼の穏やかな寝顔を見つめる。
自分よりは小柄で、顔は意外にかわいい顔をしている。
その顔を見ながら岸本は昼食を食べ始めた。
髪は細く柔らかい。
少しだけくせ毛のショートカットがよく似合っている。
「・・・かわいいな」
ごく自然に呟いて、岸本ははっとする。
(俺は何を言っているんだ・・・)
急に照れくさくなり、岸本は黙って昼食を済ませた。
「ん・・・」
下川がふと目を覚ますと、眼の前に岸本の顔があった。
「・・・岸本さん?」
「おはよう」
少しだけ照れた顔をする岸本。
そうして下川は理解する。
自分が岸本にひざ枕されていることを。
「!!すみません!」
がばっと慌てて起き上がる下川。
その顔を、岸本はゆっくりと自分の膝に戻す。
下川はまたひざ枕に戻されて、真っ赤になり慌てている。
「あ、あの岸本さんっ俺、なんでひざ枕っ?」
「・・・まあ、偶然?」
「い、いやちょっと」
「いいから寝てれば」
と、放そうとしない岸本。
ドキドキが止まらない下川はなるべく岸本の顔を見ないようにしながら、
大人しくひざ枕されていた。
「昨日ごめんな」
岸本の優しい声に、
下川はドキッとした。
「ほんと、ごめん」
心から申し訳ないとの気持ちが伝わって、下川の胸がいたんだ。
「昨日の事は別に、怒ってなんていません。仕事ですし。ホントです」
小さく答える下川。
「でも」
そう言って、岸本のズボンの端をぎゅっと掴む。
「ほんの少しだけ、寂しかった・・・だけです」
その言葉に、
岸本の中の何かが、動かされる。
「うん」
返事をして、
岸本は下川の髪を撫でながら、
寂しいなんて言わせたくない。
そう思った。
「さ、どうぞ」
「・・・おじゃまします」
(どうしてこうなった・・・?)
下川は緊張で足がガチガチだった。
彼は今、岸本の家に来ている。
今日の帰り、
「下川ー」
会社の出口を出てすぐの所で、岸本に呼び止められた。
「おつかれ」
「お疲れ様です。どうかしましたか?」
足を止めて振り返る下川。
少しだけ小走りで彼の前で足を止める。すると後ろから伊藤と中本が一緒に歩いてきた。
「あいつらと飯行くんだけど、お前も一緒に行かないか?」
と岸本は後の2人を指さして説明した。
ふと岸本の後ろを見ると、
伊藤が下川に手を振ってきた。その真似をして中本も手を振る。
真似をされて伊藤が中本をドツく。
確かに昨日の今日なら二人きりは気まずい。
あの2人が一緒だと正直助かる。
「行きます」
その返事に岸本はホッとする。
後ろの二人が近づいてきて、
「今日は昨日のお詫びに岸本くんのおごりだから」
「ちょっと」
勝手に決めてくる伊藤に岸本がツッコミを入れる。
そうして4人は最近駅周辺に出来た居酒屋にきていた。
「大型契約おめでとう!」
『カンパーイ!」
伊藤の掛け声を合図に、4人は最初のビールで乾杯をした。
座席の個室に案内されて、伊藤の隣は中丸。伊藤の向かいに下川。中丸の向かいに岸本が座った。下川は岸本の隣のに座ることになり再び緊張していた。
一応この食事会の名目は岸本の大型契約獲得のお祝いとなっているが、
本当の理由は岸本と下川の蟠りを解きたいとの伊藤の発案だった。それを知っているのは伊藤と中丸のみ。
「いやー、今回は結構手強かったよな」
「まあな、最初の交渉から数えたら半年位かかったし」
と、岸本は息をついてネクタイの縛り目を緩める。襟元を緩め覗く彼の首元をじっと見つめる下川。それに気が付き、
