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ルナと紫月12

 一方で、紫月――ルナ――についても本人と衣食住を共にしながら、彼の記憶を戻すことができないものかと試行錯誤の日々が続いた。  昼間はルナに茶道をはじめとする立ち居振る舞いや座敷での所作、その他にも政治情勢などの教育を行って過ごした。夕方近くになると冰が学校から帰ってくるので、彼の宿題を見てやるという名目で、ルナと冰を同じテーブルにつけて勉強をさせることにする。  そんな日課を数日続けた頃だ。ルナは当初、大分年下の冰に興味を示すわけでもなかったが、同じテーブルを囲んでいると広げているノートが視界に入るわけか、時折ルナの方から『そこの答えはこうだ』などと自発的に話し掛ける素振りが窺えるようになっていった。  冰はそのたび律儀に礼を述べ、次第にルナを頼るようになる。分からない問題に突き当たった時は冰の方からルナに教えて欲しいと言い、当のルナもまた、面倒くさがるわけでもなく訊かれた問いには答えてやっていた。ひと月が経つ頃には、すっかりルナは家庭教師のようになり、冰が学校から帰ってくると進んで二人でテーブルにノートを広げては勉強するようになっていった。  (イェン)も遼二もそれらを黙って見ていたのだが、どうやらルナという男はなかなかに勉学の方も得意のようだ。 「どうだ、カネ。あのルナだが――広東語はもちろんのこと英語も流暢のようだな。冰の宿題も難なく解いてやっているようだが、正直なところ学力という意味では一之宮と比べてどうなんだ」 「うむ、そうだな。紫月も俺のマネをして、ガキの頃から英語や広東語を学んでいた――というよりも日常的に会話の中に取り込んでいたからな。今、ヤツは広東語で俺たちと会話しているが他の数学やなんかも……」  そこまで言い掛けて、遼二はハタと瞳を見開いた。 「――そうだ! 何故今まで気が付かなかったんだ……! 日本語だ。ヤツが紫月ならば日本語も覚えているはず……」  記憶を失くしているのは確かであろうが、広東語も英語も流暢であるということから、もしかしたら言語や日常生活に関する部分の記憶は失っていないものと思われる。遼二はルナが日本語を覚えているかどうか確かめることにした。 「(イェン)――、冰は日本語が話せるか?」 「ああ。あいつは元々日本人だからな。日本語と広東語、どちらも流暢だ」  ちなみに英語も流暢とのことだが、今はとにかく日本語である。(イェン)と遼二は互いを見つめてうなずくと、 「冰、ルナ! 宿題はそこまでだ。そろそろ夕飯にしよう」  日本語でそう話し掛けてみた。

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