「ん?どうした下川くん」
「え、いえ・・」
はっとしてビールを一気に飲み干す下川。
「プハッ」
「おいおい、そんな一気に飲んで大丈夫かよ?」
突然の一気に心配する下川。
それを見た伊藤は、
「下川くん、ご飯も食べなさいほら」
そう言って、
大皿から数品取り分けて渡してやる。
「ありがとうございます」
彼も素直に食事に手を出す。
食事を始める下川を微笑ましく見つめる岸本。
それを見て、伊藤と中本は顔を見合わせる。
伊藤と中本はタバコ休憩のため、扉からすぐの外の喫煙所へ。
「あの2人・・・なんかあったのかしら」
タバコに火をつけながら呟く伊藤は完全に面白がっていた。
「どうだろうなぁ」
中本には心当たりはなかったが、明らかに変わったのは岸本の態度だった。下川を食事に誘ったそのそうだが、なんだかよく彼を見つめるようになった。少しでも気持ちの変化があったなら、下川の思いが届く日も近いのではないか。
「まあ、あんたもあまりおせっかい焼くなよ」
「んー」
生返事を返す伊藤に、中本は内心おせっかいおばさんとあだ名を付けた。
そうして2人が座敷に戻ると、
「いやーごめん遅くなって・・・」
扉を開けると、
「・・・おそかったな」
少しだけ照れた顔をする岸本にひざ枕されている、
泥酔状態の下川の姿。
「え、なにこれ」
「お前らが遅かったから、こいつの飲むペースが早くなったんだよ」
岸本と2人きりになり、緊張から酒を次々おかわりした結果。
あっさりと眠りについてしまったのだ。
「あちゃー」
伊藤は後ろ頭を掻いた。
岸本は自分の膝を枕にして眠っている下川の額に
冷えたおしぼりを当ててやる。
それを見て伊藤は、
「心境の変化はあった?」
静かに聞いてみる。
岸本はじっと下川の寝顔を見ながら、
「・・・どうだろうな」
自分でもよくわからない。
もっと話をして、下川を知ってみたいとはおもう。
それに、
「でも・・・なんでかな」
岸本も酒はそれなりに入っているせいか、
いつもより饒舌に、
「かわいいとは思うよ」
なんの躊躇もなく、素直に感想を言った。
愛おしそうに下川を見つめながら。
それに伊藤と中本は顔を見合わせる。
「ごめん、酔ってるわ俺」
と、頭を押さえる岸本。
「お冷頼むわ」
伊藤は即座に店員を呼んだ。
ようやく下川が目を覚まして慌てる以外はその話はしなかった。
少しだけ酔いが冷めた所でお開きとなった。
「お前飲みすぎだろ」
「・・・すみません」
ようやく目を覚まして酔いは少しだけ覚めたが、
まだ足元がふらついていた。
伊藤は、
「あー、今日は酔ったわー。中本くん送ってよ」
「えー、お前ザルじゃむぐ」
慌てて中本の口を手で塞ぐ伊藤。
呼んでおいたタクシーに乗る2人はそのまま帰った。
ぽつんと残った岸本と下川。
岸本が見ると、下川はまだふらついていて、岸本の腕に捕まっていた。
「じゃあ、おれ帰ります」
「え、大丈夫かよ?電車?」
「はい」
「もうないぞ」
「え」
「てか、今行ったわ」
そう言う岸本が駅前の刑事看板を見つめると、
ちょうど最終電車が行ったと告げていた。
「・・・・」
その看板を黙って見つめる下川。
「おれんちくる?」
そうして、
下川は完全に酔いが冷めた状態で岸本の家に来ていた。
まるで夢のようだ。
あの憧れの岸本の家に足を踏み入れているのだ。
本当に寄った自分が見ている夢だろうか?
「明日休みで良かったな。ほら水」
と岸本はペットボトルの水を彼に差し出した。
ふわふわしながら、
「ありがとう・・・ございます」
ペットボトルの水を受けとり、
そばのソファに脱力するように腰を下ろした。
「部屋着貸してやるから、もう寝な」
「・・・はい」
下川は酔っていて風呂に入れられないため、
ベッドを使うように促して岸本は風呂にはいった。
岸本が風呂から上がると、
下川は渡された着替えを抱きしめながら、
ソファの上ですやすやと眠っていた。
「あらら」
岸本は何度か下川を揺り起こそうとしたが、
起きないためしかたなく下川を着替えさせ、
ベッドに寝かせた。
幸せそうな顔をして眠る下川に、
『センパイ・・・付き合ってもらえませんか?』
あの時の下川の姿を思い出す。
どれだけ勇気を持って言いにきたのだろうかと。
時々赤くなるところも、
控えめな所も、
可愛くて仕方がない。
これがきっと、好きになるってことなんだろう。
「そっか・・・おれ、好きなんだ」
岸本は初めて自分の気持ちに気が付いた。
翌朝。
下川はゆっくりと頭痛とともに目を覚まして、驚いた。
眼の前に岸本が眠っている。それも無防備に。
しかもおそらくここは岸本の家で、ベッドも部屋も岸本の匂いでいっぱいだった。
よくみると着替えまでされている。ベロベロに酔って迷惑をかけてなにやってるんだ自分はと、ぐるぐると二日酔いの頭でいろいろ考える。
すると、
「おはよ」
眼の前の岸本が起きて、下川を見つめていた。
昨日は岸本はソファで眠ると言っていたので、
同じベッドで眠っていて下川はとてもびっくりしただろう。
下川はドキッとした。なぜかって、
岸本が今まで見たこともないような優しい表情をしていたから。
吸い込まれそうな目で、こちらをまっすぐに見つめてくるから。
「具合どう?」
「頭・・・痛い、です」
それにふふっと笑う岸本。
すると、彼は下川の頭を優しく撫でて、
「まだ寝てれば?」
「で、でも休日にご迷惑じゃ」
「いいよ。飲ませたの俺みたいなもんだし。それに」
いいかけて、彼の頭を撫でていた手をそっと彼の首まですべらせる。
「もっと一緒にいたいし」
「え」
思いがけない、岸本の言葉に下川は信じられない気持ちになった。
でも夢ではない。
「下川」
「付き合ってくれませんか?」
その言葉に、下川は最初の岸本とのやり取りを思い出した。
岸本もあえてその言葉を引用した。
少しだけ赤くなりながら、
「ど・・・どこに・・・?」
かつての岸本と同じ返答を引用した。
それに岸本は吹き出した。
「しょうもない返答だな」
「そうですね」
2人で笑いあった。
岸本はゆっくり起き上がり、下川の上に覆いかぶさる。
「好きになっちゃったんだ、お前のこと」
まっすぐに気持ちを伝えた。
下川は自分の上に覆いかぶさる岸本の
シャツの襟首を引っ張り彼の顔に近づいて、
チュッとキスをして、
「僕なんてずっと前から好きでしたよ」
「ふふっ、知ってた」
そう言って、再びキスをして岸本は下川を優しく抱きしめた。
週明け月曜日。
「というわけで、下川と付き合うことになったから」
平然と言いてのける岸本に、中本はポカンと口を開けたまま硬直していた。
どういった経緯でそういう展開になったのか謎のまま、2人が付き合うことになったのか。
「え、ちょちょちょ。急展開過ぎない?」
まだ驚いたままの顔の中本に、
「んー」
あまり言及をしない岸本。
「そうでもないけどな」
それだけ言って、岸本は自分の席に着いた。
ふとスマホを見ると、
下川からラインが来ていた、
『今日ご飯行きませんか?』
それをみて岸本は、
『じゃあ、またおれんちだな』
すると、すぐに既読がつき、
『おねがいします』
その返答に、
岸本はうれしそうに微笑んで、
(今日こそはもっといちゃつきたい・・・・
平凡な日常から
すこしだけ脱出した
岸本だった。
終わり。
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